第50話 貴方の傍で

「煙幕!?」


 クラージュの正パイロットであるルックは、無論、その装備については知っていた。疑問に思ったのは、その先の戦術についてだ。


 煙の暗幕が降り始めると、四脚M.O.V.ムーブケイローンの足が止まった。ルックが戦っていたなら敵の姿がはっきり見えている内に突撃することを選ぶが、慎重なセローなら様子見を決め込むのが自然だ。まして、それまで応射しつつ後退していたクラージュも動きを止めている。セローは、「何か仕掛けている」と警戒しているに違いない。……いや、事実、ロクサーナは何かを仕掛けているのだろう。しかし、引いた立場で見ているはずのルックにも、その狙いが見えなかった。


「せっかくの煙幕だが……、敵の観覧室からは丸見えなのではないかな」


 アンスフェルムから、心配するような声が上がった。 

 確かにドローンからの映像がそうであるように、逆の観覧室からの景色も、煙幕が妨げにはなっていないと思われる。


「でしょうね。ですが、役立つ助言アドバイスは送れないはずですよ」


 観覧室から闘技者への通信は、適切な戦闘をさまたげないために禁止されている。しかし、手振りによる指示は暗に認められていた。ティアリーがしているように、応援で手を振っているのと区別が付かないからという理由でだ。だが一番の理由は恐らく、パイロットにとっては役に立たないゆえに、放っておかれているのだ。


 一応、手旗や光の明滅によるモールス交信を試みる集団もいる。だが、いくら専用のソフトウェアが光の明滅を文字に換えてくれたとしても、パイロットには戦闘中にそれを読んでいる余裕などない。情報が遅いため、読んだ時には役立たないアドバイスも頻繁に発生しる。だからルックだけでなく多くのM.O.V.乗りムーバーは、観覧室からの指示を頼りにはしていない。


 ただし、有効と判断されている観覧室からの指示もある。降伏をうながす指示だ。M.O.V.ムーブを所有しているM.O.V.乗りムーバーはそれなりにいる――ルック自身もそうだ――が、闘技に集中できる体制を自前で準備できる者は、ほとんどいない。結果、アンスフェルムのような支援者パトロンがいるのだ。実質M.O.V.乗りムーバー支援者パトロンに雇われる契約となるため、進退の判断を支援者パトロンくだすのもすじが通っていると言える。


 煙幕が充分展開されたと思われる今でも、ドローンからの映像ではクラージュの姿がよく見えた。クラージュは自陣へ背を向けている状態だ。そのクラージュが旋回を始めた。そして敵に背を向ける格好になったかと思えば、あろうことか、自陣への出入り口へと全速前進を開始した。


「んなっ!?」


 ルックは思わず背筋が寒くなった。煙幕でセローからは見えていないだろうが、闘技者のグラディエーターズ心臓ハートを相手側にさらす行動だからだ。


「おいおい、ロキシィ……! 何考えてる……?」


 これまでの戦い方を見ていて分かったことだが、ロクサーナはかなり思い切りが良く、度胸がある。そんな彼女が仕掛けようとしているのは一体何なのか。ルックは怖さと同時に、胸の内が躍り出すような感覚も覚えていた。


 モニターを見ているティアリーの肩に右手で軽く触れ、顔を上げた少女をガラス張りの窓の方へと誘導してやる。


「もうすぐ、そこから出てくるぜ」


 ルックは目の前に広がる景色の左端を指差し、自身もクラージュの姿が見えるのを待ち受けた。



◇◇◇



 自陣に戻ったロクサーナは、クラージュの進行を右に向けた。試合開始から僅かな時間しかとどまらなかった自陣だが、今利用しようとしている地形はしっかりと記憶に残っている。


「あった! あれよ」


 ロクサーナは操作盤に手を伸ばし、モニター上の一点にタグを残した。そこには、背の高い木々が並ぶ林がある。


「あの向こうへ移動するわ」

了解ラジャー


 クラージュを操縦しているのは、もっぱらロクサーナだ。ヴァージルは目的地へ至るまでの瓦礫を回避するコースを、連続する線分としてモニター上へ示してくれている。


「後方確認、お願いね」

『イエス、マスター。……追撃してくる敵機の姿は見られません』


 ヴァージルからの報告に、ロクサーナは口元を緩めた。


 これはロクサーナの予想通りだった。おそらくは煙幕の最大の効果ともいえる、相手の警戒心の引き上げ、が効いているのだ。このままでは次の優勢ポイントもケイローンに付く。そんな圧倒的な状況である以上、セローは慌てて相手の策に嵌まる危険をおかす必要はないと考えるだろう。そう読んだからこその、背面を敵に晒しての全速離脱だった。確かに危険な賭けであったし、ヴァージルからは警告を受けた。が、ロクサーナには、ほとんど結果の見えていたチャレンジだった。


