第17話 ヴァージルの独断

「ロクサーナ!!」


 フェリオンは胸元を強く押されて後方へ倒れるも、しっかりと誰かに受け止められたことは自覚した。しかし、助かったという思いよりも、焦りと恐怖が先に立つ。


 誰かの腕を振り切り、フェリオンは這いつくばるようにして崖下を覗き込んだ。もう手が届かないほど遠くなったロクサーナが、時折短い声を上げながら斜面を滑り落ちていく。そこにはC.L.A.U.-1クロウ・ワンの姿もあった。この胸元を蹴って、C.L.A.U.-1はロクサーナを追うようにして跳び移っていたのだ。ロクサーナが崖から伸びる枝を掴んだかに見えるも、滑落していく体を止められてはいない。そんなロクサーナの姿は崖から離れ、眼下の樹々に呑み込まれるようにして見えなくなった。微かに水音がした気がする。


「ロクサーナァー!!」


 ありったけの声で叫んでも、ロクサーナの声は返ってこない。傍にある滝の音が声を掻き消していくばかりだ。


「嘘だろ……、そんな」


 フェリオンは手元の草を握り締め、ロクサーナが消えた崖下を見つめ続けた。もしかしたら、何か助けを求める合図が起こるかもしれない。そう期待したのだ。


「坊や!」


 ふいに後ろから体を掴まれ、背中側に引きずられた。見上げれば、グレンダの青ざめた顔がある。


「ロクサーナが落ちたんだ、グレンダ! 見ただろ!? 早く助けないと!」


 そう訴え、もう一度崖下を覗き込む。途端、また強い力で引き上げられた。


「危ないからこっちへ来るんだよ!」


 引っ張られ、フェリオンはビリーたちの所へ連れて行かれた。怪我をしている者がおり、アーチーが診ているようだ。そのアーチーも、腕から血を流している。


「どうしますか、隊長!」


 グレンダが呼び掛けた言葉で、フェリオンは座り込んだまま、その声が向けられた方向に顔を上げた。ユーインが搭乗している四脚M.O.V.ムーブが目に入る。落石は、M.O.V.ムーブのいる場所にはなかったようで無傷に見える。そのM.O.V.ムーブから、ユーインは降りてきていない。


「――隊長! こちらに罠があります!」


 フェリオンが落石から逃げた際に入った藪の方から、シェーンの声が上がった。彼の方を見たグレンダの眉がひそめられる。


「罠だって?」

「ああ、ワイヤートラップが複数個、張られている。ここに逃げ込んだ者が谷に落ちるよう計算された罠だろう。その子はこれに引っ掛かったんだ」

「じゃあ――残党の仕業かもしれないね。あの落石も、用意されていて、タイミングを見計らって落とされた罠ってことかい。それでもって、わざと帰り道を狙われた……。やられたよ、畜生……ッ」


 グレンダの悔しげな声を聞きながら、フェリオンは辺りに視線を彷徨さまよわせていた。ロクサーナの姿がどこにも無い。それは、とてつもなく怖ろしい現実だった。


『……ここから下へは降りられません。一旦、皆で村へ戻ります』


 M.O.V.ムーブから、スピーカー越しのユーインの声が聞こえた。冷静に思えるその声色に、フェリオンの中の強い不安が混乱の内に怒りに変わる。


「皆、って!」


 フェリオンは、ユーインの言葉に声を上げていた。

 ユーインのいう『皆』の中には、ロクサーナが含まれていないことが分かったからだ。


「ロクサーナを置いていくつもりか!?」


 そう訴えれば、アーチーの手当てを受けている皆の注目も、M.O.V.ムーブの方に向かったのを感じた。

 ユーインからの返答はない。彼が今、どんな顔をしているのか分からないことが、更にフェリオンを苛立たせた。


「ロクサーナはどっかのお姫様なんだろ!? そんなのを置いていっていいのかよ!?」

『私たちには、彼らを安全に町へ戻す義務があるのです。これが罠ならば、まだ敵が近くにいる可能性もある。怪我人を連れ、すぐに村へ戻る必要があります』


 静かなユーインの声には、厳格な響きがあった。それは、彼が意見を変えるつもりがない意思表示に感じられた。普段からロクサーナによく声を掛けていた男のものとは到底思えない言葉だ。


 ユーインの言ったことを、フェリオンはどうしても納得できなかった。

 どうしようもない絶望感が、胸の内で膨れ上がる。


「だったら! 俺は残る! ロクサーナはきっと怪我をして……早く助けないとロクサーナまで――!」


 しまう。


 フェリオンは、なかば叫び出していた。

 ロクサーナは、孤児院から逃げ出してから、初めて、信じてもいいと思い始めた人間なのだ。それなのに、このままではロクサーナも父親や母親のように、いなくなってしまう。真っ直ぐに向けてくれるあの優しげな笑みが、もう、二度と見られなくなってしまう。そんなことは、そんなことは……!


