第15話 フォルーズ村にて

 ファル・ハルゼを出発して二日目の夕刻。

 ロクサーナたち一行は、ようやく目的地近くの村フォルーズに到着していた。数日前にファル・ハルゼの宮殿で行われた舞踏晩餐会にも参加していたデニス・ウェストが治めている村だ。


 M.O.V.ムーブと共に村に近付けば、遠目から見えていたのだろう、すぐに出迎えがあった。村長であるデニスは何事かと青褪めていたが、太守アレクシスからの書状と共に事情を説明すれば、理解して安堵したようだ。晩餐会で顔を合わせていたこともあり――実際、ユーインとの後で一曲ダンスのお相手をした――、自己紹介の必要はなく、話はスムーズに進んだ。ハルカカの栽培地があるとされる山へ登るには明日の朝からの方が良いだろうと、こうして宿も用意してくれている。一階が酒場になっている二階の宿で、さきほど夕食もいただいたところだ。


 至れり尽くせりで悪い気もするが、ここもアレクシス・カイレンの領地の一つである。帰ったら、良くしてくれたことを報告しておこう。そう思いながら、ロクサーナはベッドに腰を落とした。


 久し振りだった野宿は、ユーインの部下たちが手慣れた様子でテントや火起こしをしてくれたお陰で、案外楽しいものだった。それでも、こうしてベッドで眠れることは有難い。


 野宿で思い出すのはファル・ハルゼに至るまでのブリガンダインとの旅だ。密輸業者スマグラーとも別れ、心細かったあの時。途中でヴァージルと出逢う前は、眠ることは恐怖でもあった。いくらM.O.V.ムーブのコックピットにいても、眠っている間に襲撃されればどうしようもない。いくら、中にいれば外からは開けられないようにできるとはいえ、M.O.V.ムーブごと破壊されれば同じだ。生き延びるためには、自分自身が常に危険を避けるために気を張っていなければならなかった。傍にいてくれたC.L.A.U.-1クロウ・ワンを唯一の癒しにして、かろうじて堪えていたのだ。


『私がいますから、安心してお眠りください』


 ヴァージルにそう言われた時の安堵感といったらなかった。まだファル・ハルゼは見えず、気を緩めるつもりなどなかったというのに、心身ともに疲れが限界にきていたのだろう。あの時ほど、泥のように眠ったことはないと思う。


 そのヴァージルは村の外でどうしているだろうか――。

 ロクサーナはふと心配になった。M.O.V.ムーブはいわば高級品であるため、強奪しようとする者たちもいるのだ。そう簡単に持っていけるものではないが、コックピットに乗ってしまえば、充電チャージさえできていれば動かせる。ヴァージルの存在は騎士隊と整備士、太守以外には秘匿ひとくされているが、どこからか情報を得てヴァージルだけを盗もうとする者が出てきてもおかしくはない。


 そこまで考えてから、大丈夫だわきっと、とロクサーナはベッドに体を倒した。

 村のすぐ傍なのだ、不審な輩が近付けば、村の警備兵が気付くだろう。ヴァージルも、攻撃はできずともブリガンダインを起動して逃げることは可能だ。そしてブリガンダインが動けば、すぐにこちらも気付く。文字通り、大地が揺れるからだ。

 

 それよりも、ティアリーのことが心配になった。騎士隊の資材管理に関わっているエノーラと、行きつけのカフェのマスターアリエットには頼んであるものの、一人きりで寂しい思いをしているかもしれない――。

 そう思いを馳せ、ロクサーナは一息つき、腹の上に乗ってきたC.L.A.U.-1クロウ・ワンを撫でた。鳴き声と共に、小刻みに柔らかい体が震える。


「……早く片付けて帰らなくちゃね」


 ユーインは、明日の早朝から動くつもりだと言っていた。明日いっぱいで収穫を済ませられれば、明後日にはフォルーズを発てるだろう。そうすれば、遅くとも五日後にはファル・ハルゼに戻れるはずだ。


「よし、明日は早起きよ、クロちゃん」

『ミュ~ミュッ』

「ふふ、ご機嫌ねぇ」


 あ。と思う。フェリオンのことだ。

 しかしロクサーナはすぐに、こっちもヴァージルと同じく大丈夫ねと思い直した。

 部屋が宛がわれ、喜んでいた様子を思い出す。夕食時も焼いてもらった肉を元気そうに頬張っており、ちょっと食べ過ぎたと言っていたので、今頃はもう眠っているだろう。

 

 案外に、フェリオンは真面目だ。クライドからもそう聞いている。

 フォルーズに到着するまで、を上げずにしっかり周囲に合わせて歩いていたし、自分から仕事を見つけていくよう言えば、テント張りも食事を作るのも、率先して手伝っていた。考えてみれば、彼はこれまで一人で幼い妹の面倒を見てきたのだ。


