第27話 誘拐の理由

「い……てぇ」


 頭痛を感じながら、フェリオンは目を覚ました。ぼんやりとした頭で暗闇を眺めていると、次第に頭痛は治まってくる。それと並行して、寝ているのが硬い床だということに気付いた。起き上がろうとし、両手が後ろ手に縛られていることにも気付く。攫われた事実を思い出すと共に、置かれた状況への怖れからフェリオンは息を殺した。


 呼吸をするのも空気をできるだけ揺らさないよう注意しながら、目だけを動かし辺りを見渡す。徐々に慣れてきた暗闇の中には、自分の他にも多くの者が床で寝ているようだ。一体、あれからどれだけの時間が経ったのだろう。


「ねぇ」


 突然背後から声を掛けられ、フェリオンは驚いて顔を上げた。背中側は壁のようだ。そこに、小柄な誰かが座り込んでいる。聞き覚えのある声だった。


 腕が自由にならないせいで起き上がるのも一苦労だったが、なんとか足と腰を駆使して座り込む。小柄な影はその場から動かない。


「やっぱり起きてた」

「お前……、エリサか」


 もう一度声を聞き、フェリオンは声の主を確信した。自分を騙して路地に連れ込み、男たちに引き渡した少女だ。なじってやりたかったが、フェリオンは声を荒げるのをめた。どうやら、エリサも両手を拘束されている。


「なんでお前まで捕まってんだよ」


 呆れながら問えば、薄ぼんやりと見えているエリサが顔を背けた。


「あたしだって騙されたんだよ。あんたを連れてくれば、おにぃを返してくれるって言ったのに。あたしも自由にしてやるって言ってたのにさ……」

「見え透いた嘘に引っ掛かったってわけか」

「そうよ! でも、あたしはおにぃを助けたかったの……! あんたには分かんないかもしれないけどね!」


 エリサが立てた膝に顔を埋めるようにして俯いた。泣いているのか、微かに鼻を啜る音がする。


「分かるさ」


 巻き込まれたことに腹立たしさはあれど、自分も妹がいる身だ。しかも誘拐されている。どうにかしたいと思う気持ちは理解できた。そこまで考え、ふと、疑問が浮かぶ。


「お前、なんで俺に目を付けたんだ? わざわざ店に入ってきてまで?」


 そう問えば、エリサの顔が膝から上がった。

 小さく溜息を吐かれる。


「そんなの、あんたを連れてこいって言われたからに決まってんじゃん。言ったでしょ」

「――俺を?」


 フェリオンは頭を悩ませた。自分など、ただの子供だ。労働力の足しにはなるかもしれないが、大人には敵わないだろう。女なら使い道がまだ分からなくもないが、男の自分をわざわざ攫う意味が分からない。


「そういえばさ……、誰かがあんたを呼んでたよ」

「誰か?」

「若い女の声だった」


 でっかい奴らの陰で見えなかったけどさ、というエリサの言葉が、フェリオンの思考の上を滑っていく。思い浮かぶのは、あおい瞳の――。


「ロクサーナ」


 そうだ。確かに気を失う前に、ロクサーナの声を聞いた気がする。勝手に店を出て居なくなった、自分を探してくれていたのだろう。


 フェリオンはそのことを確信し、血の気が引いた。ロクサーナは時に無茶なことをする。崖から落ちそうになった自分を助けるために、代わりに落ちることを怖れないような。

 そこまで考え、フェリオンは一つの答えに行き着いた。自分を他と区別するとしたら、ロクサーナと共にいることだ。


「おい、ロクサーナがどうなったか知らないか!」

「知らないよ。でもマッティアの手下に捕まってるんじゃない? 好きにしていいってあいつらに言ってたし」

「好きにって……」

「あいつらのやることっていったら決まってる。腹の下でヒィヒィ言わせるんだよ」


 エリサが可笑おかしそうに声を揺らした。


「あんたと一緒に店にいた女なら、バカ高く売れるよ。特にこの辺じゃ白い肌の女なんて滅多に見ないしね。隣んちの色ぼけじじいが言ってたけど、吸ったら白い肌が赤く染まるのがいいんだってさ。あの女も今ごろそうなってるのかもね。体中をねぶられて――」

「やめろよ!」


 堪らず、フェリオンは叫んでいた。

 びくりとエリサの両肩が揺れる。周囲で人が起きた気配もしたが、そんなことを気にする余裕はなかった。


「それ以上あいつのことをけがしたら許さねぇ」


 一瞬想像しただけで、腹が立った。

 あの凛としたロクサーナが、ゴロツキ共の下で喘ぐなんて。普段あまり見せないロクサーナの肌が晒されるだけでも、腹が立つ。


「あ~~クソッ!」


 だが、そんな状況におちいらせかねない失敗をしたのは、自分なのだ。フェリオンはそのことを自覚し、思い切り自分を殴りたくなった。


 貧しい暮らしから妹と共に引き上げてくれたロクサーナには、正直に言って感謝している。貴族の気紛れであっても、お陰で自分たちの生活は一変したのだ。その恩には報いたい。そう思っているのに、面倒をかけてばかりの現実がある。ハルカカ収穫へついて行ったのも、何か役に立ちたいと思ったからだ。結果、ロクサーナに助けられ、彼女に怪我を負わせることになった。それでも自分たちを放り出さず、こうして妹を探してくれている。変わった奴なのだ、あのロクサーナは。そんなロクサーナを、できるなら護られるのではなく、護りたいと思うのに。