「坊や!」


 強く、グレンダに名を呼ばれた。膝をついた彼女に、正面から両肩を痛いほど掴まれている。震える喉元を堪え彼女を見上れば、眉を寄せ、口元を引き結んだつらそうな表情かおが見えた。


『君一人残って、何ができますか』


 そんなグレンダの向こう上方から、ユーインの硬い声が投げかけられた。


「でも、……でも! 俺のせいで……! 俺を助けようとして、ロクサーナは落ちたんだ!」


 自分を突き飛ばしたロクサーナは、一瞬、確かに微笑んでいた。

 ほっとしたような顔だ。その顔が、脳裏に焼き付いている。


『……聞き分けてください、フェリオン。ロクサーナから、彼女に何かあった場合の君の安全も頼まれている。泣きわめこうが、私は君を連れ帰ります』

「ロクサーナ、が……?」


 フェリオンは、胸を握り潰される思いがした。そんな『もしも』まで考えて、ロクサーナは自分を連れてきてくれたのだ。そのことに思い至る。


『彼女のことを、諦めるつもりはありません。ですが、今は戻ります。いいですね』


 同意を求められ、フェリオンは唇を噛み締めて俯くしかなかった。

 ロクサーナと約束したことが思い出される。「私がいない時は、ユーインの指示に従うこと」その約束の真の意味を、今になって思い知る。


 立ち上がれない体を引き上げてくれたのは、グレンダだった。


「グレンダ、ロクサーナは……」


 死んだりしないですよね。

 その言葉を、フェリオンはぐっと喉元で留めた。そして、呑み込む。


「……行くよ。そこの荷物を頼むよ坊や」


 背中を軽くたたかれ、そのグレンダのなだめるような優しさに、不安が不穏に膨らんでいく。

 散らばってしまっているハルカカの実を籠に戻せるだけ戻し、フェリオンは涙を堪え、もう一度、誰の姿も無い崖の方を見つめた。



◇◇◇



 フォルーズに戻ったユーインには、やらねばならないことがあった。村を治めるデニス・ウェストへ報告し、怪我人の治療への協力依頼。そしてあの罠を仕掛けた残党への警戒、そしてロクサーナの捜索についてだ。


 谷に落ちたロクサーナについて、デニスは難しい顔をした。この村に居る、山での採集を生業としている者たちを集めてくれたが、皆の意見からは有用なものは出なかった。山に入っているといっても、彼らはこの周辺の山の詳細な地図を持っているわけではなかったのだ。しかも盗賊団がハルカカを栽培していた場所は、普段は彼らが立ち入らない場所だった。


 ユーインはフェリオンに言った通り、ロクサーナの捜索を諦めるつもりはなかった。あの崖下には森が見えたが、向かいの山壁には滝があった。下には川があるのだ。川に落ちれば下流に流されるはずで、問題は正確な位置が分からないことだった。ウィンディ・ドラゴンフライなら悪路も進めるだろうが、闇雲に川を辿って探すには膨大な支流があると思われる。時間がかかればかかるほど、ロクサーナの命が危ない。いや、もう失われているかもしれない――。ふと抱いてしまった思いを、ユーインはかぶりを振って打ち消した。


