第16話 ハルカカ収穫

「やっと着いた……!」

「はぁ~良かった~っ!」


 ひらけたハルカカの群生地に着いた時、声を上げたのはフェリオンだけではなかった。

 一際大きな声を上げたのは、ユーインの部下の一人、アーチーだ。チャック・リーパーと同年代ほどに見える彼は、その場に屈んだかと思うと、そのまま座り込んでしまった。汗ばんだ体を冷やそうとしているのだろう、襟元を広げて上空を仰いでいる。


「まったく、そんなことでは笑われるぞ」

「ロクサーナ様なんて涼しい顔をしているのにさ」


 そう言ってアーチーを揶揄からかっているのは、ユーインの部下の二人だ。一人はユーインよりも年配と思われる男性でシェーン、もう一人は女性でグレンダという。彼女はユーインとは年が近そうだ。二人とも鍛えられた体つきをしており、全く息を切らしてはいない。


「そんなこと言ったって! 恐い罠があるかもってハラハラしどうしだったんですから! 崖の傍も通ったし、滑りそうな水場もあったし!」

「まぁ、山が連なっている場所だしなぁ。こんなものだろう。罠はあるにはあったが、このすぐ下の鳴子くらいだったじゃないか」

「帰りは安心して帰れるよ、アーチー。ほら、さっさと立つんだ、お前より小さいあの子の方が元気じゃないか」


 グレンダが視線をやったのは、ロクサーナの隣で座り込むのを堪えているフェリオンだった。グレンダの声を聞いたのか、フェリオンの顔が勢いよく上がる。


「こんなの、なんてことないですよ!」


 にかっと無理に笑っているらしいフェリオンと目が合ったのか、座り込んでいたアーチーが慌てたように立ち上がった。


「俺ももう平気です、グレンダ!」

「それなら、腹ごなしが済んだら収穫の手伝いができるね。ほら、準備するよ!」

「ヒィ、特別任務なんて手を上げるんじゃなかった……」


 腰が引けたように情けない声を上げたアーチーを、グレンダが傍近くの日除け小屋に追い立てている。

 ロクサーナはそんなグレンダに近付いた。長い髪を編み込んで纏め上げている、凛々しい印象の女性だ。振り向いた彼女の興味深そうな視線を、ロクサーナは受け止めた。


「意外に体力がお有りなんで驚きましたよ、ロクサーナ様。同行すると聞いた時は心配していたんです。あの坊やのことも」


 率直に告げられ、そこに嫌味は感じない。サバサバした物言いで、気持ち良いくらいだ。


「ありがとうございます。グレンダたちこそ、前で気を張っていただいて助かりました」

「あ、いやぁ、照れますね、そんなふうにお礼を言われると」

「それに、彼らはさすがにこういう場所に慣れているのですね」


 ロクサーナは、護衛してきた三人の採集業者たちを眺めやった。荷物を下ろし、大判のタオルで汗を拭ってはいるが、まだまだ余力がありそうだ。軽食の準備をしていると思われるアーチーを手伝おうとすらしている。


「彼らにとっては生業なりわいですからね。護衛付きで来られるのは幸運でしょう」


 彼らの後方には、ウィンディ・ドラゴンフライの姿があった。四脚M.O.V.ムーブが通れる幅の道がない部分は、樹々をなぎ倒して上がってきたのだ。適切な足場を確保しながら自ら道を作り、ここまで上がってくるだけで、ユーインが自身のM.O.V.ムーブの操縦に精通していることが分かる。


 備え付けの梯子を伝って慣れた様子でコックピットから降り立ったユーインを、シェーンがこちらへと誘導している。そうしながら、二人は周囲を見渡しながら何かを話しているようだ。調査について、段取りの確認でもしているのだろう。


「さ、私たちもこちらで少し休みましょう」

「ええ。――フェリオン! こっちよ」


 グレンダの促しに、ロクサーナはフェリオンを呼んだ。

 駆け足でやって来たフェリオンに、軽食を取って暫し休むことを告げる。そうして、先を行くグレンダの後に続きながら、フェリオンの頭を軽く撫でた。

 

「よく歩いたわね、フェリオン。実は私もクタクタなの。山道って思ったよりも疲れるのね」

「よく言うよ、そんなふうには見えないぞ。っていうか、五歳しか違わないのに子供扱いするなって」


 少し拗ねたように言ったフェリオンに、視線を逸らされる。

 ロクサーナは言われた事柄に苦笑した。


「五歳差ってけっこう大きいと思うのだけれど……」


 身長も頭一つ分、フェリオンの方が低い。


「いーや! 五歳差なんて無いみたいなもんだ!」

「うーん、まぁ、いいわ」


 いささか横暴な気もするが、ロクサーナは折れた。一応、『雇って』いる形なのだが、ロクサーナにとっては『面倒を見て』いるつもりなのだ。弟にしたような心持ちのため、フェリオンが突っかかってこようが構わない。周りの者にきちんと挨拶できているなら、上々だ。

