第53話 大いなる波の加護を

「あぁ、身体中が痛い……」


 ロクサーナは姿見を前に、苦しみを吐き出していた。鏡には、スレンダーラインの天色あまいろのドレス姿の自分が映っている。ハイネックから両肩、腕を覆う白い花々のレースが慎ましやかな華やかさを添えてくれており、袖口に向かってフレアに広がる長袖は、腕の青あざをうまく隠してくれている。肌触りの良い軽い生地で、着心地も悪くない。


「まぁ! それもお似合いになりますわ!」


 傍で別のドレスを手にしているのは、メイドのソフィーだ。かれこれ数十分、衣装合わせを手伝ってくれているのである。


「あの、ソフィー。もうこれに決めてよいでしょうか……」


 なかを上げる形でうかがえば、やっとソフィーが満足げに頷いてくれた。


「髪をサイドアップにしましょう。アクセサリーも合うものをご用意しますわ」

「ありがとう。あ、でも、あまり目立たないようにお願いしますね」

「お任せくださいな! でも、どうやっても目立つとは思いますわよ? とてもお美しいのですもの」


 ソフィーからの讃辞さんじに、ロクサーナは苦笑しつつ礼を言った。実は今すぐにでも、さっきまで寝ていたベッドに戻りたいくらいなのだ。


 試合が終わってしばらくは、興奮状態にあったためか痛みはそれほどでもなかった。しかしクラージュから降りてしばらく経つと、コックピットに居た時に感じていた切り傷や打ち身以外に、多くの小さな怪我を重ねていたと自覚させられることになった。それでここ二日は、寝ていることが多かったのである。


「でも、本当に良かったんですの? ルックが優勝者になってしまって……」

「そのことは、本当にいいのです、ソフィー」


 そうなのだ。

 塔の格納庫ハンガーへ戻り、クラージュから降りてすぐ、騒動が勃発ぼっぱつした。その結果、クラージュの勝利は揺るがなかったが、その乗り手がルックに変更されることになったのだ。


 その発端は、アンスフェルム側が太守に伝えたパイロットの交代が、運営側にしっかりと伝わっていなかったことだった。その事実は、ロクサーナも自身の名が試合中に呼ばれなかったことから分かっていた。その点を改めて問題にしたのは、運営の監督と呼ばれる者だった。彼は決勝試合の映像を再構成し、劇場公開する責任者で、ルックからロクサーナへの交代が「繋がらない」と激高げっこうしたのである。


 ルックはロクサーナが勝利者になるのが当然だと考えていたようだが、そうするためには「怪我をした理由」と「新しく交代した娘の背景」を新たに収録する必要があるようだった。その撮影時間と、そもそも想定していた上映時間の延長が変更点としてまず考えられ、そのための時間がりないこと、そして多くの事業で共通する問題点――「金が掛かりすぎる」ことが障害となった。


 こういった議論が出ている時に、ロクサーナが「録音状態が悪いかも知れない」と予防線を張ったのが更に問題視された。クラージュから録音データが回収され確認されるには、多少時間がかかる。そうなってから「使えない」と分かるより先にハッキリさせた方が良い、という親切心……、というよりは、改竄イタズラしたことへの罪悪感からの発言だった。


 結果、ロクサーナの存在はなかったことにし、怪我を押してルックが戦っていたとした方が話は早い、となかば話がまとまってしまったのだ。ルックに聞いてみれば、劇場公開前にとして追加撮影や多少の事実の歪曲わいきょくはよくあることらしい。ルックはロクサーナの手柄を奪うことを気にしてくれていたが、むしろロクサーナとしてはヴァージルのことを含め、隠していられる方が良かった。


 ザルドの太守である父親の許しを得ずに、おおやけにカイレン家の名を出すわけにはいかない。「ファル・ハルゼの守護神」という呼称、及びそう呼ばれるに至った経緯も、太守アレクシスに話を通していない状態で語るべきではないだろう。そうロクサーナは判断したのである。


 こうして、ロクサーナは公式には優勝者として名を残さないことに決まった。しかし、今夜の表彰式の後の成績優秀者を集めた晩餐会には招待されている。公的に優勝者としては認められないが、同等の栄誉サービスを与えるべきだ、というストラングル・コーストの太守の意向があったからだ。


