第38話 シュナイダー商会

 シュナイダー商会というのは、ルックの支援者パトロンが会長を務める商会らしい。そんな彼の仕事場を兼ねた邸宅は、泊まる予定だった宿の更に奥の筋にあった。少し潮の香りがしているため、邸宅の向こうには海が見えるのだろう。すすの被害が少ないと思われる海側であるので、おそらく金を持っている者たちの豪邸が集まりやすいのだ。


 大きな通りに面しており、広い庭があり、三階建てで奥にも広そうな邸宅である。隣には倉庫群があるようで、視界を遮っている塀の上に三角屋根が連なっている。そちらにも門があり、労働者らしき者たちの出入りが見られた。


 ロクサーナはルックを支えたまま、奥に邸宅が見えている方の鉄製の門に近付いた。二人の門番がこちらに気付いたようだ。驚いたような表情と共に、声が上がる。


「ルックさん! 一体どうしたんです!?」

「ああ~ちょっとな。ひとまず彼女たちも一緒に中へ入れてくれ。それと、旦那さんに連絡を頼む」

「わ、分かりました! どうぞ」


 ルックの指示に、門番たちが慌てた様子で門を開いてくれた。その内の一人が奥へと駆けていく。


 ロクサーナはフェリオンを振り返ってうながし、門の内側へと踏み入った。腰の剣帯に差していた細剣レイピアを鞘ごと抜き取るとフェリオンに渡す。無用な懸念をいだかれないための備えだ。


「フェリオン、ここで馬と荷物を見ていてくれる?」

「ああ」

「ありがとう。なるべく早く戻るわ」


 ひとまずは、ルックを何処どこかへ落ち着けなくてはならない。ロクサーナはフェリオンに馬二頭と荷物、C.L.A.U.-1クロウ・ワンの面倒を頼み、ルックに指示されるまま邸内へと入った。




 辿り着いたのは、広々とした客間だった。中央には猫脚の長椅子が向かい合わせに置かれており、その間には楕円形で金縁の硝子ガラステーブル、傍には二人掛けほどのスツールもある。来客が多い際に使われるのだろう。


 奥には中庭があるようだ。その近くにも背凭せもたれのある長椅子が置かれている。今のルックを座らせるには、周囲に物が少なく丁度良い。


 ひとまず、ロクサーナはルックをその長椅子へと慎重に座らせた。左腕が背凭れに触れたのか、ルックの眉間に深いしわが寄る。それでも彼は深く息を吸って吐くことで、痛みをこらえたようだった。


「ふぅ~、助かったよ、お嬢さん」

「どういたしまして」


 目的地へ無事辿り着けたことに、ロクサーナは安堵した。ルックの顔色は悪いが、悪すぎるほどではない。


 傍のテラス窓は開かれており、中庭の大きな緑葉の植物が彩りを添えている。覗き見てみれば草花は整えられて咲いており、よく手入れされているように思われた。四方を囲むように部屋が見える。どこからでも庭に出られるようになっているのだろう。


 落ち着いた色のカーテンを壁に留めているタッセルの房飾りは、優しい羊の毛色だ。明るく華やかでいて落ち着きがあり、中庭を含むこの客間は、実に好ましい空間である。


 そこへ、せわしない足音がやってきた。


「ルック! 怪我をしたって!?」


 慌てたような男の声に振り返れば、白髪混じりの髪と髭の男の姿があった。白髪混じりといっても全体的に清潔感があり、後ろへと流されている前髪は優しげなラインをえがいている。着ているシャツの質も良い。彼の姿はこの客間にとてもよく馴染なじんでおり、おそらくは彼が、この邸宅のあるじなのだろう。


 彼を追いかけるようにして、二人の男女もやってきた。一人は灰色のシャツの丸眼鏡の男で痩せ型、女は赤褐色の髪を一つにまとめ上げており、ぴんと背筋の伸びた美人だ。彼らはすぐにルックの傍に寄り、怪我の具合を確認し始めた。その慣れた手付きから、どうやら男の方には医療の心得があるようだ。女の方も、初めてではなさそうである。


「すまねぇ、馬鹿やっちまって」

「まったくですわ! どれほど大切な時期か分かっているはずでしょう! 貴方あなた一人の問題じゃあないんですよ!」


 怪我を免れた右手で頭を掻いたルックを𠮟りつけたのは、女の方だった。怒っているような態度とは裏腹に、その真剣な眼差しからはルックを心配しているのが見て取れる。そんな彼女に対し、ルックが眉尻を下げ、申し訳なさそうに彼女を見上げた。


