第2話 グロイデン麻薬

 これは大口の取引だ。


 組織のボス――クトゥブは、明確な期待を持って客人を迎え入れていた。

 非合法な組織の自衛手段としては当然、本来ならば素性の知れない相手をこの根城まで引き込むことはしない。しかし今回に限ってここに客人を案内させたのは、相手の要求する量が、ここにめているものでなければ対応できなかったためだ。


 勿論、身辺調査はそれなりにおこなっている。


 仲介役をさせたセバスターという老人は、かつて創始三氏族の一つソタティ家と直接取引をする商人だった。その経験から、彼は貴族の内幕をある程度知っている。そして、取引を持ちかけてきた女がそちら側の人間であることを、セバスターはすぐに見抜いていた。二、三質問することで、かなり内幕の存在であることも判明したそうだ。


 しかし、近くの都市を治めるカイレン家の人間ではない事もはっきりしている。カイレン家の領内で麻薬をさばいているのだ。カイレン家にいずれ目を付けられることは分かっている。ゆえに、クトゥブは主要な人物を全て把握していた。セバスターに聞いた取引相手の女の容姿は、その中の誰でもなかったのだ。


 捜査官が貴族の一員を演じている可能性をクトゥブは考えたが、セバスターに否定された。気品、言葉遣い、所作はそう簡単には身に付かない。特にふとした時に見せた言動から化けの皮が剥がれなかった点から、本物であると判断したのだという。セバスターはこの組織で最も高齢の男だが、信用に足る男だ。その老人がそこまで断言するのであるならと、クトゥブも女を受け入れたのだった。


 カイレン家では麻薬を厳しく取り締まっていることから、この若い女は他の二氏族からか、もしくは他の惑星から派遣された代理人エージェントなのだろう。

 上流社会で一流の娯楽が求められるのは、なんら不思議なことではない。しかし領民に禁止している手前、大っぴらには使用しにくい。


 それゆえの、極秘で大口の取引相手なのだ。組織のボスとしては、闇社会での権力拡大に大きく影響する旨味もあった。


「早速、現物を確認させてもらおうかしら。ただの白い砂粒を持って帰ったら、あるじに文字通りクビにされかねませんから」


 若い女がテーブルに近付いてきて、持っていた小瓶を置いた。


 発言から、この女は高貴な、おそらくは女貴族の相談役コンパニオンでもあると予想できた。高級貴族自らがたった一人の供だけで、このような場に来ているのは不自然だ。だが、それでいて高級貴族の生活の内幕を知っているという立場は、相談役コンパニオンが妥当だろう。


 クトゥブは片手を上げ、手下に指示を出した。その指示を受け、奥からカートが押し出されてくる。幼子であれば六人が立って入れそうな大きなカートいっぱいに皮袋が詰められている。


「あら、確かに大漁ね。全て本物?」

「もちろんでさぁ。純度も保証しますぜ」


 クトゥブは女に対し、少しばかり丁寧な言葉遣いで答えた。

 

「試させてもらっても?」

「構いやしませんが、さっきも言ったとおり、純度が高い。そのまま舐めると、一口でイっちまいますぜ。何か飲み物に混ぜないと……おい、ワインを持って来い!」


 手下が動き出す前に、若い女が片手を挙げた。


「それには及びません。こちらで調べるすべを用意しています」


 そう言って、女の手が置いていた小瓶に触れた。

 小瓶の中で、透明な液体が僅かに揺らいでいる。

 

「その前に、俺には別の商品を見せてくれないか」


 割り入るように声を上げたのは、女の傍にいる大柄な男だった。


「いるんだろ? 女が」


 なかば断定したように問われ、クトゥブは少し考えた。

 手下たちの視線が集まったのを感じながら、損得勘定から要望に応えることを選択する。 


「本来、売り物じゃねえが……。今回は特別に一人二人くらいなら、取り引きしましょう」

「うっひょ~! たまんねぇなあ。近頃女日照りで参ってたんだよ」


 男の態度には、貴族らしさは全く感じられない。おそらくは女の雇った用心棒といったところなのだろう。


「奴隷ではなく売春の方か……。まあ、いい。とりあえず案内してやれ。値段については、この後決めよう」


 クトゥブの発言に従い、手下の一人が大柄な男を奥へと連れて行く。それを見送る若い女の視線は、男の背中を睨んでいるようだ。


 あの男が用心棒であるならば、護衛対象を置いていくという行動は非難されて当然だろう。しかし、この状況では多勢に無勢。そう考え、クトゥブは男の行動の理由を少しばかり予想した。あの用心棒は手っ取り早く自分たちに馴染んだ方が、結果的に護衛対象を守れると考えたのかもしれない。


 クトゥブにとっては、そんな用心棒の考えは歓迎すべきものだった。こちらとしては、取引がしやすくなる効果がある。孤立させられた者は心理的に強くなりづらいからだ。一人で置いていかれたこの若い女は、今まさにそういう心境に違いない。対して余裕のできたクトゥブは、女の行動を快く許可した。


「いいですよ。好きな袋で調べてください」


 女がカートに寄り、積まれている袋に確かめるように触れていく。黒光りする籠手ガントレットとは対照的に手指は色白で、その所作には高貴な女ならではのたおやかさがあった。