 ――一体どんな大人になるのかしらね。


 そのことが、ちょっとした楽しみになりつつある。

 ロクサーナは明日の段取りを考え始めながら、C.L.A.U.-1クロウ・ワンを両腕で抱き込んだ。



 ◇◇◇



 翌朝も、快晴だった。

 雨なら山に登るのが延期になるところだ。

 宿の者が人数分の軽食を持たせてくれたことは、実に有難い。

 

 ロクサーナは朝食を食べ、準備をしてフェリオンたちと共に村の入口へと向かう。その先には、緑豊かな山々を背景に、ブリガンダインとウィンディ・ドラゴンフライの雄大な姿がある。


「よく眠れた?」

「ああ、どこでも眠れるのが自慢なんだ」

「そう、それは良かったわ」


 足取りも軽く楽しげなフェリオンの様子に、ロクサーナは安堵した。

 今日の皆の荷物は、収穫に必要なものが主となっている。フェリオンの背にも、ビリーに持たせられた籠がある。

 

「ところで――、やっぱりソイツも連れてくんだな。何か役に立つのか?」

「クロちゃんのこと?」


 足を止めずに、ロクサーナは背中に引っ付き左肩口に頭を乗せているC.L.A.U.-1クロウ・ワンを撫でた。甘えるような小さな鳴き声が、耳をくすぐる。


「連れていくわよ、大事な子だもの」


 役に立つ、立たないで連れて来ているわけではない。が、盗賊団のアジトでは、見事に役目を果たしてくれた。人目を盗んで袋から這い出たC.L.A.U.-1クロウ・ワンは、暗闇に紛れて壁や天井を這い、グロイデン麻薬に取り付いてくれたのだ。お陰で、クトゥブを逃がさずに済んだ。


「疲れたら撫でてもいいわよ」

「なんでだよ」

「癒されるでしょ?」


 そう言えば、フェリオンが大きな溜息を吐いて俯き、首を左右に振った。


「なぁに?」

「あんた、見てくれはキレイなのにさ……」

「あらホント? ありがとう」


 ニッコリと笑えば、顔を上げたフェリオンと一瞬目が合い――すぐに拗ねたように逸らされた。照れているのがあからさまに分かる。そんな様子が可笑おかしくて、ロクサーナはこっそりと笑った。


 村の外では、皆が集まりつつあった。予定の時刻だ。

 ユーインが搭乗したウィンディ・ドラゴンフライを先頭に、また同じ隊列を組む。といっても、ロクサーナは徒歩だ。不思議そうにフェリオンがブリガンダインを見上げた。


「乗らないのか?」

「二脚M.O.V.ムーブは、山登りとか足場が悪すぎる場所は苦手なの。だから、お留守番よ」

「へぇ、そうなんだ。ブリガンダインにも苦手なことはあるんだな」


 意外そうな、フェリオンの呟きが聞こえた。




 まず立ち寄ったのは、山の麓にある小屋だ。村の採集を生業としている者たちが普段上る山とは逆側に、樹々に隠れるようにして建てられている。鎧戸がつっかえ棒で上げられている窓は、開かれたままだ。


「フェリオン、そこで待っていて」

「わ、分かった」


 ロクサーナはフェリオンと採集業者たちを後ろに下げ、閉じられた小屋の入口脇に立つユーインに頷いた。彼の部下の内二人は、それぞれ小屋の裏口や窓を注視しているようだ。


 ユーインは既に細剣レイピアを抜いている。それにならい、ロクサーナも剣帯に下げている細剣レイピアを抜いた。


 小屋の中に人の気配はない。ただ、気配を消している可能性はある。

 ユーインの頷きと共に、部下の一人によって扉が押し開けられた。それは抵抗もなく開かれる。中に飛び込んだ部下を追い、ロクサーナもそれに続いた。


 室内は窓からの木漏れ日が入り込み、がらんとした静けさに満ちていた。外から聞こえる鳥の高い鳴き声がよく響く。人の姿はない。簡素な木製のテーブル上には何も置かれていず、戸のない戸棚にも、殆ど物が置かれていない。壁際に置かれているベッドのシーツは乱れてはいるものの、衣服などは見当たらない。食べ物の匂いなどもまるで感じられない。


「逃げた後のようですね」


 ユーインがそう言い、細剣レイピアを鞘に収めた。


「そうですね。クトゥブが捕らえられた噂を聞いたのでしょうが……」


 いずれはこの場所もバレると踏み、さっさと逃げたのだろう。ボスのクトゥブに人望がないという問題ではなく、ここにいた者の危機管理意識が高かったということだ。いくらハルカカがグロイデン麻薬として金になるとしても、ファル・ハルゼの騎士隊に捕まるよりは逃げた方が正解に違いない。