 

 大きく両腕を上げて伸びをすれば、少し疲れが分散される気がする。空気は良く、見上げる青空に浮かぶ白い雲が眩しい。いつもより、空が近いことが何とはなく嬉しい。


「さて、腹ごなしをしたら、収穫よ。綺麗な実でしょう?」


 アーチーからバゲットサンドと飲み物をもらい、日除け小屋の端に置かれているベンチに座れば、少し不思議な気分になった。ここで、盗賊団の者たちもハルカカを眺めたりしていたのだろう。


 見渡せば、開けた土地に低木が見事に群生している。その細い枝には赤黒く丸い実がっている。指の第一関節もないほどの小さな実で、幾つかが細い茎で繋がりひとまとめになっている作りだ。これを一週間ほど陰干しをして粉砕すれば、医療で重宝する麻酔薬になるらしい。故郷の惑星ザルドにはなかった植物のため、盗賊団を壊滅させるにあたり、ロクサーナは徹底的に情報を集めて学んだのだ。スワンマンの香水については、太守の妻シュリアから情報を得て手に入れたものだった。


 雑草は、それほど生い茂っていない。意外にも、盗賊団の彼らは随分と丁寧に世話をしていたようだ。鳥避けのネットも両端から掛けられている。確かに、確実にハルカカの実を収穫したければ、ここに力を注ぐのは実に合理的といえる。


「うん。初めて見た。あのまま食べたらどんな味なんだ?」

「気になるなら、ひと噛みしてみたら? ちなみに、クロちゃんは大嫌いなのよ」

「えっ」

「大丈夫よ、毒ではないから」


 ハルカカについて調べていた時、実際の実を見ることもあった。その時、C.L.A.U.-1クロウ・ワンが食べたそうにしていたため、あげてみたのだ。毒ではないことを確認したうえでのことだったが、C.L.A.U.-1が吐き出したものだから、とても驚いたのだった。


「ひでぇ味?」

「クロちゃんにとってはね。でも、人によっては美味おいしいのかもしれないわよ」

「そ、そうなのか……」


 悩み始めたフェリオンを横目で見ながら、ロクサーナは実際に自分も噛んでみたことを思い出す。ハルカカの実自体は、酷く苦いのだ。


 紙に包まれていたバゲットサンドを改めて手に取り、ロクサーナは有難くその端に小さくかじり付いた。



◇◇◇



 ハルカカの実の収穫は、思ったよりも早く終わった。日が暮れる前に村の宿に戻れそうなことを皆が喜び、ロクサーナたちは来た道をゆったりと戻っている。

 先頭を行く四脚M.O.V.ムーブの後を追いながら下りていく復路は、往路よりは随分と気が楽だ。同じ道を下りているのだから、安全は保障されていると言ってよいだろう。


 脇道に咲く草花を眺める余裕さえある。

 C.L.A.U.-1クロウ・ワンは、今はフェリオンに抱かれ、彼の胸元に引っ付いている状態だ。収穫作業中はC.L.A.U.-1を日除け小屋の中で這わせていたのだが、そのC.L.A.U.-1を、作業後にフェリオンが抱き上げてくれた。そのまま、今も抱いてくれている。晩餐会の間は彼に預けていたが、その間に慣れたのかもしれない。そして、なんだかんだ言いながらも可愛くなってきたに違いない。


 ロクサーナは、名前も知らない植物たちを目で楽しみながら草地を歩いた。そのうちに、山の中腹あたりの狭い道に差し掛かった。既にユーインの操るウィンディ・ドラゴンフライは、往路で造った別の道を行っている。


 右側は山肌の壁のようになっており、左側は崖で急斜面になっている。往路では少し身構えた場所だ。向かいの山壁には滝が見え、轟々ごうごうという水の流れが聞こえている。少し離れた前を歩いているビリーたちの話す声が掻き消されるほどの音だ。落ちたくはないので覗き込むような真似はしないが、おそらくここは谷で、この遥か下には川が流れているのだろう。


 ロクサーナが前を歩いているフェリオンを何とはなく眺めながら歩いていると、ふいに彼が山側の脇に寄った。そして屈んだかと思えば、振り返って近付いてくる。


「どうしたの?」

「これ」


 ロクサーナの顔の前に差し出されたのは、白い花だった。七枚ほどの花弁の中心に八重咲の花が更に咲いており、清楚でいて華やかな、愛らしい花だ。名前は知らないが、後でユーインあたりに聞けば答えが得られそうに思う。


