第51話 ビッグウェーブ・ライダー
「両側面モニターを
『イエス、マスター』
ロクサーナが戻って来た出入口とは逆の、今ロクサーナがいる場所から近い出入口からケイローンは侵入してきていた。これもロクサーナの予測通りだった。これまで慎重だった相手ならば、煙幕を抜けては来ないだろう。煙幕が晴れるまで待つほど消極的でもない。ならばセローが採る可能性が一番高い手は煙幕を
ロクサーナは気運の高まりを感じていた。セローがこちらの仕掛けに乗ってきてくれない可能性も、大いにあったのである。彼が
それでも、セローはやってきた。彼の闘技者としての
セローもクラージュの存在に、すぐ気付いたようだ。林の向こう側に位置しているとはいえ、木は視界を遮断するほど密集しておらず、そもそもクラージュの肩から上は
ロクサーナはクラージュを左へ向け、上半身だけを右に戻して後退する。そして、林が途切れた場所で静止した。
「ヴァージル、
『
ヴァージルの指令により、クラージュが登録されていない姿勢を取る。
対するケイローンは、平行に持った
さあ、これで最後の勝負が始まる。ロクサーナはもちろん緊張していたが、自然に浮いて出ていた唇の緩みに気付き、自分がこの状況を楽しんでいることも自覚していた。少なくとも、セローは勝負を挑むのに
「ヴァージル、構えを――」
ロクサーナが言い切る前から、クラージュが動作し、立てていた
だが、この場所を選んだのはロクサーナだ。セローからすれば、防御を
跳弾シールドのおかげで被害はない。だがロクサーナはクラージュを前進させ、再び林の陰に入った。銃弾は葉や枝を飛散させながら変わらずクラージュを狙うが、着弾ポイントの確認はし
ケイローンの動きが変わった。
セローは、真意の読めない挑発に簡単に乗って来るような相手ではない。しかし前面に出しているクラージュの右腕のハードボックスのポイントが全て奪われている、ということが、説得力を増した要因になった
「ヴァージル、右腕の動きは任せます。防御を厚く、
『イエス、マスター。お任せください』
「くッ!」
激しい打ち合いの中、ロクサーナは歯を食い縛りながらクラージュを前進させていた。下半身の進む方向は、林の伸びる向きとほぼ平行だ。
林を挟んでの近接戦闘。射撃とは異なり、払う攻撃では樹々によって攻撃対象が見えないことが大きな障害とはならない。樹々を揺らしながら、クラージュとケイローンが互いの得物を振るう。ハードボックスを狙えなくとも、互いの打撃がコックピットに衝撃を与えていく。
進むクラージュに対し、ケイローンは
結果、クラージュはまたケイローンの周りを動く軌道を取る。ただし、今回は
林が途切れた。
木々の向こうから現れた敵機に目もくれず、ロクサーナは少し離れた場所にある第二の木立を目指す。この二つの林の位置関係が重要なのだ。二つの林は今、ケイローンを中心として弧を描くような位置関係になっている。クラージュの旋回しつつ攻撃をする軌道の中央線として林があり続ける配置だ。そうなるように、ロクサーナはケイローンを誘い込んでいたのである。
両機が次の木立を挟む位置関係に変わる直前、ロクサーナは操作盤の一つで準備していたボタンに拳を振り上げた。
「えい!」
ボタンを叩けば、小さな爆発音が上がった。
「照準をこちらへ!」
『
ヴァージルの声と共に、
ロクサーナの視線の先にあるのは、ケイローンの左後方にある建物の基部だった。ヴァージルが既に推定計算し、赤いマークがそこに重ねて表示されている。
ロクサーナは右操縦桿に付いているカバーを親指で押し開けると、ボタンを押し込んだ。また小さな爆発音が上がり、
「ヴァージル、今よ!」
『衝撃に備えてください!』
ヴァージルの返事が終わらない内から、モニター中央に大きな「2」が表示され、それはすぐに「1」に変わる。数字が「0」になった瞬間、ヴァージルが警告していた大きな衝撃がロクサーナを襲った。だが数秒と経たずやってきた次の衝撃の方が、ずっと大きかった。
「んんんんッ!」
全身を激しく揺さぶられる中、ロクサーナは意識を保つことに全集中していた。今回の戦いが始まってからの、一番大きな衝撃だ。叫びたくなるのを、それすら危険だと歯を食い縛り抑え込む。
生じた衝撃は、ヴァージルが機動した両膝の伸展による小ジャンプと着地によるものだ。ジャンプとほぼ同時に小さな爆発も発生していた。
「ぇえーいッ!」
ロクサーナは気合いを振り絞り、クラージュが左旋回をするよう操縦桿を傾けた。何かのエラーを告げる警報がけたたましく鳴っている。クラージュの旋回は当然ブリガンダインに比べて遅いが、それよりも自身の回復が間に合うかどうかがロクサーナにとっての懸念点だった。世界が揺れ、上下左右の感覚があやふやだ。まるで身体の芯がずれているような感覚で、操縦桿をしっかり握っていなければ
正面モニターに映る画像が、右へと流れていく。空間的な認識は、まだぼけている。
第一の木立が見えてきてようやく感覚がはっきりしてきたが、同時に乗り物酔いになったような吐き気も湧いてきた。ロクサーナは荒い息を吐きながら眉を寄せ、意識を集中するように努める。
木立が画面の右に消えると、ようやく目当てのケイローンの背中が見えた。
初めて目にする敵の
だが、ここで誤算があった。
「え……」
今使用しても届かないほど両機の間が
有効射程に取り入れようとするが、その間にもクラージュの姿を見失っているケイローンは旋回を続けている。
――間に合わない……!!