「ごめん」


 呟くようなエリサの声が聞こえた。


「あんたには大事な人なんだね」


 そう言われ、フェリオンも声を荒げたことを少しは反省した。周りを見れば、まだ小さな子供たちが怯えたようにこちらを見ている。


「あいつらは?」

「さあ、どこかから攫われてきたんじゃない? マッティアが『売り物』だって言ってたよ。子供の奴隷を欲しがる奴もいるんだって。大人の奴隷は別の部屋で寝てるんだよ」


 エリサの諦め切ったような声が続く。


「まぁ、どこかで仕事を持てれば、食べていける。スラムで飢えるよりマシだよ。でもここはね、奴隷にとってはお薦めできないところだって、皆が言ってる」

「じゃあ、逃げ出しちまえばいい」

「バカ。そんな簡単じゃないんだよ」


 俯き気味に、エリサが笑った。

 ロクサーナが言っていた奴隷の話を思い出す。お薦めできない、とエリサが言うなら、休憩もろくに与えられず、待遇が酷いということなのかもしれない。


「お前の兄貴もここにいるのか?」

「うん。でも何日も会えてないんだ。連れて行かれたっきりなんだよ」

「そうか……」


 それ以上は何も言えず、フェリオンは溜息を吐いた。今、自分がエリサにしてやれることは何もない。それよりも、背中側で固く結ばれた両手首の縄をどうにかして切りたい。まずはそこからだ。


 ざっと見渡してみたが、ここにロクサーナはいない。きっとロクサーナは無事でいるのだろう。あのキザったらしいユーインも、ロクサーナの剣の腕を褒めていたのだ。きっと今も心配して探してくれているに違いない。だから早く戻らなくては――。


 その時、木製の扉が軋みながら開かれた。揺らぐ灯りが差し入り、眩しさの中で目を凝らす。


「おやぁ、起きたのかい坊主」


 入ってきたのは、一人の男だった。手にしているランタンで、黒い皮の上着を羽織っていることが分かる。あの路地で自分を攫うことを指示した男だろう。


「お前、」

「ねぇ! あたしのおにぃを返してよ!」


 言葉を遮って叫んだのはエリサだった。そんな彼女に対し腰を落とした男の顔に、嘘くさい笑みが広がる。


「返ってくるさ。こいつが来たからな」


 そう言われ、フェリオンは訳が分からず眉を寄せた。


「俺がなんなんだよ」

「ああ? そりゃあ、オラツィオ様がお前みたいなのがお好きだからさ」


 可笑おかしそうに口元を歪ませる男の片手に、強く顎を掴まれた。


「色の白いのはここでは珍しいんでな。せいぜいベッドで気に入られるように媚びを売るといい。でなけりゃすぐに殺される」

「意味分かんねぇぞ。俺はどうみても男だろうが」

「だから、そう言っているだろ」

「はぁあ?」


 フェリオンは思わず声を上げていた。疑問が、頭の中で答えに変わる。

 オラツィオとかいう奴は、男を慰み者にするのか。冗談じゃない。


「ぜっっったいに嫌だ!!」


 叫んだ瞬間、地響きが起きた。天井から細かなちりが落ちてくる。


「何だ?」


「――マッティア様!」


 別の男が駆け込んできた。その顔面には焦りがはっきりと表れている。


「城塞の門前で城主を出せと訴える者がいて、オラツィオ様が、すぐに片付けるようにと仰せです。モレノ様もM.O.V.ムーブで出られました」

「……この地響きはM.O.V.ムーブか。敵は何機だ?」

「それが……、所属不明のM.O.V.ムーブ一機だそうです」


 ――ブリガンダインだ!


 フェリオンは何の疑いもなく確信し、後ろ手に縛られた両手を握り締めた。


「分かった、どうせ食い詰めた流しのM.O.V.ムーブ乗りか、売り込みだろうよ。俺もワーカーで出る。カルロもいるよな。お前はコイツを連れて行け。待たせて切れられちゃ面倒だ」

「分かりました」


 マッティアと呼ばれた男と、部下らしき男のやり取りはあっさり終わった。しかし、その内容は怖ろしいものでしかない。フェリオンにとっては、断固として。


「さっさと立つんだよ、坊主!」


 マッティアに腕を取られて引き上げられ、フェリオンは焦りと恐怖で半ば混乱したまま、暗い部屋を振り返る。床に座り込んでこちらを見ているエリサの強張こわばった顔が見えたが、すぐに扉が閉じられ見えなくなった。


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