第43話 ロイド・バックスという男➁

 あっと言う間に逃げ出した女と男たちに、フェリオンは一瞬あっけに取られた。ここでひと悶着あるかと思っていたのだ。


「あ!」


 慌てて後を追って路地を出る。右を見れば、三人のうち一人の男の背中をとらえた。しかしそれは、すぐに視界から消えてしまう。ここはファル・ハルゼよりも背の高い建物が多く、立体的な複雑さのある入り組んだ裏通りなのだ。


「どっちへ行った?」

「あっちだよ、早く追わないと!」


 袋小路の路地から出てきたロイドを見上げると、彼が別方向へと走り出す。


「そっちじゃないって!」

「黙って付いてこい」

「でも……」


 フェリオンは少し考えて、ロイドが先回りをするつもりだろうと悟った。こういう場合、地理に明るい方が優位に立てること自体は、フェリオンもよく分かっている。


「でもさ、あいつらも詳しいんじゃないか?」


 向こうも裏稼業の連中だ。こういう場所に躊躇ちゅうちょなく入ってこられるのは、自分たちの『庭』だという意識があるからだろう。


 走りながら問いかけても、ロイドからの返答はなかった。すぐにフェリオンは、自身に質問している余裕がないことに気付かされる。ロイドの動作は遅く見えるが、巨体なので一歩が大きく移動は速いのだ。フェリオンの、ロイドと比べれば短い足では、頑張って回転させないと置いて行かれてしまう。


 そうしてしばらく走っていると、ふいにロイドが立ち止まった。壁のようなロイドの向こうを覗き見ると、フェリオンが腕を精一杯伸ばしても届かない高いへいが進路を塞いでいる。どうやって向こう側へ行こうか、回り道をするしかないか――そう思っている間に、体が浮いた感覚があった。


「ぅお!?」


 両脇をロイドに抱え上げられたのだ。一気に塀の上に上げられ、フェリオンは慌てて屈み、バランスを取った。軽々と上げられたのは有難くもあり、悔しくもある。もっと背が伸びれば、こんな塀くらい自分で乗り越えてやる! フェリオンは未来の自分に、心の中で誓った。


 塀に両手でぶらさがるようにして地面との距離を縮めてから、フェリオンは手を離して降り立った。振り返れば、ロイドが塀に太い両手をかけてよじ登ってきている。


「先にそこを潜れ」


 塀に乗り上がったロイドに示された先には、先程よりは低い障害物があった。その下部には人が通れる隙間が見えている。


「分かった!」


 フェリオンは、そこに意気揚々と潜り込んだ。この狭さであれば、自分が抜けるほうが早い。あの巨体は苦労するんじゃないかと思う。両腕と膝を駆使して素早く隙間を通り抜けると、また狭い路地に出た。暗い壁には、太い蒸気の通り道スチーム・ラインが這っている。その時、ドスンと地面が僅かに揺れた。脇に大きな黒光りする革靴が降りている。ロイドが悠々と障害物をまたいで越えてきたのだ。


またぐのかよ!」


 思わず突っ込んでしまった。

 ほとんど一人の力で生きていた頃、フェリオンはを日常的にしていた。その頃なら、このロイドはカモだと思う相手だった。体が大きいから小回りが利かないし、動きもトロい。しかし実際は、小回りが利かなくても障害物を乗り越え、トロく見えて一歩が大きい。こうやってどこまでも追いかけて来られたら――。フェリオンは束の間想像し、嫌な気持ちになった。


 それからも道を進むだけでなく、階段を下りる、陸橋を飛び降りるなどしてフェリオンはロイドと共に進み続けた。そして暗く狭い路地に入った時、またロイドの足が止まった。彼の手振りから、静かにしておくように、と指示される。


 その時、前方から聞き覚えのある女の声がした。


「いいかい、お前たち! いたと思っても油断するんじゃないよ。足を止めないで警戒を続けな!」


 ――あの女の声だ!