「ごめんな、ソフィー」

「本当に貴方あなたって人は心配ばかりかけて……!」


 ソフィーと呼ばれた彼女の目が、今にも泣き出しそうにうるんだ。


 その時、大きな人影が部屋に入ってきた。気配に首を巡らせたロクサーナは、その巨漢が放つ迫力に思わず体ごと向き直り背を伸ばす。しかし、その黒スーツの巨漢はロクサーナとルックをチラリと見ただけで、無言のまま主人と思われる初老の男の後ろに立った。どうやら護衛のようだ。


 ロクサーナは自分が知らずに拳を固めていたことに気付いた。愛用の細剣レイピアを帯びていないことが気になったが、すぐに考えを改める。礼儀として外して入ったのは正解だった。帯剣していれば、この護衛の態度は大きく変わっていたに違いない。


「ソフィー、フィンと一緒に、ひとまず部屋でルックの手当をしておあげ。落ち着いてから、話をしよう。いいかい、ルック」

「はい、本当に、すみません……!」


 初老の男の促しに、悲壮感さえ漂わせ、心底落ち込んだ様子でルックが頭を下げた。やはり彼がルックの支援者パトロンで間違いないのだろう。そう思っていると、二人に支えられて立ち上がったルックの視線が、慌てたようにこちらに向けられた。その視線は、すぐに初老の支援者パトロンへと移動する。


「だ、旦那さん! このが俺を助けてくれたんだよ。お礼をしたくて、だから、後は頼みます!」

「ああ、分かった。とりあえず、お前はしっかり手当てをしてもらいなさい」


 初老の男がなだめるように言い、ロクサーナもルックから向けられた視線に笑みで応えた。礼などもらわなくとも、そもそもルックに助けてもらったことから知り合ったのだ。「気にしなくてもいい」と伝えようとしたが、ルックはあっという間に客間から連れられていく。


「お嬢さん! 絶対に居てくれよ、頼む! ちゃんとお礼をさせてくれ!」

「え、あ、」


 困った。ルックを送り届けたからには、もう後は宿に行くだけなのだ。そんなに必死に礼をしようとしなくても良いのにと思う。


 ほんの小さな溜息が、ロクサーナの耳に届いた。ルックを見送っている初老の男が漏らしたものだろう。

 振り向いた男の頬は、困ったように緩められていた。


「挨拶が遅れて大変申し訳ありません。私はシュナイダー商会のアンスフェルム・シュナイダーと申します。この度はうちの者が大変ご面倒をおかけしたようで……。お助けいただき、誠にありがとうございました」


 丁寧な挨拶が伸べられた。そのことにロクサーナは内心で感心しながら、それに応じる。


「ロクサーナと申します。こちらこそ、彼には助けていただいたのです。気にしないようお伝えください」


 ルックはここで治療してもらえるようであるし、もう心配はらないだろう。自分たちは宿に行って部屋を確保しなければならない。馬も荷を降ろして休ませてやらねばならず、ここに長居する必要はない。


「では、連れを待たせていますので、私はこれで……」

「お待ちください。つかぬことをお聞きしますが、今夜の宿はもうお取りに?」

「え? いえ、これからです。彼に紹介された宿が通りの向こうに。何故なぜ、お分かりに?」


 初老の男――アンスフェルムは、こちらを旅の者でこの町に着いたばかりだと想定しているようだ。ロクサーナは驚きを隠さずに問い掛けた。


 アンスフェルムが、その柔和な笑みを深くする。


「ぶしつけで申し訳ありません。旅装束の具合を見て、そうであろうかと……。もし支障がなければ、ここに逗留とうりゅうなさってくださいませんか。ルックはあれでも、うちが抱えている大事なパイロットでしてな。それをお助けいただいたのですから、充分なおもてなしをさせていただきたい。それに、ここで貴女あなたをお帰ししては、後でルックが騒ぎます」

「それは……」


 旅装束の具合、と言われ、ああ、とロクサーナは納得した。婉曲えんきょくして言ってくれたのだろう。実際、水浴びができたのは何日前か知れないのだ。衣服もそう頻繁に替えられるものではない。

 

 アンスフェルムが真摯しんしに申し出てくれていることが分かり、ロクサーナは辞去を告げようとしながらも迷った。正直にいえば、宿代が浮くのは非常に有難い。少し話しただけだが、このアンスフェルムという男は信用できそうに思う。あのルックも、彼のことを信頼しているように感じられた。あの二人の男女とのやり取りからも、浅からぬ付き合いがあるようだ。