「隊長!」


 ノックと同時に、グレンダが飛び込んできた。普段は返事を待って扉を開ける彼女だ、よほどのことなのだろうと、ユーインは苦言を口にしなかった。


「どうしました」

「ブリガンダインが起動しました! ロクサーナ様がいないのに動いて、」

「デニス様、話はまた後ほど」


 ユーインは、すぐに現場に向かった。

 日が落ちようとする夕暮れの中、ブリガンダインの巨大な姿が見える。関節部から漏れる微かな駆動系の光が薄暗さに輝いている。その足元には、フェリオンが立っていた。


「フェリオン! ヴァージルには後で説明するからと……!」

「ブリガンダインなら助けられるかもしれないじゃないか!」


 フェリオンの言ったことに、ユーインは首を左右に振った。二脚M.O.V.ムーブが山中を探して回ることは難しい。ましてや谷に下りるなどと二次被害になる可能性の方が高いのだ。そしてそれよりも、ブリガンダインが操縦者なしで起動しているという事実が、周囲に混乱を引き起こしかねなかった。ヴァージルのことは、一部の者以外には秘匿ひとくされているのだ。


「隊長、これは一体どうなって……、ヴァージルというのは何なのですか」


 隣で上がったグレンダの疑問に、ユーインは構わなかった。


「ヴァージル! 止まりなさい!」


 声を上げれば、ブリガンダインの歩みが止まった。こちらの話を聞く気はまだあるらしい。


「どこへ行くつもりです!? ロクサーナのことは、私たちが探します、あなたはここで留まっていてください!」


 ブリガンダインを留めておかなければ、という思いが、ユーインにはあった。やはり操縦者不在で勝手に動き回られることには拒否感がある。これはユーインの中にある、自律AIのヴァージルという未知の存在に対する怖れのせいでもあった。直接話している分には、同僚と話すことと大差ない。しかしブリガンダインには、この村を壊滅させられるだけの力があるのだ。そんなM.O.V.ムーブを、やはり人であるロクサーナ不在で動かされたくはない。舞踏晩餐会の時のように、決められたルートを移動するという場面でもない。あの時とはまるで状況が違う。もしヴァージルが暴走すれば、止められるものは誰もいない。ウィンディで止めるしかないが、そんな状況に陥っている場合ではない。


『ユーイン・カーライル』


 上から、ヴァージルの声が降ってきた。ひやりとした硬質な声だ。

 隣で、グレンダが息を呑んだのが分かった。


『私のマスターは、ロクサーナ・カイレンただ一人。他の誰の命令も受け付けません』

「そのロクサーナがいないのですよ、ヴァージル! 彼女の命令なしに動くことは、彼女に背くことになるのではありませんか!」

『マスターの身の安全が最優先事項です。有事の際には、攻撃行動を除いた自主活動を彼女に認められています。ですので、命令違反にはなりません』


 明確に告げられ、ユーインは返す言葉を失った。


『しかし私ではマスターの元へ行くことは難しい。ユーイン、』


 口に出す言葉を探している間に呼び掛けられ、ユーインは干上がった喉に唾を呑み込んだ。


C.L.A.U.-1シー・エル・エー・ユー・ワンがマスターと共にいると聞きました。であれば、私はC.L.A.U.-1からの信号シグナルを探します。見つけたら、すぐに知らせます。ウィンディ・ドラゴンフライの通信回線を開いておいてください』


 そう言ったブリガンダインが、返事を待たず、地響きを鳴らしながら村から離れていく。それを見送るほか、ユーインには選択肢がなかった。


「隊長、」

「グレンダ、ここで見聞きしたことは他言無用です。アーチーたちにもきつく言っておいてください」


 M.O.V.ムーブが動いたことは、皆が気付いたはずだ。しかもスピーカーで喋っていたヴァージルの声を、少なくとも村の入口に出てきている者たちは聞いている。その中にアーチーもいることを、後方から聞こえる声でユーインは気付いていた。


「私はウィンディで待機します。あちらは任せますよ、グレンダ」


 そう告げ、ユーインはグレンダにフェリオンを預けた。不安げな顔をした少年の頭を、軽くたたいてやる。


 このフェリオンという少年は、ロクサーナのことが心配でならないのだろう。孤児だった彼が身を寄せる相手だ。その心情は理解できる。


 それにしても、ヴァージルだ。あの硬い声に怒りが内包されているように感じたのは、気のせいではない気がする。あれ以上の引き留めを口にすることができなかったほどの、AIらしからぬ強い意志を感じた。それに脅威を覚えるが、それよりも今はロクサーナを見つけることだ。


 ――生きていてくださいよ、ロクサーナ。


 切実な願いをいだきながら、ユーインはウィンディ・ドラゴンフライへと向かった。


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