第54話 愛機

 頬を撫でる夜風が心地良い。宝石を散りばめたような空の下、ロクサーナは人気ひとけの無いバルコニーに出てきていた。


 ここはストラングル・コーストの太守の館だ。M.O.V.ムーブ闘技を終えたM.O.V.乗りムーバーたちと支援者パトロン、そして関係者たちが招待されており、二時間ほど前に表彰式が行われた。今は祝賀会の最中なのである。


「おっと、これは美しいお姫様」


 前方から軽い声がかかり、ロクサーナはバルコニーの奥に視線を向けた。各所に置かれている篝火かがりびのお陰で、手摺りに片手をかけているルックを見つける。先に夜風に当たりに来ていたようだ。


 ウィンクを寄越され、ロクサーナは微笑みで応えながらルックの方へと向かった。彼の後方には、M.O.V.ムーブの上半身が見えている。決勝戦に残ったM.O.V.ムーブ各機が、この下の庭に整列しているのだ。


「グラスはこれしかないが、一杯飲むかい?」


 ルックが手摺に置かれたワイングラスを指した。そこに四分の一ほど入っている赤い液体が、篝火の灯りを含み輝いている。左腕を吊っている状態で独りワインを楽しむとは、器用なことだ。ロクサーナは素直に感心した。おそらくは片手でワインボトルを、グラスは三角巾にでも入れて運んできたのだろう。


「いえ、結構です」


 ロクサーナは笑顔で断った。

 この場に出て来たのは、広間の熱気と少々のワインで火照ほてった顔を夜風で冷ますためでもあったからだ。


「じゃ、こっちは遠慮なく」


 ルックの右手がグラスを手にし、残っていた少量を飲み干した。空になったグラスを手摺に戻した彼は、その手でワインボトルを持ち、次の一杯を注ぎ始める。手を貸そうかとロクサーナが傍に寄った時には、既に注ぎ終わった後だった。


 ロクサーナの眼前に、鮮やかなルビー色の液体が揺れるグラスが掲げられる。


「輝かしい勝利に!」

「ええ。乾杯」


 ロクサーナはから――中身だけでなく存在そのものがない――のグラスを掲げ、ルックに応じた。


「勿論、お前にもな」


 ルックがバルコニーの外へとグラスを向ける。その相手はM.O.V.ムーブクラージュだ。


「ごめんなさい。無理をさせてしまって……」


 試合後、クラージュの故障箇所には応急処置がほどこされ、ひとまず真面まともに歩けるようにはなっている。しかし代替だいたいパーツによる補修のため、本格的な戦闘に耐える強度はない、と判断されているのだ。


「それは前にも言ったが、故障するのも闘技用M.O.V.ムーブの役目みたいなもんだからな。気にするな」


 引き上げられたルックの口角に釣られ、ロクサーナは曖昧な笑みを返した。


 本来あまり損耗しないパーツが破損したため予備が保管されておらず、科学技術テクノロジーの進んだ内陣サンクチュアリからの輸入が必要らしい。幸い、在庫補充も兼ねた発注処理は既に済んでいるらしく、あとはパーツが届くのを待つだけ――なのだが、それでも数ヶ月はかかるだろう。その頃にはきっとルックの負傷も完治していると思われる。それだけの長い期間、彼は闘技ができないのだ。その原因を作った身としては、ルックの言葉を額面通り受け取り、気にしないでいることなどできなかった。


「まぁ確かに次のシーズンの参加は難しいが、棄権するのは初めてじゃあない。実は決勝へ出る権利を掴んだのも初めてじゃあなかったんだぜ? ま、権利を掴んだだけで出たことはなかったんだけどな。……ここだけの話、出たことがないのは今も同じだ」


 ルックが軽い笑い声を立てた。

 

 優勝者がロクサーナでなくルックに差し替えられることは、既に確定事項である。こういう裏での変更はどこからか漏れるものだが、今回、その規模は少ないともくされている。大抵、情報を漏らすのは結果が気に入らない陣営なのだろうが、今回負けた側は「女相手に負けた」という事実を世間に知られない方が良いと考えるはず、とのことだった。まぁ、そういうものなのだろう。


「中には、というか、むしろ故障を押して次の闘技に出る奴も多いが、無理をしても勝てる望みは少ないしな。更に壊される可能性すらある。勿論、違約金やファイトマネーのことも考えなくちゃならねぇが、修理費の方がかさんじゃあ意味がない。なにより大破しちまったら、もうお別れするしかないからなァ」