「この町のことも、ご案内できますよ。もう少ししたら、今抱えている仕事が落ち着きます。旅に出る予定なのですが、ぜひ、その前に何かお手伝いをさせてください」


 そこまで言ったアンスフェルムが、ほんの少し、その眼差しを曇らせた。


「今は少し、寂しい町ではありますが」


 そう言われ、ロクサーナはここへ来るまでに見た商店の様子を思い出す。確かに、表通り以外はさびれたような雰囲気があった。彼はこのストラングル・コーストについて詳しいようだ。彼なら、ティアリーが居そうな場所も分かるだろうか? 彼にこの都市について教えてもらうのも悪くないのかもしれない。


 ロクサーナはかすでもなく答えを待っているアンスフェルムを見つめ、これも縁か、と彼の申し出を受けることにした。



◇◇◇



 フェリオンは、二頭の馬と共に門の傍で待機していた。ルックを託したら、すぐに宿へと向かうつもりなのだろうと、荷も積んだままだ。

 ミュウと鳴いたC.L.A.U.-1クロウ・ワンを撫でれば、柔らかさのある体がいつものように震えた。ロクサーナが言うには、喜んでいるらしい。


『ミュッ、ミュッ 』

「あー、アレ欲しいのか?」


 そう問えば、C.L.A.U.-1クロウ・ワンの機械脚の幾つかが荷物から浮き、こちらへと誘うように動いた。まるで手を伸ばして催促しているようだ。


「仕方ねぇなぁ」


 ポケットの中へ片手を突っ込めば、木の実が一粒だけ残っている。それを摘まんでC.L.A.U.-1クロウ・ワンに示せば、更に頭をもたげてきた。


 ティアリーも好きだったなぁ、と思う。ロクサーナが共にいなかった晩餐会の夜などは、ティアリーが木の実をあげ、それをC.L.A.U.-1クロウ・ワンが食べる様を、ひたすら見せ続けられたものだ。


「ほら、最後の一粒だぞ。味わって食べろよ」


 C.L.A.U.-1クロウ・ワンの口元に木の実を持っていけば、指に柔らかい感触が訪れた。頭や体を撫でる時とはまた違う感触だ。少しゾッとするがくせになる。こうしていると本当に機械なのかと疑ってしまうが、荷物にしがみ付いている幾つもの脚の表面には、つるりとした金属の照りがある。


 C.L.A.U.-1クロウ・ワンが立てる小さなコリコリという音を聞きながら、フェリオンは鼻を鳴らした馬の鼻筋を撫でた。彼らも、背中から聞こえる音が気になるらしい。


「よしよし、お前たちにも後で食わせてやるからな」


 そうやってなだめていると、馬の向こうで門が開く音がした。

 門番と女の声がする。


「お帰りなさい、コルノーさん。お嬢様も」 

「ありがとう、少し遅くなってしまったわ。旦那様はまだ倉庫かしら――あら、お客さま?」

「ええ、ルックさんとお客人がいらしています」


 会話から、この家の者たちなのだろうと思う。フェリオンは馬たちを、もう少し端へ寄せようとした。挨拶をした方がいいのだろうか、それともこのまま馬の陰にいた方がいいだろうか――。そう迷っていると、背後に近付く軽い足音があった。それが止まったかと思えば、驚いたように息を吸い込む空気の揺らぎが耳に届く。


「おにいちゃん!? どうしてこんな所にいるの!?」

「えっ……」


 フェリオンは、声の主が誰なのかを考える前に振り返っていた。目の前に立っていたのは、幼い少女だ。この自分フェリオンと同じだとロクサーナが言った琥珀こはく色の瞳が、確かにフェリオンを映している。驚きからか見開れている大きな目が、パチパチとまたたく。


 声が出なかった。これは夢なのかと思う。でなければ、こんなふうにティアリーが目の前に現れることなどないだろう。怪我をしているようには見えないし、顔色もいい。見たことのない高そうな服を着ていて、どこも汚れていない。栗色の髪の一部は綺麗に編み込まれており、一見、金持ちの小さなご令嬢だ。


「おにい……」


 自分を見つめる大きな瞳が潤み、ぼろぼろと涙を零し始めた。可愛らしい顔がくしゃくしゃになり、泣きながら抱き付かれる。確かなその感覚が、抱き付かれた腰元に伝わってきた。


「う、うわぁーん! おにいちゃぁぁん!」


 声を上げて泣き出したティアリーの声は、フェリオンがずっと、ずっと聞きたかったものだった。感情が爆発したような声と、熱いくらいの温かさが、ティアリーの存在をありったけの熱量で現実なのだと伝えてきている。


「ティア」


 やっと、声が出た。

 掠れたような声が出た後は、湧き上がる感情に呑まれる。喉が震えて言葉にならない。

 フェリオンの口から上がるのは、ただただ、泣き声だけだった。


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