第5話 希望は抱いたままで

 目の前にそびえるのは、見慣れたM.O.V.ムーブブリガンダイン。整備士たちが働く中、低い音を響かせて開かれていく外への扉。そして、自分の両肩を正面から両手で掴んでいるのは、父トリスタンだ。


 ロクサーナは緊張と恐怖を感じながら、父を見上げる。眉間と目尻に皺を寄せながらも、父のあおい瞳からは未だ希望の光が失われてはいなかった。


「生き延びなさい、ロキシィ。このブリガンダインが奪われなければ、たとえこのザルドが乗っ取られたとしても、太守としては認められまい。これは前太守から受け継いだものなのだから」

「お父様、でも、それなら私ではなくお兄様が、」

「レオンは前哨基地にいる。呼び戻す時間はない」


 父の言葉に、ロクサーナは黙った。年の離れた兄レオンを思い、もしものことを考え背筋が寒くなる。視察に出掛ける前、いつも通りに優しく笑ってくれたのに。「本当にお前はブリガンダインが好きだなぁ」と、可笑おかしそうに頭を撫でてくれたのに。今まさに兄が危ないかもしれないのに――。


「トリスタン様! 急いでください!」


 感傷に浸る間もなく、騎士たちが父を急かす声が飛んだ。


 数刻前、前哨基地が攻撃を受けていると報告が入ったのだ。丁度、兄レオンが視察に赴いており、そのままレオンが指揮を取っていると聞いた。相手はAH波の高波を利用し、恒星間航行をしてきたのだろう。砂漠に降り立ち、近くの村から物資を強奪、そしてこの首都アルシエルに向かってきている。前哨基地で抑えられるほどの小物の集団ではないとのことだ。その中にはM.O.V.ムーブ――戦闘仕様のワーカーを含む――やA.S.H.E.アッシュの姿もあるという。宇宙海賊に目を付けられるほどの星ではないのだがな、と父トリスタンは言い、物言わぬブリガンダインを見上げた。


 急かされるまま、ロクサーナは叫びたくなる気持ちを押し殺すしかなかった。嫌だと泣きわめいて我がままを言うことは、ロクサーナにはできなかったのだ。


 ブリガンダインに搭乗し、操縦桿を握り締める。開かれた扉から外に出れば、遠くに火の手が多く上がる光景が見えた。



◇◇◇



『――サーナ。マスター・ロクサーナ』

「……うぅん」


 既に耳に馴染んだ声だ。硬質だが、声を荒げずに起こそうとしてくれている意思を感じる。


「ヴァージル?」


 声に導かれるように目を開けると、そこには薄暗い空間が広がっていた。目の前のモニターには何も映っていない。手元の計器類にだけ、仄かな光が宿っている。


『おはようございます、マスター。もう外は明るいかと』

「ああ……、私、整備の途中で仮眠しようと思って」


 コックピットに入り込み、少しだけと眠ってしまったのだ。両腕を上げて思い切り伸びをすれば、体が少しばかり痛い。


 また、夢を見た。

 故郷を離れた時の夢だ。あれから敵の包囲網を突破し、目星を付けていた村の傍にいる密輸業者スマグラーを発見した。彼らの頭目と交渉して船に乗せてもらい、まだ凪いでいなかったAH波に乗ってザルドを遠く離れたのだ。


 父や母、兄はどうなったのだろう。惑星間での情報は、そう頻繁にはやり取りできない。これにもAH波が関わってくるからだ。


 故郷の情報が早く欲しい。

 でも、悪い知らせは聞きたくない。

 聞くのが怖い。


 ロクサーナは両手で顔を覆って上を仰ぎ、深い溜息を吐いた。夢を見たせいか、疲れが取れていないせいか、どうにも気持ちが沈み込む。


 故郷を出てから、こんな弱気になったのは初めてかもしれなかった。密輸業者スマグラーと共に居る時は常に気を張っていたし、この惑星に降り立ってからも、ファル・ハルゼに辿り着くまでは気を抜けなかった。このファル・ハルゼで同じ氏族の太守に滞在を許された後も、自らの足元を固めるために周囲と積極的に交流を持ち、騎士隊に所属することを申し出た。必要とされる人材として、ロクサーナ・カイレンの存在価値を示さねばならなかったのだ。でなければ、何故ザルドのロクサーナが、テクトリウスに居るのだ――。


「ねぇ、ヴァージル……。私、やっぱりあの時、残って戦った方が良かったのかもしれないわね?」


 そうしていれば、こうして独りのこされることはなかったのだ。そう思う。


『マスター・ロクサーナ』


 一呼吸ほど後、ヴァージルに名を呼ばれた。


『私はその時の状況を正確には分かりかねます。ですが、厳しいことを申し上げますが、今、貴女あなたがブリガンダインでまともに戦えているのは、私が居るからです』


 ロクサーナは反論できなかった。ヴァージルの言ったことは事実だからだ。


 故郷からの脱出の際には多少の戦闘もしたし、ブリガンダインの挙動に関してはそこそこできているとは思う。兄と同様に、M.O.V.ムーブの操縦を訓練されてきたのだ。しかしセンサー類の監視や管理、精密な攻撃と防御に関しては、ヴァージルに頼る部分が多い。ブリガンダイン=ヴァージルであるからこそ、このM.O.V.ムーブブリガンダインは、特別なM.O.V.ムーブたりるのだ。