「ハルカカを採れるだけ採ってしまっているとかないですかね? 隊長」


 部屋を眺めまわしている部下アーチーの質問に、ユーインが木漏れ日に目を細めながら答える。


「君は一刻も早く逃げて身を隠したい時に、わざわざ山に登って荷物を増やしたいのですか?」

「あ、そうですよね」

「それに、グロイデンに加工するには準備された施設が要ります。おそらく栽培地の傍にあるのでしょうが、一瞬で加工ができるわけもありませんしね」


 丁寧に説明しているユーインの声を耳の端で聞きながら、ロクサーナは何とはなくベッドのシーツを細剣レイピアで引っ掛け、持ち上げてみた。下に敷かれている藁を少し払ってみても、何もない。籠手ガントレットから出している指先を当ててみても、不自然な温もりはなかった。


「出ましょうか」


 ユーインが出発を指示した。ここにはもう用はないという判断だ。


「ここからは山登りですよ、レディ。大丈夫ですか?」

「ご心配なく、ユーイン。これでも体力には自信があります。山登りは初めてですけれど」


 細剣レイピアを収めて振り返り、少しだけ肩を竦めてみせれば、ユーインが楽しげに微笑わらった。


「歩けなくなれば、ウィンディに乗せて差し上げましょう」

「魅力的な提案ですね。では、本当に歩けなくなりましたら」


 そんなことにはならない、という自信の元、ロクサーナは答えた。自分よりも、フェリオンの方が心配だ。彼はファル・ハルゼを出たことがなかったはずで、少しは肉付きが良くなった気もするが、まだまだロクサーナから見れば細身の少年だ。ユーインでさえ、細身に見えて意外に筋肉質であることは、細剣レイピアを交えていれば分かる。軽い剣だと思われがちだが、細剣レイピアは他の剣とそう大差のない重さがある。それを片手持ちのうえ安定させて突きを繰り出すには、相応の筋力が必要とされるのだ。


「おや、これは頼もしい。では行きましょうか」


 僅かに驚いた様子を見せながらも、笑みを浮かべながら、ユーインが部下たちに指示を出した。


「慎重に進みましょう。侵入者避けに罠を仕掛けている可能性がありますから」


 ユーインがM.O.V.ムーブのコックピットから下ろしていた梯子を上がり、乗り込んだ。梯子は引き上げられて折りたたまれる。そうしてM.O.V.ムーブが動き始めるのを待って、ロクサーナたちもその後に続いた。

 


◇◇◇



 山に入っていく四脚M.O.V.ムーブとその一行の様子を、つぶさに観察する目があった。『アルスの群』の一員である――ロクサーナたちに壊滅させられたため、正確には元一員であるが――パンチェス・クラインだ。


 それぞれの装備や動きからみて、パンチェスは脅威になり得る数を確認する。M.O.V.ムーブ以外には護衛が四人、一般人が四人といったところか。子供が一人混じっているが、一般人の連れだろう。巻き込まれるのはソイツの運が悪いからであって、恨むなら自分の運の無さを恨めよと、パンチェスは意識的に口元を歪めた。


 クトゥブがカイレン氏族に捕らえられたことを噂で聞き、いずれはここに騎士隊が派遣されてくるのは予想していた。逃げたところで、手元に残っている金は少ない。それに、クトゥブとは義兄弟の契りを交わした間柄だ。兄貴分の彼がどうなったかは分からないが、逃げる前に奴らに一泡吹かしてやらねば、この怒りは収まらない。このままあっさりハルカカを譲ってやるのも、全くもって面白くない。


 馬鹿でかいM.O.V.ムーブなんかを相手にできるとは思わない。だがM.O.V.ムーブ以外であるならば、やり方次第でどうにでもなる。いや、どうにかしてやるのだ。


 幸運にも、一際目立つ存在が目に入っている。あれはおそらく、アジトを落としたという紫紺のM.O.V.ムーブを駆るカイレン氏族の女だろう。まだ若い娘だと聞いているし、帯剣もしており、黒髪だというのも噂通りだ。もっとも、あれだけを狙ってどうにかすることは難しい。それでもヒヤリとさせてやる楽しみはある。もし一般人が死んだとしても、彼らを護り切れなかった、という失態になる。それはあの女のみならず、騎士隊にとっては不名誉なことだろう。


 ――この山に入ったことを後悔しな。


 こちらには地の利があるのだ。

 パンチェスは背負った道具の重さを感じながら、乾いた唇を舐めた。

 

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