ロクサーナは
まだ衝撃によるショックが残っているのだ。思考は回るのに言葉が出てこない。
クラージュの操作に慣れているルックであれば、自然と手が動いて切り替えられるのだろうが、その習熟をヴァージルとのやり取りに任せきってきたロクサーナには、
ただ、好機を
相棒たるヴァージルが、命令がなくともロクサーナの思考を読んだのである。
照準がロクサーナの視線に重なった。
勿論ロクサーナが見つめているのは、敵の
「そこーーっ!!」
心からの叫びは言葉となった。
左肩に搭載された
だがその時には、ケイローンは
それでも、ロクサーナはトリガーを引き続けていた。しかし弾丸はすぐに尽き、画面の隅には「
終わった……、とロクサーナは大きく息を吐いた。ずっと聞こえていたが、気にする余裕がなかったエラー音が急に耳障りに思えてくる。だが、その詳細を確認し、音を切る操作をする気力は、今のロクサーナにはなかった。ヴァージルにそう命じる気力すら涸れている。
『ハンドアックス、ダガー。装備完了』
その時、変わらないヴァージルの冷静な声で報告が
「ふ、……ふふふっ」
ロクサーナは思わず笑った。自嘲を含んだ笑いだ。
目前に見えていた勝機を失った反動で、ロクサーナの闘志は見事に消え失せていた。それでも変わらぬヴァージルに、ロクサーナは「AIってすごいわねぇ」とまるで第三者のような感覚で思う。
その時、頭上で大きな花火が炸裂したような音が聞こえた。
◇◇◇
木立を挟んでの攻防は、塔から見ているルックには何が起きているのかよく分からなかった。肉眼では、ケイローンと樹々のせいでクラージュが
「何が起きているんだ?」
アンスフェルムのぼやきに、ルックも同意する。
「分かりません。ただ――」
「ロキシィは防御を捨てて、攻撃主体で迎え撃つつもりのようですね」
「それって大丈夫なのかしら、もう
不安そうに言ったソフィーの意見は
「ここまで充分戦ってくれたんだ。後はロキシィの好きにさせてやろう。大きな怪我さえしなけりゃいいさ」
これに、アンスフェルムが頷いた。
彼もそのことに不満はないようだ。
「そうだな。君、白旗の用意をしておいてくれ」
アンスフェルムの指示に、護衛の一人が頷き動いた。
ルックはそれを聞き、こちらからの降伏指示をロクサーナが受け入れないかも知れないことを不安に思った。戦っている側からすれば、観覧者の心配など頭に入っていない。興奮している頭では足を引っ張られているとさえ感じるものだ。そういう気持ちは常々体験しているだけによく分かる。
しかし、そうなってしまうと、セローの方が信頼できた。こちらで振られた白旗はケイローンのサブカメラにも拾われる
だが、こうしたルックの考えは全く予期していない形で裏切られた。木立を挟んでケイローンと打ち合っていたクラージュが、急に加速した動きを見せたからだ。
「え!?」
見えにくい状況だったため、変化に気付いたのはルックだけだっただろう。周囲からルックの驚きについて説明を求めるような視線が集中したのは認識できたが、ルックは二機から目を離せなかった。
クラージュの加速に反応して、ケイローンの旋回が早くなる。が、その旋回は、クラージュの位置から遠ざかる方向だった。どうやらケイローンはクラージュを見失ったらしい。もしかすると、仕様上の視界が狭いのかも知れない。だが、そうなった最大の要因は、きっと二体の
本来、木立は障害物にはならない。
セローの旋回は、相手がどう動くだろうという予測があり、それに従って先に行動しているからこそ優位であり続けた。それが揺るがされ、しかも予想の先を越えて進まれた時、生じるのは
外から見ている者にとってはあれほど大きな
「まさか、そのための木立の利用か」