 ルックの視線を追い、ロクサーナもクラージュを見つめた。

 確かに、M.O.V.乗りムーバーにとっても愛機を破壊されるのはつらいことだろう。ロクサーナもブリガンダインが修理不可になるまで破壊されるなど、想像すらしたくない。しかし非常に変わった機体であるブリガンダインは、代替の効かないパーツが多く、修理不可に到達する閾値いきちが低い。高性能とトレードオフになっている不安定さを抱えているのだ。これは常に意識しておかねばならない問題だった。


 ブリガンダインに考えが向いていたロクサーナは、ふと、ある矛盾、或いは不一致というべき点に遅れて気付く。


「ふふ」


 それが可笑おかしくて、ロクサーナはルックを見て小さく笑ってしまった。


「どうした?」

「だって、自分の怪我は気にしなかったのに。M.O.V.ムーブのことになると慎重なんですもの」

「ん? ハハハ! そういやそうだな」


 ルックも指摘されて初めて気付いたようで、カラカラと笑った。


「幸い、ダンナは『無理をすることはない』と言ってくれてるんでね。しばらくはお言葉に甘えさせてもらうつもりさ」

「そうなんですね」


 支援者パトロンにそう言ってもらえているならルックとしてはいいのだろう。事実、ルックは怪我をしているため、今は治療に専念すべきだ。だが、その怪我はクラージュより先に治ると思われる。貴族として教育を受けてきたロクサーナは、有能な人材をいつまでも遊ばせておくことに引っ掛かりを覚えてしまった。


「でも、怪我が治った後、クラージュを動かせない間はどう過ごすのですか?」


 これはの期間についての婉曲的質問だった。ロクサーナの母星では「働かざる者、食うべからず」という思想が強く、幼少期から自身の責務を果たすのが当然であったのだ。テクトリウスの環境は厳しくないため、その辺りのゆとりはあるのだろう。しかし、仕事がなければ肩身が狭いという部分は、そう変わらないだろうと思う。


「勿論、アンスフェルムダンナの恩情にぶら下がるだけさ?」


 悪びれない様子で言ったルックに対し、ロクサーナは心の中で少しばかりあきれた。


「体が動くようになっても?」

「そりゃあな、タダ飯を食わせていただけるなら、こちらは有難く甘い汁をすするさ」

「そ、そう……ですか」


 あっけらかんとしたルックの言葉に、ロクサーナはすぐに二の句が継げなかった。だが、気持ちが表情かおに出てしまっていたのだろう。ルックが眉尻を下げ、僅かに肩をすくめる。


「そんな目をするな。半分は冗談だよ」

「……半分?」


 ロクサーナはまだ納得がいかない。


「ああ。M.O.V.乗りムーバーが本来の仕事ができなくとも、劇場で試合の様子が流れている間は幾らかの報酬がダンナに入るはずだ。勿論、劇場での出し物はしばらくすれば変わるが、年一回のグランドバトルでは過去の名場面がまた流される。その時にもまた報酬は発生するみたいだし、優勝者はグランドバトルに参加できなくともインタビューっていうのか? そういう機会があるからまた小銭は稼げるな。小銭といっても、M.O.V.乗りムーバーにとっての基準で、そこいらの労働者よりかは貰えるはずだ。優勝者は一度ならず二度三度おいしいのさ。お陰様で」


 ルックがまたワイングラスを掲げると、一口飲んだ。


 ロクサーナは今度こそ納得し、小さく頷いた。思っていた以上に劇場公開という制度は多くの効果を生み出すようだ。市民の娯楽としてだけでなく、闘技者の保険としても機能しているとは説明されるまで想像できなかった。


「まぁ、俺もブラブラほっつき歩くのは……いや、ブラブラほっつき歩くのは好きなんだけどな、そればっかりだとさすがに飽きる。だから、クラージュの調子が長い間戻らないんなら、旦那が代理のM.O.V.乗りムーバーを探すって言うならそれを手伝うし、それが若い奴なら指導したっていい。あとは……そうだな。隊商キャラバンに加わって別の土地へ旅するってのも久々いいかもな。旦那の隊商キャラバンが今どういう具合なのかは分からないがね」

「そうでしたか……。安心しました。幾ら大きな実績をあげたとしても、それに依存し続けていてはソフィーに叱られるでしょうから」

「ま、確かに。それはおっかねえな」


 ルックが楽しげに笑い、ロクサーナも笑った。

 その時、近付いてくる気配と共に、声がかかる。


「これはこれは、クラージュのM.O.V.乗りムーバーがお揃いで」


 やってきたのは、右肩に黒いマントを下げた口髭の紳士だった。暗い金髪が後ろに撫でつけられており、篝火を受けた緑の瞳が僅かに透けている。ルックよりも細身だが、決して脆弱には見えない。