 幾つか触った後、結局取りやすい一つに決めたようだ。女が近くに立っている手下に、それをテーブルに置くように示した。その手下が女に従わず、自分に目線で確認を求めてきたため、クトゥブは頷いてやる。

 手下によって一つの袋がテーブル上に置かれた。


「中身を少し、そこへ出していただけるかしら」


 これにも手下は、女を承認したクトゥブの指示を伺ったうえで従った。

 テーブル上に白い粉が小さく盛られる。

 それを見下ろしながら、女が小さく頷いた。


「グロイデン麻薬。何から採れるかご存じよね?」

「無論、ハルカカの実ですよ」


 高山植物ハルカカ。それの栽培から管理しているので、知っていて当然だ。


「ハルカカは、初期入植者ファウンダーズが見つけた優秀な麻酔薬でもある。でも、ある加工行程をさせると、服用者に幸福感を与える効果を持たせられる。そこまでなら良かったのかも知れないけれど、その幸福感の強さから、強い依存性を持つ。ゆえに、社会を腐敗させてしまう麻薬として、グロイデンという名を与えられてハルカカとは区別され――いえ、取り締まられている」

「ははは。講釈をありがとうございます。勿論、作っている俺たちは知っていますがね」


 クトゥブはなかば呆れながら笑った。しかし若い女は、そんなことはお構いなしのように続ける。


「問題は、見かけだけではハルカカなのかグロイデンなのか、すぐにわからないことよね。舐めれば判るのだけれど、先程あなたが言った通り、危険。だから――」


 若い女が、テーブルに置いていた小瓶を持ち上げた。栓を抜き、その上で片手を振ると、立ち上る香りを嗅ぐように布で隠された鼻先を寄せる。


 小瓶が傾けられ、白い粉の上に、雫が二、三滴落とされた。たちまち、白い粉が紅く色を変え、クトゥブは驚く。鮮やかな変化に、周囲から「おおっ!」と声が漏れた。


 その時、奥から何か騒ぐ物音がした。どうせ女が暴れたのだろう。クトゥブは目の前の光景の方を優先し、奥の方にいる二人を指差すと、様子を見てくるよう指示を出した。


「紅く変わったから、これはグロイデン麻薬で間違いないわね。しかもこの色合い。確かにかなりの純度だわ」


 若い女の声で、クトゥブの意識はすぐに引き戻された。


「ははぁ。そんな識別方法があったのか。……何という薬なんで?」

「スワンマン。多肉植物の花から採れる香水よ」

「ほほう、香水で……」


 クトゥブは感心して女の持つ小瓶を眺めた。一見、何の変哲もない無色透明な液体だ。これほど簡易な識別法があれば、これからのグロイデン麻薬の運用が変わりる。取引相手に信用させる良い材料となるだろう。


「ハルカカでないなら、違法で確定ね」


 女の言葉に、クトゥブは眉をひそめた。言われた内容は真実なのだが、その違法性をとがめるように聞こえたからだ。


 その時、奥から慌ただしく不規則な足音が聞こえてきた。振り返れば、奥に送り込んだ内の一人が転がるようにして戻ってきている。


「大変だ! あの男、突然暴れ出して、女の部屋に閉じこもりやがった!」

「何だと!」


 報告を受け、クトゥブは驚きつつも立ち上がった。

 そんなことをする大柄な男の意図が分からない。分からないからこそ、クトゥブは咄嗟に男の連れである女に視線を戻した。


 女が小瓶をマントの中に引き込み、後ろに下がっていく。そうしながら、女のもう片方の手が剥ぎ取るようにしてフード付きマントを脱ぎ捨てた。下から露わになったのは、革上衣レザーベストに両手の籠手ガントレット。足を完全に隠すパンツスタイルで、編み上げの黒いブーツ。まさに戦士の出で立ちだ。顔立ちは整っており、少し幼さを残した美しさがある。うねりのある、肩ほどまでの艶のある黒髪。その髪色と色白の肌に映えるあおの瞳が、この状況で驚くほど落ち着き払った様子でこちらを見ている。その口元に浮かぶ微笑みは、常の表情なのだろうと思わせられる自然な形だ。


「ここまでね。観念なさい。私はM.O.V.ムーブ乗りよ」


 クトゥブは女が発した宣言に、驚きと同時に怒りを覚えた。周囲の手下たちは困惑しているようだが、そんなことには構わない。壁際にいる、杖をついた老人――この女たちを案内してきたセバスター――を睨みつける。


「騙されやがったな! こいつは貴族なんかじゃねえ。捜査官だ!」


 そう非難しながら断定すると、手下たちの表情が引き締まった。近くにいた手下に胸元を掴み上げられたセバスターだけは、未だ納得できていない様子だ。


「いや、そんな……馬鹿な」


 もごもごと白い髭の下の口を動かし、正体を現した女を見つめている。


「ちょっと! 老人に暴力は止めなさいよ。その人は間違っていないわ。私は惑星ザルドの太守トリスタン・カイレンの娘、ロクサーナなのだから」

「何だって……?」


 クトゥブが耳を疑ったと同時に、セバスターが視界の端で杖を取り落とした。


公女プリンセス!? まさか、それほどの……」

「立場上は、ね。見ての通り、おてんばだけれど」


 ロクサーナと名乗った若い女の片目が一瞬、浮かべられた笑みと共に閉じられた。




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