「ねぇ、弾倉マガジンの中身を次の分からすことはできないのよね?」

『イエス、そういう仕様です。次の弾倉マガジンを使うには、現在装填状態にある弾倉マガジンを、残っている弾ごと廃棄するしかありません』

「分かったわ。では、弾倉マガジン交換リロード

『イエス、マスター。次が最後の弾倉マガジンになりますが、よろしいですね?』

「いいわ」


 ロクサーナは迷わず答えた。

 もし必要になった時に準備をしていなければ、好機を逃すかもしれない。それは、避けたい。


 今、弾倉マガジンに残っている弾数では、相手の跳弾シールドを破った後の追撃がほとんどできないのだ。勿論、弾倉マガジンからになった後は自動で装填リロードが始まる。しかしそれが完了するまでに、相手のシールドの回復は進むだろう。そうさせないために、ロクサーナは一度に押し切れる継続性を重視した。


『リロード完了。最後の弾倉ラスト・マガジンです』

「ええ」


 答えながら、ロクサーナはクラージュの機動を続ける。塔から見てやや右奥に見える林の裏には、もう少しの所まで来ていた。


『敵影、未だ見えず』

「想定通りよ」


 指定した地点まで辿り着いたロクサーナは、クラージュが近くの敵陣出入口――ロクサーナが出入りしたのとは違うもう一つの進入路――へと向くように姿勢を整えた。


「これが最後のチャンスね」


 ヴァージルには、煙幕を張った後、大まかに狙いについて伝えている。


「……成功率が低い、とか言わないのね?」

『算出するためのデータが圧倒的に不足していますので』

「ふふ。それだけ、無茶な戦術ってことよね」 


 ロクサーナは笑いながら、操作盤をいじった。今、右側面モニターに映っている画像は、クラージュから見て右の景色だ。しかし、それは幾つかあるカメラ画像の一部分でしかない。それを、自身が先ほど抜けてきた敵陣との出入口付近がよく映るよう切り替えた。


 正面モニターは本来のままだ。正面モニターの中央からやや右の箇所から、戦場を仕切る大壁が右へと延びている。それがしばらく続いた後、塔が現れ、また、壁が画面の端まで続く。塔の上に視線をずらせば、円周がやや広くなった観覧室が見えた。


「ヴァージル。塔の上の、観覧室の拡大画像を出せるかしら? 正面モニターの右上あたりに小さいウィンドウを重ねる形で。ティアを映してくれない?」

『申し訳ありません。拡大画像は画面中央表示に固定されています。設定構築にしばし時間をいただけますか?』

「いいえ、それなら不要よ。左側面モニターに出してちょうだい」

『イエス、マスター』


 正面モニターの画像だけでもティアリーの姿そのものは確認できるが、左側面モニターに拡大された映像では、その表情まで認められた。可愛らしい頬を少し引きらせ、緊張しているようだ。


 自分が側に居られないため、代わりに兄のフェリオンが居れば良かったのだが、アンスフェルムの家の仕事を手伝っているらしいので仕方ない。


 試合会場に向かう前、アンスフェルムから聞いたのだ。その時は驚き、心配にもなった。目の届かない場所でいられれば、何かあってもすぐに助けにいけない。だが、ロクサーナはフェリオンを引き戻そうとはしなかった。ストラングル・コーストへと至った旅路でのことが、ロクサーナの中で思い出されたからだ。元から子供の身で幼い妹の世話までしていたのだから当然といえば当然なのだが、ロクサーナ自身よりよほどたくましいところがあるのは認めざるを得ない。それに、フェリオンが自身で選択して動いたのだ。その自主性は尊重してやらねばと思う。


 逆に、様々な出会いと出来事から、ロクサーナは自分がまだまだ至らない存在だと思わされていた。自分はまだ扱いされて当然なのだ。そんな自分が今では、充分できているわけではないが、二人の子供の保護者になっている。母星ザルドで太守の娘として暮らしていた頃には、まるで想像できなかった変化だ。


 こうして良く知らないM.O.V.ムーブに乗り、戦っている今も、その場その場で選択してきた結果として悔いはないが、改めて考えると不思議な体験をしていると思う。変化の目まぐるしさは恐ろしいといってもいいレベルだろう。それなのに、これぐらいの年代のが抱いて当然の不安を、あまり感じてはいない気がする。


 それは何故だろうと自問し――、すぐ、ロクサーナには答えが浮かんだ。ひとりではなかったからだ。もし独りであったなら、今と同じ道筋を歩いていたとしても全く異なっていただろう。緊張の糸が張り詰めた状態でいつそれが切れてもおかしくない、余裕のない心理状態だったに違いない。そうなっていないのは、心の支えとなる存在が傍に居てくれたからだ。いつも安心させてくれる存在が、声をかけてくれていたからなのである。


 改めてそのことを自覚すれば、胸の奥にうずくような熱さが生まれた。


「ねぇ、ヴァージル――」


 呼びかけた、その時。


『前方より敵影! ――イエス、マスター。何でしょうか』


 声が重なるようにして、ヴァージルから報告が発せられた。ロクサーナはそれを受け、思索を打ち切る。


「いいえ、何でもないわ」


 今は目の前のことに集中しなければならない。ここからだ。ここからが、仕掛けの本番なのだ。宇宙に漂うウェーブに乗るが如く、狙った大波ビッグウェーブに乗り切れるかが勝負の分け目となるだろう。


 気持ちを奮い立たせ、ロクサーナは正面モニターに映るケイローンを見据えた。



 


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