 彼のことは既に式典で見ている。声は、会う前から聞いていた。M.O.V.ムーブケイローンのパイロット、プロスフェル・セローである。


 ロクサーナたちが挨拶を返せば、セローの口元に微笑みが浮かんだ。


「しかし、あのクラージュを駆っていたのがここまで可憐な若いご婦人だったとは。事前に知っていたら、我知らず手加減をしていたかもしれませんな。もっとも、手加減をせずとも敗れたわけですが」


 自嘲するように唇の端を僅かに歪めたセローに、ロクサーナは慌てた。


「いえ! 私が勝てたのは、本当に運が良かったからですわ。今思えば、自分でもどうして勝てたのか不思議に思うくらいですから」


 この発言に、二人の男がほぼ同時に笑った。その後二人の男は互いを見つめ――相手の目に自分と同じ感覚が映っているのを悟ったのだろうか――また、二人が可笑おかしそうに口元を緩めた。


「勝利者が良く分かっていないのだから、我々も分からなくて正解のようだな」

「ああ、劇場に何度か足を運ばないと理解できなさそうだ」


 戦闘直後にセローも言っていたが、どうやらM.O.V.乗りムーバーは闘技の復習として劇場公開を利用しているようだ。


 笑っているセローを見て、ロクサーナも自然と頬が緩むのを自覚した。


貴方あなたの騎士道精神に助けられたようなものです」


 対峙していた状態から離脱し、自陣に戻って待ち構えていたクラージュに、セローは再び対峙してくれたのだ。そのことをして言えば、セローが思い出したかのように僅かに視線を上げ、可笑おかしげに口元を歪めてから小さな溜息を吐き出した。


「ああ、それは――指示がうるさかったのですよ」

「え?」

「嫌でも見えていたのでね。腕を振って『貴女あなたを倒せ』との指示が。支援者パトロンの意向を無視すると後が面倒なのです」


 なるほど、通信はできないが、そういったけしかけるような指示は伝わりやすいのかもしれない。その支援者パトロンが言いそうな指示、ということもあるのだろう。


「ですが少しばかり私にも――、逆転されるわけはないという慢心と、貴女あなたが何を仕掛けてくるのか、純粋に興味があったことも確かですよ」


 そう言って明確な笑みを浮かべたセローの視線を受け止め、やはり幸運であったのだ、とロクサーナは思わざるを得なかった。

 

「そういえば、ブリーガー」


 セローの視線がルックの方に向けられた。


「不思議といえば、貴殿のクラージュの型の豊富さだ。やはり操作の組み合わせであの多様さを表現しているのかな? そうだとして、誤動作のリスクについてどのように解決しているのか興味がある」

「あー……、それはだな。俺のクラージュカワイ子ちゃんの――」


 セローの質問に対し、ルックは婉曲的に回答を拒否した。その発言内容はかなり卑猥ひわいな表現で、ロクサーナ以上にセローが拒否感を示し、片眉を吊り上げる。ルックはといえば、なかったのが意外だったようだ。心外な顔をしながら右掌を上にし、肩をすくめた。


「ま、いずれにせよ、こっちはしばらく休業さ。セローの旦那と手合わせするのは先になりそうだぜ」

「確かに。こちらも数ヶ月、下手へたをすれば一年近く闘技からは離れることになりそうでね」

「え?」


 ロクサーナが疑問を呈するのと同時に、ルックの声も重なった。思い返してみても、彼のM.O.V.ムーブケイローンの損傷はほとんど無かったように思う。勿論、パイロットは見た通りどこも負傷はしていなさそうだ。


「今度の舞台は、法の世界になりそうなのですよ」


 セローに会釈を向けられた。

 訳が分からず、ロクサーナはすぐに言葉が出せない。


「法って、法律って意味かい?」


 隣のルックから、いぶかしげな声が上がった。


「いかにも」

「……ですが、何故なぜ?」


 ロクサーナが問えば、セローが片手指の先で自身の口髭の端を捻る。


支援者パトロンが決勝戦についての報酬を拒否しましてね。『敗者には支払わない』と」

「えっ!?」


 有り得ない理屈に、ロクサーナはつい大きな声を上げてしまった。


「準優勝ですよ!?」

「ええ。ですから、太守へ申し立てるつもりです」


 セローからはあっさりと答えられたが、やはり訳が分からない。


「それで貴方あなたの言い分は通るのですか?」


 通らないのはおかしいのだが、そもそも準優勝の賞金がパイロットへの報酬に含まれないところからしておかしい。だから、もしかすると太守側に既に不正行為が通るような工作がされているのではないか――とロクサーナは疑い始めずにはいられなかった。