「ロクサーナ様って欲がありませんのね?」


 ソフィーにうながされ、ロクサーナは鏡台の前に腰掛ける。鏡越しに見える不思議そうな顔の彼女に、ロクサーナは笑んでみせた。


「そんなこともないのですよ? ――イタタタ……」


 座り直そうと少し腰を捻っただけで、痛みが走った。

 重量級M.O.V.ムーブの決勝戦が終わるまでの数日、色々と世話を焼いてくれたソフィー相手には、つい痛みを口にしてしまう。その数日の間には、ルックとのことを真剣な顔で聞かれたりもした。ソフィーはルックの恋人らしく、どうやら少しばかり心配させてしまっていたらしい。ルックのことはそういう目では見ていないし、貴女あなたと彼はお似合いだと思う、と伝えれば、安堵してくれたようだった。


「まだ痛みますのね……。髪を整え終われば、少し休んでいてくださいな。出発までまだ少し時間がありますから」

「ええ、そうさせていただければ……」


 情けない限りだが、しばらくはこの痛みを辛抱しなければならないだろう。そう思いながら片手で自身の腰をさすったロクサーナは、ふと、昔のことを思い出した。そういえばザルドの宮殿で生活していた頃、一番年嵩の侍女オンバがよくこんなふうに腰を擦っていたのだ。よく見る姿だったからだろうか? 同じ動作をしていることに可笑おかしみを覚える。


「ふふ」


 つい笑いを零せば、髪を器用にまとめてくれているソフィーと鏡越しに目があった。


「あら、どうかしました?」

「ちょっとした思い出し笑いですよ。子供の頃の」

「まぁ。聞かせてくださいな。どんな子供時代を過ごされたんです?」

「うーん、そうですね。時代というか、ある場面を思い出しただけなのですけれど……」


 ロクサーナはソフィーに、別惑星からこのテクトリウスにやって来たM.O.V.ムーブ乗りだということは伝えていた。その理由は私的な目的でとしか話しておらず、今はカイレン氏族の都市ファル・ハルゼで騎士階級に相当する身分だとも伝えている。そんな彼女に、実は別惑星ザルドの太守の娘であるとは言わない方がいい気がした。話が大げさになり過ぎる。


「故郷で仲の良かった老婦人がいたのですけれど、彼女がよく『身体中が痛い』って言っていたのを思い出したのです。私含め若い娘たちは『大げさだ』って笑っていたのですけれど……今になって老婦人の気持ちが良く分かるなぁ、と思いましてね」


 ロクサーナがまた笑うと、鏡の中のソフィーも微笑んだ。


「でしたら、今度会った時にお話してみてはいかがでしょう? きっと『やっと分かったわね!』なんて言って笑ってくださいますわ」

「ええ」


 笑顔で応じたロクサーナだったが、胸の内ではふいに湧いた不安に直面していた。次に老オンバに会えるのはいつになるのだろう? ……分からない。冷静に考えれば考えるほど、むしろもう会えない可能性があることを再認識させられることとなった。


 宇宙海賊に襲撃され、ロクサーナはブリガンダインと共に故郷を脱出した。その後、ファル・ハルゼの太守アレクシスを通じ、故郷では海賊を撃退し家族も無事だと聞いている。しかし、侍女たちにどれほどの被害があったのかは分からない。物理的な被害はなくとも、老オンバは心労から倒れてしまっていてもおかしくない年齢だった。


「今すぐ会いたくなりましたか?」


 表情に出ていた心配を読み取られたのか、気遣わしげな声を掛けられた。


「ええ……、そうですね」


 恒星間航行が確立しているとはいえ、AH波の波高次第ということもあり、気軽に利用できるわけではない。費用の問題もある。故郷へ帰ることがいつになるのかは、全く見通しが立っていない状態なのだ。


 そんなロクサーナの悩みも読み取ったのか、ソフィーの声が続く。


「宇宙旅行はとてもお金が掛かるそうですわね。でも、今回の優勝賞金が足しになりますわ」


 自然とうつむき気味になっていたロクサーナが顔を上げれば、鏡の中のソフィーと再び目が合った。彼女の笑顔に励まされ、ロクサーナも意識的に微笑みを浮かべた。


 優勝賞金は、アンスフェルムとルックの好意により全額譲られるという話になっている。が、ロクサーナは賞金を一旦受けたうえで、大半を返すつもりでいた。決勝まで行き着いたのはルックたちの功績であるし、ティアリーは当然としてロクサーナたちも世話になった分は返さねばならないと考えているからだ。だが、全てを返すという気前の良さは見せられない。ソフィーの言った通り、これから幾ら金が掛かるか分からない事情を抱えているためだ。