ルックはロクサーナのセンスに舌を巻いた。勿論、セローがうまく対応できていた可能性もあった。見失ったと思った時に逆回転をしていたかもしれないのだ。だが今のところ、ロクサーナは賭けに勝っている。
ケイローンが時計回りに旋回し、クラージュは反時計回りの機動をする。索敵をしながらなのか動きに迷いの感じられるケイローンに比べ、クラージュの旋回は早い。そして、必然的に成立する、クラージュによるケイローンの背面取り。
「しめた!」
ルックの叫びを、今度は
クラージュの
「どうだ? ……」
ルックは思わず
旋回を続けているケイローンに対し、角度は厳しかった。そもそも、
そうしてまた向かい合う二機。しかし、運営からは試合終了を告げる合図はなかった。ルックの目にも、ケイローンの
「不発か」
アンスフェルムが唸った。
二機の距離が広がったことでクラージュが見やすくなったルックは、その姿に違和感を覚え、アンスフェルムから借りた小さな望遠鏡を目に当てる。拡大して確認したクラージュには、やはり
「こりゃ、白旗を揚げた方がいいぞ……」
ルックは呟き、そう告げるためにアンスフェルムへと視線を向けた。
クラージュの補助装備は、二つとも稼働状態にあったのだ。ロクサーナは未だ戦う気でいる。だが勿論、勝ち目はないことは明白だ。これ以上無茶をさせ、怪我など負わせるわけにはいかない。
その時、頭上――塔の直上だと思われる――で一際大きな炸裂音がした。花火が
「うわぁ……!」
ティアリーから憧れが混じった溜め息が上がった。観覧室から見えるのは、消えゆく火花の端のみだ。それでもティアリーには嬉しかったらしい。
その瞬間ルックが想像したのは、ロクサーナの降伏だった。そうすべきだと強く思っていたからだが、すぐにそうすべきだと考えていたことと現実が反していることに気付く。アンスフェルムへの進言は
「……てぇことは、つまり……?」
理屈では答えは出ていたが、意外さから繋がらない。そんな状況を、アナウンスがはっきりさせる。
『試合終了! 勝者、クラージュのルック・ブリーガー!!』
「いやいや、俺じゃねぇよ」
ルックが反射的に呟くと、アンスフェルムの呆然とした溜息が聞こえた。
「これは……、一体何が起こったんだい?」
それは、ルックも知りたいことだ。
ルックは望遠鏡ですばやく両機を観察した。
「そうか……! ヒビですよ!」
「ヒビ?」
「ええ! 背後からの攻撃は確かに敵の
「じゃ、じゃあ!」
ルックの説明は最後までできなかった。ソフィーが口を挟んだからだ。
「本当に、勝ったのね!?」
ルックは束の間考え、自分が言い掛けていた内容は
「ああ。勝っ――」
「ロキシィねぇさま、かったの!?」
次はティアリーに発言を邪魔された。隣を見下ろせば、目を輝かせてこちらを見上げているティアリーがいる。
ルックは微笑んだ。
「ああ、小さなお嬢さん。逆転――」
今度は自分で言いかけたのを止め、言い直す。
「――いや、ロキシィの大逆転勝利さ!」
「ヤッターー!!」
キーンと頭の上へ突き抜けそうな高い声が、ティアリーから上がった。そのまま、腰に勢い良く抱きつかれる。ルックはまだ「キャー」と叫び続けているティアリーの嬉声に、目がチカチカする感覚を覚えた。軽く頭を振り、気を取り直す。びっくりしたが、それだけ嬉しさが爆発したのだろう。肩口では、ミュゥミュゥと喜んでいるらしい声が耳元を
「あぁ、本当に、大したもんだぜ……!」
クラージュに、勝利を
望遠鏡を三角巾の中へしまうと、ルックは
ふと視線を感じて顔を上げれば、ソフィーと目が合った。無垢な少女に先を越されて寄るべき場所を失ったからか、微妙な笑みを向けられる。それに苦笑しつつ、ルックはティアリーを撫でていた右手で自身の頬を掻いた。
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