「おそらく」


 これも答えは軽い。当たり前のことを当たり前と言っているような印象を受ける。


「でも、でしたら何故、相手は払わないなんてことを言うのです? 裁判沙汰になるだけ手間が掛かるだけでしょう?」

「ええ、それが狙いなのでしょう」


 会話は成り立っているが、ロクサーナはまだ訳が分からなかった。自分がおかしいのかとルックを見れば、彼もよく分からないとばかりに首を捻っている。しかし、彼には混乱している様子は見られなかった。分からないことは分からないまま放置するのが気にならない気質なのだろう。


支援者パトロン――、いや、今となっては支援者パトロンだが、あの男には、知っての通りという急な出費が発生した。それで資金繰りが苦しくなり、私へ回す金銭を遅らせるつもりなのでしょうな」

「ははーん、なるほどね」


 ルックが相づちを打つと、グラスのワインを飲み干した。それにまた注ごうとして、セローに「いるか」と聞くようにボトルを傾ける。しかしセローは片手を上げて断った。


「え、ちょっと待ってください」


 ロクサーナはまだ分からずにいた。ルックに理解を越されたことに焦りを覚える。


 が発生したことは知っていた。式典の前、劇場公開用動画に関する金の話になった。ロクサーナからルックへ差し替えるための追加撮影費用、及び編集費用などを、誰が負担するかの話だ。セローの雇用主であったガストンは、アンスフェルムが支払うのが当然だと主張した。パイロットを交替したのはそちら側だから、という理由でだ。しかしアンスフェルムはそこで手に入れていた手札カードを切った。ルックを襲って怪我を負わせた女、エメ・ドゥである。ロイドによって連れて来られていた彼女――場に相応ふさわしくドレス姿であった――をの当たりにし、ガストンは彼女が全て吐いたことを悟ったのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をして、ガストンはそれらの全額支払いを承知したのだった。


「それなら何故、支払いを待ってもらうよう貴方あなたと直線交渉しないのですか? そちらの方が話は早いし安上がりだと思うのですが……」


 今度はセローとルックの顔に不可解さが現れた。どちらともなく二人が目を合わせ、ルックが苦笑する。セローはそんな彼の様子をうながしと取ったのか、口髭を片手指の先で撫でつけながらロクサーナに視線を戻した。


「確かに、私は法闘争に関わる費用と、今回の法闘争で次の闘技に参加できない補償を上乗せて請求するつもりです。今も理論上は次の支援者パトロンを見つければ闘技に参加できますが、法闘争を継続しているM.O.V.乗りムーバーなど誰も契約したがりませんからな」


 セローの説明は、ロクサーナのもやもやした気持ちを解消してはくれなかった。それを察したのか、ルックから軽い笑い声が上がった。


「商人の中には、金が減る訳じゃないから頭を下げるのを全く気にしない連中がいる。その一方で、高い金を払っても自分が見下げている相手に頭を下げたくない連中もいる。あのデブは後の方だってことだ」

「あ……」


 ようやく、ロクサーナは何が起きているのかを理解した。すぐに理解できなかったのは、差別的思想が話の底に流れていたからだ。故に、理解はできても納得はできない。


「でも、それって……」


 ルックと目が合えば、彼の眼が優しげに細まった。


「若いお嬢さん、しかも正義感の強い子には受け入れにくいかもしれないがね、世の中そういういけ好かねえ奴がゴロゴロしていやがるのさ」

「そう……、そうなんですね」


 頭では分かっていたことだが、ショックは胸に残る。ロクサーナはそれらを静めるため、静かに息を吐き出した。

 

 それを契機と見たのか、セローが紳士然とした会釈をした。


「では、私はこれで」


 セローがきびすを返し、明るい広間へと入っていく。その後ろ姿をなんとはなく見送っていると、ルックが隣で「そういや――」と口を開いた。


「セローの旦那も言っていた防御の行動パターンだが、今もクラージュに残っているのか?」


 セローに秘密にした内容は、やはりルックも興味があったようだ。M.O.V.乗りムーバーとしては当然の心理なのだろう。しかし、その期待には応えられない。そもそも防御用の行動パターンなど、ヴァージルに任せているだけで、登録などしていないのだ。だが、今その秘密について長々と説明する気は、ロクサーナにはなかった。


