第52話 ちょっとした悪戯
「勝った、の……?」
自分でも信じられず、ロクサーナは呆然としていた。この耳で聞いた花火の音とアナウンスが、夢であったような気さえしている。
『おめでとうございます、マスター・ロクサーナ。お見事でした。私の予測を上回る結果です』
「あ、ありがとう……。でも、勝てたのは
ロクサーナは感謝を示し、操縦桿をタップした。
パシュッ!
小さな爆発音がして、ロクサーナは顔を上げた。正面モニターに映るケイローンの
「あれって割れたのね」
驚きから、ロクサーナは呟いた。口にしてみると、それは当たり前だと思えた。クラージュの
そうとは知らず、ロクサーナはケイローンの片腕の機動を
『見事な戦いだった』
ケイローンから、セローの声がスピーカーで発せられた。
「ヴァージル、返礼を。それから、スピーカーを開いて」
『イエス、マスター』
ヴァージルによって、ハンドアックスがクラージュの前で斜めに掲げられる。スピーカーがオンになったアイコンが画面端に表示されたことを確認し、ロクサーナは口を開いた。
「こちらこそ、敬意をお返しします。私が勝てたのは運が良かったからでしょう」
『フフフ、運は全ての闘技者に必要なものだな。とにかく、そちらの防御の豊富さには驚かされた。こちらは両手の動きの組み合わせで多彩な軌跡が取れるようにしているのだが、まさかそれに対応できるほどの型を用意されているとは思わなかった。もしかするとこの一戦は、
ロクサーナは答えられなかった。多彩な防御の型だと褒められた部分は、ヴァージルの能力に頼っていたからだ。
『最後の機動は、恥ずかしながら……、
セローの楽しそうな笑い声が届いた。
『今回ほど上映が楽しみな戦いはない。見て確かめねばな』
「光栄です。ですが、私はただ必死に動き回っていただけですわ」
『ハハハ、
セローがまた笑うと、ケイローンの
『では』
「ええ」
ケイローンが旋回し、自陣へと戻って行く。ロクサーナはスピーカーを切る操作をしてから、障害を示す警報が鳴りっぱなしだったことに気付いた。きっとマイクを通してセローにも聞こえていただろう。途端に恥ずかしくなったが、今更だ。
「ヴァージル、警報を切ってくれない? 何のエラーなのかしら」
そう言えば、すぐに警報が鳴り止んだ。
『脚部の障害です。着地の衝撃でサスペンションに不具合が生じています』
「ああ……、だから動きが悪かったのね」
ケイローンを射程内に取り込もうと、フットペダルを踏み込んだ時のことを思い出す。もし旋回にまで影響が及んでいれば、
「やっぱり、運が良かった」
改めて、ロクサーナは幸運を噛み締めた。
同時に、試合に勝ったのだ、という実感もじわじわと湧いてきた。少しは恩返しができたかと思えば、自然と心も軽くなる。
「この運は
ロクサーナもクラージュを塔の基部へと向けた。
そこではたと、ロクサーナは気にしていた
「ああっ!」
『どうかしましたか?』
「どうもこうも、上映よ、ヴァージル。確かこの中にもマイクとカメラが仕掛けられているのよ。ということは、ヴァージルとの会話も全部
『イエス、そうなりますね』
「あああ~」
当初から分かっていたことではあるのだが、どうしようか考える前にすっかり頭から抜け落ちていたのだ。今している会話も、現在進行形で録られているのだろう。
『お困りですか? マスター。それは、私の協力が違反事項であるから、ということでしょうか』
「いいえ、そうじゃないの。私も規約を見せてもらったのだけれど、AIの助けを受けることがダメとは書かれていなかったわ」
その理由は、そもそもヴァージルのような高等なAIの存在が想定されていなかったからだと思う。
『それはそうでしょうね。AIの使用が禁止されれば
「それは……ヴァージルが有能だと知られることで誘拐されたら困るから、に決まっているじゃない。私はもうゴメンよ? 今度は