 フェリオンは驚いて息を吸い込んでいた。

 すぐ目の前の路地の先で合流している広そうな路地には、人の姿は見えない。しかし確かに聞こえてきた声は、ルックを酒場から誘い出し、痛めつけ、先程はキャバリエ商会から出てきた女に違いなかった。その声は、左方から近付いてきているようだ。


 信じられないことに、先回りに成功していた。フェリオンは気取られてはいけないと考え、知らずに息が荒くなっていたのに気付く。それを抑えるようつとめめながら前方のロイドをうかがうと、彼の息は一切乱れてはいなかった。先ほどチラリと考えたことを、フェリオンは頭の中で更新する。この男は、単なる嫌な相手どころではない。バケモノに違いない。


 走る女の姿がロイドの向こうにチラリと見えた瞬間、ロイドが動いた。フェリオンは最初、何が起きたのか理解できなかった。目にしたのは、突然、女が吹き飛び、向こうの壁にぶち当たった光景だ。数秒遅れて、ロイドが靴裏で女を蹴り飛ばしたのだ、と理解する。


「な、……なにが……ッ」


 倒れた女が何かを言おうとしているが、咳き込んで言葉にならない。当然、行動できる状態でもなさそうだ。


ねぇさん!?」


 驚いた声が二つ。

 フェリオンは、ロイドの後ろから声の主たちを覗き見た。慌てて駆けてきた彼らの表情は、どこか困惑している。フェリオンだけでなく、彼らも状況が理解できていないのだろう。いや、フェリオンは理解できている方だ。何が起きているかは見えているが、信じられないだけだ。吹き飛ばされた女を含めた彼らは、全くの混乱状態に違いない。


 しかし、すぐに二人の男は顔を引きらせた。路地から現れた巨漢、ロイドに気付いたのだ。


「おおおお前! なんでこんなところから!?」

「てめぇらゴロツキの溜まる場所は、黒炭鍛冶場コール・フォージ区に決まっているからな。そこまで一直線に来ただけだ」


 ロイドの言ったことに、フェリオンはロクサーナを思い出していた。そういえば、川縁の家に先回りされていたことがあったのだ。確かあの時は、胸に挿していた花から場所を予想されたのだった。相手の行動の先を読んで行動する、このことの重要性を、フェリオンは改めて納得した。


「や、やってやるぜ! こんなジジイくらい、なんだってんだ!」

「ああ、二対一なら負けねえ!」


 二人の男がナイフを取り出し、刃をロイドに向けた。ルックを負傷させた二人だ、それなりにやるのだろう。完全に自分は数に入っていないことにフェリオンは不満を感じたが、同時にそれを利用できるとも考える。浮浪児は誰にも相手にされないからこそ、やれることもあるのだ。


 ふいに、ロイドが右腕を大きく振った。と同時に、金属がぶつかり合ったような鋭い音が響いた。どこから取り出したのか、いつの間にかロイドの右手には長い棒が握られている。フェリオンは、それをファル・ハルゼで見たことがあった。持ち手グリップがあり、勢いよく振ることで最大限に伸びてロックがかかる、伸縮式警棒だ。


「アイツらで間違いないな?」


 ボソリと聞かれ、フェリオンは自分が確認用に連れて来られたことを思い出した。それなのに、その確認前に一人をぶっ飛ばしているのだ。改めてヤバい奴だ、と背筋に寒いものを感じながら、問われたことには答える。そうしないとヤバい。


「あ、ああ」


 ロイドは何も答えなかったが、彼の中で何かが変わったのは感じた。多分、相手にとっては良くない変化だ。「ぶちのめしてもいい」とか「手加減は無用」とか。そんなところだろう。しかし、フェリオンは相手に同情はしなかった。そもそも相手が言ったとおり、二対一なのだ。ロクサーナなら勝てるだろうと思うが、それでも怪我をしたらという心配は消えない。それに比べてロイドは体が大きく、きっと頑丈だ。