 その必要となる金額は、はっきりと計算できているわけではない。だがもし今回の優勝賞金を全額貰ったとしても、きっと足りないということは分かっている。個人規模の宇宙旅行ならいざ知らず、M.O.V.ブリガンダインも一緒だからだ。AH波による超光航行は重量が大いに効いてくる。母星ザルドから出てきた分はツケにしているのだから、ただでさえ膨大な額になる渡航費が往復分必要となるのだ。であるから、きっと足りないとロクサーナには断言できた。


 もう一つ、ロクサーナを悩ませていることがあった。それは「本当に故郷ザルドに帰りたいか」という自問だ。


 その問いそのものについては、当然イエスだ。しかし、故郷に戻ることで今の生活全てを投げ打つことには、躊躇ためらいがある。故郷に帰れば、ブリガンダインは父あるいは兄の所有物となるだろう。となれば、ブリガンダインの制御AIであるヴァージルも、この手から離さざるを得ない。必然的に、彼のマスターではなくなってしまう。これまでのように、自由に彼と話し、彼に名を呼ばれることもなくなるかもしれない。


 そんな状況を束の間、想像したロクサーナは――知らず緩んだ涙腺を、ひそやかに驚きながら引き締めた。


 他にも考えるべき問題がある。フェリオン、ティアリーの兄妹についてだ。面倒を見ると言った以上、連れ帰るのが道理だが、ここテクトリウスより過酷で食事も貧しい環境に連れ帰ることが二人のためになるのかは自信が持てない。何よりこの惑星ほしが二人にとっての故郷なのだ。それを勝手に引き離して良いわけがない。そして、ロクサーナ自身も、このテクトリウスでの生活を気に入っているのだった。


「故郷の人のことが心配ですか?」


 考え込んだまま黙っていたからだろう、ソフィーがまた声を掛けてくれた。今考えていた対象はむしろ自身を含めテクトリウスにいる人々についてだったが、聞かれた内容についても気になっているのは確かだ。


「ええ」

「いつかまた会えますわ、きっと!」


 明るい笑顔を見せたソフィーが、満足そうにロクサーナの髪から手を離した。鏡で確認してみれば、サイドを綺麗にまとめ上げてくれている。そこにあしらわれた白い小さな花々が黒髪によく映えている。いつだか老オンバが髪に花を挿してくれたことが思い出され、ロクサーナの胸に切なさと温かさが広がった。


 礼を言って立ち上がると、ソフィーがドレスのすそを椅子に引っ掛からないよう気遣ってくれる。向き合えば、両手を胸元に組み合わせたソフィーの優しげな微笑みが見えた。


「大いなる波の加護を」


 贈られたのは、祈りの言葉だ。

 本来は、AH波に乗って星の海を航海する者に向けられる。しかし植民惑星で生活する者にとっても、AH波はやはり偉大な波として認識されている。自身が一度も恒星間航行を経験していなくとも、先祖が星の海を渡って来たからこそ今の場所に存在していることを認識しているからだ。


 それに加え、先鋭技術ネオ・テクノロジー品もAH波に乗った超光航行によって運ばれている。間接的に考れば、植民惑星で生活する全ての人が今なお、不安定なAH波の影響を受けているのだ。それ故、「大いなる波」は異なる植民惑星をまたぐ、神秘的な崇拝の対象とさえされている。旅に関する祈りについては当然として、生活の端々で、こうして加護を祈る者はいるのだ。


「大いなる波の加護を」


 返礼として、ロクサーナもソフィーへの祈りを唱えた。そうしながらも、ロクサーナは自覚させられていた。がむしゃらに自らの道を切り開いてきたつもりだが、自分などやはり運命の大きな波に足掻あがいているに過ぎない矮小わいしょうな存在なのだろう――。


 その時、扉を叩くノック音がした。それと同時に、明るい幼子おさなごの声がする。


「ロキシィねぇさま! もう入ってもい~い?」


 その声の高い抑揚から、入りたくてウズウズしている様が想像できる。


「いいわよ、ティア」


 ロクサーナは途端に気分が上向いたことを自覚しながら、許可を出した。扉を開けて入ってきたティアリーの後ろには、フェリオンもいる。その肩にはC.L.A.U.-1クロウ・ワンが頭を出していた。