「いいえ。ちゃんと元に戻していますよ」


 のはヴァージルだ。ロクサーナはヴァージルと対話しただけで、その辺りの設定は変えてすらいない。


「ちぇっ、そうか。……でも、考えてみたら俺があれだけ沢山のパターンを使いこなせるわけがないからな。まぁいいか」


 そう言われると、逆にロクサーナの方が他のM.O.V.乗りムーバーはどういう操作をしているのかが気になった。勿論、ヴァージルに逢うまではロクサーナも自身の操作でブリガンダインを動かしてきた。だから、その部分は分かる。想像がしっくりこないのは戦闘における操作だ。


「ねぇ、ルック。一つ聞いていいかしら」

「ん? いいぜ」


 不思議そうな顔をしているルックを見上げれば、愛嬌のある青い瞳がまたたいた。


貴方あなたなら、あのセローのケイローンとどう戦ったの?」

「それは……そうだな。口で説明できるほど単純じゃねぇが、基本戦術はシールドで防御しつつ、騎兵槍ランスで突く、ってやつだな」


 ルックの右手が騎兵槍ランスを突く手振りをした。と同時に、ルックの顔が一瞬、しかめられる。痛めている左腕も動かそうとしてしまったらしい。


「あ! ごめんなさい」

「いや、大丈夫。酒が回って痛みはない」


 表情の変化から痛みがないというのは嘘だとわかったが、後に引くほど痛いわけではないらしい。ロクサーナは素直に嘘を受け入れた。その上で、新たに浮かんだ疑問を口にする。


「その戦い方は、一応私も試みました。でもケイローンの方が機動力は上で、間合いをコントロールされるだけで――」

「――ああ。だから、仕掛けるのはそうさせないような地形に追い込んでからだ。なまじ四脚で地形に強いと、それへの警戒も低くなる。前を見ながら歩いていたら気にならないような段差も、押し込まれるとつっかえるもんだ。そこが狙い目だな」

「あ――……」


 ロクサーナは思わず言葉を失った。


「ん? どうした? 単純過ぎて呆れたか?」


 笑うルックに、ロクサーナは慌てて首を左右に振った。


「いえ、逆です! いいえ、逆ではなくて、確かに単純かもしれませんが、それだけに強い……力強い戦術です。相手の立場になって考えても……完全に封じる策は思いつきません」

「まあ、セローの旦那もそう簡単にこっちのペースにはまってくれるとは思えないが、そこは駆け引きだな」

「……恥ずかしながら、私は同じ手で攻めながら全く分かっていませんでした。ちょっとした思いつきの差といえますが、その差はとても大きい」


 ロクサーナは深く感心すると共に、自身の至らなさを痛感していた。


「やはり、クラージュのパイロットは貴方あなたですね。すみません、当たり前のことなのですが……」

「いやいや、そう言ってくれると正直浮かれちまう。でもまぁ、俺にとっちゃクラージュあいつ愛機ラヴァ―だからな。一番知っていて当然さ」


 ルックが優しげな眼差しをクラージュへ向ける。だがふと、遅れて何かに気付いたようにロクサーナの方へと振り向いた。


「おっと! 今の話、ソフィーには内緒にしてくれよ。他の女ならともかく、クラージュにまで嫉妬しっとされちゃかなわねぇ」

「ふふ、分かりました。ナイショにしておきます」


 ロクサーナはルックに微笑み返してから、手摺りに両腕を預けた。目の前には、下の庭に立ち並ぶM.O.V.ムーブたちが揺らめく篝火に照らされている。しかし、そんな光景を前にしながら、ロクサーナは視線の先にあるクラージュを見てはいなかった。思い浮かべているのは、ここには並んでいない紫紺のM.O.V.ムーブだ。そして、その制御AIであるヴァージルであった。


「そっか、……恋人ラヴァ―か」


 そう呟くと、ロクサーナはまた、小さく笑った。




〈第四章 了〉

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ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました!

第五章開始時期は今は未定ですが、いずれ近況ノートでお知らせしたいと思います。

その時は、またロクサーナ&ヴァージルたちに会いに来てやっていただけますと幸いです!


2024.10.19. 保紫 奏杜

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ウェーブ&ムーブ〈惑星テクトリウスの異邦人〉 保紫 奏杜 @hoshi117

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