 ヴァージルとの出逢いは、思ってもみない幸運だった。この惑星テクトリウスに降り立ってから、このファル・ハルゼに至る途中、数十年前に墜落したと思われる宇宙船を見つけたのだ。森の植物が絡み付き、遺跡のようになっていたその中は、既に目ぼしいものは持ち去られた後だった。しかしブリガンダインで近付いた時、一見ただの壁に見える箇所が開いたのだ。まるで封印が解けたような扉の奥に、ヴァージルを見つけた。


 ヴァージルを造った人物は、墜落時に亡くなってしまったのだろう。ヴァージルの話では、ブリガンダインを造った研究者の仲間の一人なのだそうだ。彼らは内陣サンクチュアリに対抗する意味合いで特別なM.O.V.ムーブを造ろうとしており、それ故に内陣サンクチュアリから追われる境遇にあった。そのうちに離れ離れになってしまったのだと、そう聞いている。


 ロクサーナも、ブリガンダインに関して父トリスタンから聞いた話があった。前太守であった祖父が、内陣サンクチュアリから追われている研究者を保護したらしい。彼はかくまってくれている礼としてブリガンダインを造った。当然のことながら、辺境惑星でM.O.V.ムーブを造ることは大変なことだ。資材も何もかもが不足していただろう。しかし祖父は彼に投資した。ブリガンダインを造るためにかかる資材を調達し、費用を全て負担したのだ。それが数年続いた結果、家は傾いた。当然の、財政の悪化だ。ブリガンダインを完成させた研究者はザルドを去り、今はどうしているのかは分からない。それから祖父は財政回復に努めたのだろう。それは父トリスタンに引き継がれ、再び家をなんとか安定させるまでには回復している。


 ヴァージルは長い間、独りで眠っていた。

 そんな彼とブリガンダインが出逢ったことは、まさに運命的だと思う。


 幼い頃から慣れ親しんできたM.O.V.ムーブブリガンダインは、ロクサーナにとって物言わぬ友人のようなものだった。特に、何故M.O.V.ムーブにこれほど人らしい顔を作ったのかと思えるほどの端正なブリガンダインの顔は、ロクサーナのお気に入りの部分だ。一見、感情を排した顔だが、角度と陰影によって微妙に表情を変えることを、ロクサーナは知っている。それが、欠けていたピースがはまったかのように、言葉を返してくれるようになったのだ。このファル・ハルゼに辿り着くまでに、そして辿り着いてからも、ブリガンダイン=ヴァージルとはよく話をしてきた。M.O.V.ムーブ関係のこと以外は知識不足なようだが、その吸収速度は速い。そうして会話を通じて得た繋がりを、確かに感じている。


「ええ、その通りね。あの時、あの場に残っても、この子を奪われるのがオチだったかもしれない」


 たかだかM.O.V.ムーブを持たない盗賊団を襲撃するのとは訳が違う。そのことに、妙な納得をした。ヴァージルの尊大な言い切りに、今は少し救われた気分だ。


「お父様はね、最後まで諦めない人なの。お兄様だってそうよ」


 悪い想像を頭から追い出そうと努める。


「だから、きっと大丈夫よね。そうしたらお母様も、きっと護られているはずよね」


 きっと。

 この希望の言葉に、ロクサーナはすがるしかなかった。でなければ、なり振り構わず叫び出したくなる。それではいけない。ロクサーナ・カイレンは、強くあらねばならないのだから――。


 意図せずに頬を涙が伝ったことを自覚しながら、ロクサーナは意識的に微笑んだ。


『ロクサーナ』

「なぁに」


 これ以上泣くのを堪え、短く答える。

 泣き声になってしまっただろうか。

 訪れた沈黙は、ヴァージルを困らせている証拠なのだろう。


『ここでは構いませんよ』


 一瞬、何を言われているのか分からず、ロクサーナは視線を宙に投げた。“ヴァージル”はこのコックピット内の、操縦席の後部分に設置されている。一見すれば何もない壁の中だ。しかし声はコックピット全体に響くため、ここに居るとヴァージルの中にいる気分になる。


『ここなら私以外いませんし、声も漏れません。貴女あなたは少し――頑張り過ぎるがあるようです』

「……それって、ヴァージルには甘えていいって言ってくれている?」

『イエス、マスター。私は貴女あなたのヴァージルです、お忘れなく』


 ヴァージルの声が、いつもよりほんの少し柔らかく感じる。気のせいだろうか。それでも、ロクサーナは嬉しい驚きをいだいた。いつの間に人をなぐさめることを覚えたのだろうと思う。ここに来てから、ヴァージルも騎士隊や整備士などと会話することもあった。そこから学習したのだろうかと思うが、その成長ぶりには驚かされるばかりだ。


「ありがとう、ヴァージル。なかなかの殺し文句だわ」


 楽しい気分がやって来て、今度は自然と笑ってしまう。

 膝の上に這い上がってきたC.L.A.U.-1クロウ・ワンを撫でながら、ロクサーナは今日一日をゆったりと過ごすことに決めた。



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