「可愛いお花ね」


 花を前に、自然と気持ちが浮き立つ。

 フェリオンの口元が少し緩んだ気がした。


「ティアへのお土産にしたら喜びそうだけど、持たないわね……」


 植物が好きなティアリーの喜ぶ顏が思い浮かぶ。ファル・ハルゼの町中では見たことのない花なので、おそらくは山に咲く植物なのだろう。


「だから、あんたにやる」

「あら」


 意外な言葉に驚くと、フェリオンの視線が逃げるように逸れた。


「あの赤いドレスも良かったけど、白いのも似合う、と思う」


 ぶっきらぼうな言葉と共に、更に花を顔に寄せられる。ロクサーナは、それを両手で受け取った。花をもらったことは数あれど、こんなふうにもらったのは初めてだ。


 フェリオンは白い花を見つけ、それが自分ロクサーナに似合いそうだからと、わざわざ摘んで寄越してくれたというわけか。


「ありがとう、フェリオン。嬉しいわ」


 素直な気持ちを言葉にして伝えれば、フェリオンが頬に喜色を浮かべ――すぐに背を向けた。そのまま軽い足取りでビリーたちを追いかけ始める。その様子が照れを隠しているようで、ロクサーナは胸の内で「可愛いわ」と呟いた。


 狭い道も、もうすぐ終わりだ。ここからは、そう難所はなかったはずである。山林の中の道を下りてきていたウィンディ・ドラゴンフライの姿が、前方右側に現れた。ここで合流し、そのまま下りていけば良い。


 その時、ふと、微かな音を捉えた。

 滝の音に混じり、確かに、ほんの小さな小石が転がるような――。


 ロクサーナは嫌な予感に足を止め、音がした右側上部に視線を上げる。

 そこに見たのは、今にも転がり落ちそうな岩々だった。


「グレンダ! シェーン! 落石です!」


 そう叫ぶ間にも、事態は急速に悪化する。右手側から大小様々な岩がガラガラと音を立てて転がり落ちてきたのだ。


「フェリオン! 避けて!」


 落ちてきた岩が足元を揺らす中、ロクサーナは自身に向かってきた岩を避けながら、保護すべき対象を探す。ビリーたち採集業者と、フェリオンだ。だが、前方の方が落石の量が多く、視界を塞ぐようにして土煙が上がっている。


 M.O.V.ムーブが強引に別の道を切り開いたせいか――、と原因の心当たりが頭を過ぎるが、今は皆の無事だけが大事だ。


 谷から吹き入った風が、僅かながら土煙を晴らしてくれる。そのお陰で、フェリオンが岩を避けて前方の左側の藪に入った姿が見えた。律儀にC.L.A.U.-1クロウ・ワンを胸元に抱いてくれているようだ。もうそこはウィンディのいる広い場所の端であり、岩を避けながらうまく先に進んでいたことに感心する。が、次の瞬間、フェリオンが何かに引っ掛かったように不自然に態勢を崩した。その体が背中から吸い込まれそうになっている先は、あろうことか、深い谷だ。


「フェリオン!!」


 ロクサーナは駆け出していた。谷に落ちようとしているフェリオンを捕まえようと、右手を伸ばす。フェリオンがこちらを見て片手を伸ばそうとするも、あと少しが届かない。このままではフェリオンの命を取り落してしまう。


「“我が手に来たれ……!”」


 ロクサーナは迷うことなく、そう命じていた。フェリオンを死なせない、その一心で、目の前のことに集中する。時が刻みを緩めたような、そんな感覚に包まれた。


 ロクサーナの籠手ガントレットをしている右手が、フェリオンの左腕を掴んだ。正確には、フェリオンの胸元にしがみ付いているC.L.A.U.-1クロウ・ワン尻尾タグを、籠手ガントレットの『引力アトラクター』で引き寄せた結果、それに付随してきたフェリオンを捕まえたのだ。しかし、辺境では魔法の技のように認識される先鋭技術ネオ・テクノロジーでも、物理現象である。引き寄せる行動は、同時に引き寄せられる力を生む。物理学の初歩として知られる「作用反作用の法則」だ。


 落ちようとしていたフェリオンが近付くのと引き換えに、ロクサーナの重心が前方へと引き寄せられる。


「グレンダ!」


 近くにいるはずのグレンダを、ロクサーナは咄嗟に呼んだ。崖ぎりぎりについた足を軸にし、フェリオンと体の位置を入れ替える。驚いた顔をしているフェリオンの向こうに、こちらへと駆けてくるグレンダが見えた。


「お願い、グレンダ!」


 ロクサーナは、フェリオンの体をグレンダの方へ思い切り突き飛ばした。その反動で、足先が地面から浮く。


「ロクサーナ!?」

「フェリオ……」


 体が重力に捕らわれるのを、拒む術がない。

 あっという間に、ロクサーナの視界はそり立つ崖の斜面となった。


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