 だが、心配な部分もあった。ロイドの持つ警棒はロクサーナの細剣レイピアより短い。そしてロクサーナほど素早くない分、大きな体はより当たりやすいのかもしれない。そうなると、刃物を持った相手は厄介だ。とはいえ、フェリオンには加勢できる自信はなかった。いや、実力もないことは、自分が一番よく分かっている。であれば、ここはロイドに任せ、自分のできることをするだけだ。


 フェリオンは身をかがめたまま、ロイドの後ろから這い出した。すぐに男達がロイドへと襲い掛かる。フェリオンが男達の脇を抜けてすぐ、打撃音がし、男の短い悲鳴が上がった。振り向けば、ロイドの足元には男が白目を剥いて倒れている。


 一撃だ! これで、一対一の五分になった。いや、違う。心理的な余裕に大きな差ができている。


「お、おい! しっかりしろ!」


 残った男が倒れた男に声をかけるが、返事は無い。


「う、ウソだろぉ!? ヒ、ヒイィッ!」


 倒れた男の意識のない顔を見たのか、残った男はナイフを取り落とし、情けない悲鳴を上げた。それだけではない、腰が抜けたようにしゃがみ込んでしまった。そこにロイドが無表情で迫る。倒れていた男を一跨ひとまたぎする。尻もちをついた男は、体を持ち上げたいのだろう、彼の両手が忙しなく地面を搔いている。そして、ようやく上がった前傾姿勢のまま、男がその場を逃げようとした。だがその足取りはふらついており、道の端へ体を傾かせ、壁に手を突きながらだ。


「おっと!」


 男の進行方向に、フェリオンは立ち塞がった。両腕を左右に伸ばして逃げ場を失くす。危なくなったら逃げるのは、自分も昔よくした行動だ。だから先は読めた。


 男は一瞬、呆けたように棒立ちになった。フェリオンの存在と行動を予測していなかったようだ。


「えっ」


 その男が状況を理解する時間はなかった。ロイドの警棒が男を後方から殴りつけたからだ。ものすごく凶悪で重い音がした。言葉にならない悲鳴が上がり――、男が路地の壁にすがるような形で倒れていく。


「すんげぇな……」


 警棒が、警棒以上の怖ろしい武器に見える。

 ロイドが警棒の先をもう片方の手の平に押し付けると、ロックが外れたのか、シャフトが縮んで元の長さとなった。


「坊主。いい見立てだ、よくやったな」

「へへ」


 褒められれば嬉しい。

 こんなデカくて強い男に褒められれば猶更なおさらだ。

 

「さて、お前はその女を運んでくれ。一番軽い」

「え?」


 倒れている女を見下ろせば、起き上がれない体でこちらを睨んできている。


「アタシに、触るんじゃないよ……ッ」


 近付いたら噛み付かれそうだ。どうしようかと思っていると、ロイドの手が女の襟元を掴み上げた。躊躇ためらいもなく拳骨が振るわれる。鈍い音がして、女の首が項垂うなだれた。


「これで運べるな」

「あ、え、ああ」


 女相手にも容赦なし。殴られて完全に気絶している女を任され、フェリオンはロイド指導の元、女の腹を背負うようにして抱え込んだ。女の片足と片腕をホールドする形だ。ロイドの方は、倒れている男二人をそれぞれの肩に担ぎ上げた。担がれた男のうち一人は、どうも首の向きが怪しい気がする。


「あのさ、ソイツ……死んでないよね?」

「問題ない。その女が生きていればいい」

「あー……ああ、うん。そうか」


 スゲェけど……、やっぱヤベェ!

 何だか叫び出したいが、叫べないような気分だ。


「こっちだ、坊主」


 さっさと歩き出したロイドの後を、フェリオンは慌てて追った。



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