想像するだけでゾッとする。
当然、そうなったら
『……なるほど。マスターの懸念を理解しました。しかし御安心ください。正当な理由があれば、
「え、電撃なんてできたんだ……!?」
『イエス。もし強奪されたとしても、マスターの許可がない限り、
「そう……、うーん、それなら……」
ロクサーナは新たに知ったヴァージルの機能に驚きつつも、それは一旦横に置いて考える。
今回ヴァージルについて周りに話さなかったのは、誘拐の懸念に加え、説明すると時間が掛かりすぎるからでもあった。ヴァージルがいたため闘技に備えた数々の設定をスキップできたが、それでも時間に余裕があったわけではなかったのだ。しかし、この後はクラージュからブリガンダインへヴァージルを戻す作業が待っている。もうヘトヘトなロクサーナは、ヴァージルについて説明してまで周囲の協力を
「……いえ、ダメね」
出した答えは
ただし、ずるいという指摘そのものは、ロクサーナは気にならなかった。ヴァージルと一緒に
『では――、マイクが故障したというのではどうでしょう? 映像だけならば、角度的に私は映っていません。それとも、人は口の動きだけで言葉を完璧に再構築できるものなのでしょうか?』
「え?」
ロクサーナはヴァージルの話に付いて行けなかった。
とりあえず、疑問を投げる。
「マイクが故障していたの?」
『いえ。ざっと確認しただけですが、録音はできていると考えられます。今から、しっかり確認しましょうか?』
また、意思疎通がすれ違っているのを感じた。が、遅れてさっきの話の意図が、ロクサーナにも分かってくる。
「いいえ、
ようやく、ロクサーナはヴァージルが前提とした事実に追いつけた。
『イエス、マスター。通常の
「そうなんだ……!」
『イエス。それでは、録音を止めて音声データの消去を開始しますが、よろしいでしょうか?』
ヴァージルの言葉を聞きながら、ロクサーナは口元がニマニマ緩むのを抑えられなかった。真面目な彼から、
「ちょっと待って。全部じゃ露骨すぎるから……初めて打撃を受けた時が最適ね。それならマイクに問題が起きた理由に説得力が出るわ。それ以前に私がヴァージルに話しかけている箇所があるなら、上書きしましょ。上書きする情報は、改めて録り直せばいいわ」
『なるほど……。では、最初に打撃を受けた時以降を
「う~ん。そこはいきなり切れるよりもノイズを入れて、言葉を途切れ途切れにしてから完全に聞こえなくなる方がいいかしら……」
『そういうものですか。実に参考になります』
「ええ、任せて! これでも小さい頃は『リライ宮のイタズラ姫』と呼ばれた事もあったんだから」
色々やった記憶があるが、いつだったか、自分の誕生日のために部屋に飾り付けてくれた花々がとても珍しくて綺麗で、小さな花冠を幾つか作って
今なら、ブリガンダインから落ちる心配はないなと思う。
ヴァージルが、支えてくれるからだ。
『それについては初めての情報ですが、予測の
「えー? ちょっと、それどういうこと?」
不満そうな声を出しながらも、ロクサーナは自身が笑っていることを自覚していた。ヴァージルにイタズラ心を植え付けた教師が誰なのか、よく分かったからだ。
「あのね、ヴァージル。こういう時はお世辞でも、『そうだったのですか?』とかね、意外そうなふりをするべきよ?」
『お世辞ですか? 分かりました』
「あ、やっぱり却下。考えてみたら、私はお世辞ってあまり好きじゃないの。これまで通り、思ったとおりに話しかけてちょうだい」
『よろしいのですか?』
「ええ。
ロクサーナは楽しい気分のまま、笑みが零れるに任せた。ヴァージルから肯定の返事を得て、満足もする。
クラージュの歩みは遅く、塔へ帰還するには
ロクサーナはそれまでの時間潰しを、大いに楽しむことにした。
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