「わあ! ねぇさまきれーい! お花もかわいい!」

「ふふ、ありがとうティア」


 飛び跳ねるようにして全身で感情を表現してくれるティアリーに、頬も緩む。体の痛みもやわらいだ気すらする。愛らしい幼子のパワーは偉大だ。


「こういうのもいいな……」


 小さな呟きに視線を向ければ、フェリオンと目が合った。一瞬、パッと視線を逸らされるが、そう時を置かずそろそろと戻ってくる。そんなフェリオンに、ロクサーナは笑いかけた。


「どうかしら、フェリオン」

「うん……、すげぇ、……似合う。ていうか……か、……」

「か?」


 言葉を詰まらせたフェリオンを促すと、力のこもった瞳が向けられた。


「か、可愛い。……感じだな! 前のとはまた違ってさ」


 なるほど、前にファル・ハルゼで着たドレスとの違いをなんと言い表そうか考えていたらしい。確かに、派手過ぎず大人しめでいて繊細な華やかさのある天色あまいろのドレスは、「可愛い感じ」と言えるだろう。


「ありがとうフェリオン! こういうのもたまにはいいわよね。今夜の主役はルックなのだし」

「あ、ああ。まぁ、それについては、あんたが納得してるならいいけどさ……」


 事の次第を知った時にはフェリオンは怒ったものだが、理由を説明してやれば渋々といった様子で呑み込んでくれたのだった。


「ルックは松葉杖が要らなくなったって聞いたけど、まだ片腕を吊ってるんだろ? 気を付けろよ」

「ええ、ルックにまた何かしようとする人がいれば、今度こそ撃退するわ!」

「ち・が・う! ちゃんと護られとけよって話だ! あんたは丸腰だろ。ロイドのおっさんだって行くんだしさ、任せときゃいいんだよ。あの人めちゃくちゃ強いから」

「ああ――」


 アンスフェルムの護衛であるロイド・バックス。そういえばフェリオンは彼と共にルックを襲った者たちを捕らえてきたのだった。自分の手の届かないところで、彼はしっかりと役目を果たしたのだ。


 ロクサーナは後から話を聞いただけのため、捕らえられた彼女らが今どんな状態にあるのかは知らない。だが、彼女らの処遇を決めるのはアンスフェルムだ。やり手の商人である彼ならば、手に入った手札カード上手うまく使うことだろう。


『ミュゥ!』

「あら! クロちゃんもめてくれるの?」


 フェリオンの肩から少し伸び上がったC.L.A.U.-1クロウ・ワンが、甘えるような鳴き声を上げた。その柔らかな頭を撫でれば、手の平に頭を擦り寄せてくる。堪らなく、可愛い。


「ふふふ、いい子ね」


 ここ二日は抱き上げてやれていないのだ。気をつければ少し抱いても大丈夫だろうか……そう思い両手を伸ばす。しかしC.L.A.U.-1クロウ・ワンを抱き上げる前に、後方から小さな咳払いが上がった。ソフィーだ。


 ロクサーナはソフィーを振り返る。必然的に、少し小首を傾げる形になった。


「だめでしょうか……」

「だ、……ダメです! 晩餐会が終わるまで、我慢なさってくださいませ。万一ドレスを破られては、また新しく決めないといけなくなりますわよ?」

「うぅっ。それは、困ります」


 これまでC.L.A.U.-1クロウ・ワンがドレスを破いたことはないのだが、今はロクサーナ自身が体を痛めていることもあり、普段とは違うのだ。万一がないとは言い切れないため、ロクサーナは素直に諦めることにした。


『ミュゥ~……』

「あーよしよし、もうちょっと俺で我慢しろよ。な?」


 小さな鳴き声を上げたC.L.A.U.-1クロウ・ワンを、フェリオンの片手が慰めるように撫でてやってくれる。その様に、ロクサーナは少し彼が大人びたような気がした。


「――フェリオン。ティアと、クロちゃんをお願いね」


 そう言えば、ぱっとフェリオンの顔が上がった。驚いたような表情に、確かな喜色が混ざる。


「ああ」


 しっかりと返された頷きを、ロクサーナは頼もしさを感じながら受け止めた。




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