第42話 ロイド・バックスという男➀

 ロクサーナが部屋を出ていってから、フェリオンはティアリーの部屋で夕食を取っていた。久し振りの再会だから水入らずでと、ソフィーというメイドが二人分の食事を部屋へ運んでくれたのだ。


 ティアリーが何故なぜあんな男をかばうのかと思っていたが、今は納得している。よくよく見てもやはりティアリーに怪我はなく、髪は綺麗に編み込まれ、上質の衣服を着せてもらっているからだ。ソフィーとも親しげに話していたし、ティアリーがここで穏やかに過ごせていることは明らかだった。あの男――アンスフェルムと話したロクサーナが、彼を信用すると言ったことも大きい。


「ねぇ、おにいちゃん。ロキシィねぇさまは、いっしょにたべないの? おなかすいてないかなぁ……」


 不安そうな顔をしているティアリーに、フェリオンは心配させないように笑みを返した。


「大人同士の話があるんだよ。心配しなくても、ロクサーナなら大丈夫だ。きっとどこかで食べてるさ」

「じゃあ、あしたの朝ごはんはロキシィねぇさまもいっしょね!」

「ああ、そうだな」


 楽しそうな笑顔を見せたティアリーに安堵する。そんなティアリーが、ふと不思議そうに視線を向けてきた。


「なんだ?」

「ん~ん、なんか、ちょっと、ねぇさまみたいだなって!」

「んッ」


 飲んでいた茶を誤飲しそうになり、フェリオンは咳き込みながら自身を落ち着かせることに集中した。似てるって? ロクサーナに? そんな疑問で頭の中がパニックになる。


「だいじょうぶ!? おにいちゃん!」

「ああ、何でもない、何でもないから……!」


 緩みそうになる頬を、フェリオンは両手で押さえつけた。そうしながら、胸の奥に生まれている小さな喜びに気付く。驚きつつも、フェリオンはそれを否定してしまえなかった。




 ティアリーが食事を終えた頃、ソフィーがやって来た。二人で風呂に入るようだと知ったフェリオンは、彼女に妹を任せて部屋を出た。風呂だなんて、二人で毎日を何とか過ごしていた頃には考えられなかった。ロクサーナに拾われてからと同じく、やはりティアリーはここで大切にされてきたのだと改めて思う。


 一人になると、ロクサーナがどこにいるのかが気になった。ティアリーには咄嗟とっさにああ言ったが、改めて考えると「気になる」気持ちを無視できない。部屋を出ていった時のロクサーナは、何か悩んでいるように感じたからだ。思い返せば、ほんの少し、出ていく足取りが急いでいたようにも思う。そんな小さな「いつもと違う」が分かってしまうほどには、彼女の傍にいるのだ。


 庭に面した広い客間には、扉はない。その開放的な場所に足を踏み入れると、そこには黒いスーツ姿の大きな男が一人いた。その傍には、アンスフェルムもいる。


「おや、君は――、フェリオンくんだね。食事は口に合ったかな?」


 アンスフェルムに穏やかに話しかけられ、フェリオンはいつものように口を開きかけ――、一呼吸置き、発する言葉を選んだ。


「はい、ありがとうございます」

「それは良かった」


 慣れない喋り方をしたが、向けられるアンスフェルムの笑みが深まった気がした。

 彼はロクサーナが信用すると言った人物で、自分たちは今、彼の世話になっているのだ。普段通りではいけない気がした。そういえば、妹の件の礼を言っていないことにも気付く。


「えと、妹のこと、どうもありがとうございました!」


 勢い余った気もするが、アンスフェルムは受け止めてくれたようだ。彼の白い眉が驚いたように上がり、次いで目尻が下がった。


「どういたしまして、フェリオンくん。君はしっかりとしたお兄さんだね。ロクサーナ様が連れておられるのも分かるよ」

「ど、どうも」


 そう言われては、悪い気はしない。そして、気付きもあった。自分の振る舞いは、ロクサーナの評価に繋がっているということだ。怖いことだと感じたが、それにも増して『ロクサーナに恥じない』自分でいたいと強く思う。


「坊主。お前、ルックをやった奴の顔を見たか?」

「え?」


 ふいに低い声が降ってきて、フェリオンは視線を上げた。第一印象は「デケえ」だ。図体の大きな男が見下ろしてきている。胴体も腕も太く、まさに巨漢といっていい。動きは鈍そうだが、体に比べて小さな目には鋭さが窺える。通りで過ごしていた頃なら、絶対に近付かないだ。


「ああ、見たよ。三人共の顔を覚えてる」


 それでも気圧けおされることなく明確に答えると、男の片方の口角が上がった。


「じゃあ、捕り物を手伝え。ルックは今は動かせないし、下手へたに外に出すのは不味まずい」

「ちょっと待ちなさい、ロイド! この子はまだ子供だぞ、危ないことをさせるわけにはいかない」

「旦那さん。ルックを襲った奴らを捕まえたいんでしょう。さっさと動かなきゃ奴らは飛びますぜ。明日の試合にあのお嬢様が出てくれるのは良いですが、ガストンは何かしら言ってきます。黙らせる材料がると貴方あなたが仰ったのでは?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 聞き捨てならないことが耳に入り、フェリオンは二人の話に割って入った。


「ロクサーナが明日の試合に出るって?」

「ああ、そうなんだ。ルックの代わりに出てくれることになってね。それで今は準備をしてくれているんだよ」

「それで……」


 なるほど。ロクサーナが居ない理由に納得だ。悩んでいるように見えたのも、急いでいたのも、明日の試合について考えていたからなのだろう。そしてそれなら、フェリオンにとってもやることが明確になった。


「いいよ。協力する」


 腕力にはまだ自信がないが、自分に合ったやり方はある。アンスフェルムに借りが返せ、更にはロクサーナのためになるかもしれないのなら、やる一択だ。


「その代わり、ロクサーナには内緒に」


 ロクサーナに伺いを立てようものなら、絶対に反対されるのは目に見えているからだ。そこまで心配にさせているのは過去の自分のせいなので、反論もしづらい。それに、試合前に余計な心配をさせたくはない。


 アンスフェルムと巨漢が顔を見合わせている。視線が戻ってきた彼らから了承の言葉を得たフェリオンは、これから行くぞ、という巨漢――ロイドに頷いた。



◇◇◇



「チッ、素人しろうとが」


 エメ・ドゥは、門から出るなり、そう吐き捨てた。

 振り返れば、煉瓦造りの立派な館がある。このストラングル・コーストでも指折りの財を持つ商会、キャバリエ商会の館だ。朝から呼び出され、手下二人を連れて会ってきたところなのである。


 会長であるガストンは、間抜けなことを聞いてきた。まだルック・ブリーガーが棄権したという連絡がないというのだ。キッチリやることはやった、望み通り腕も折ってやったと伝えても、まだ納得がいっていない様子だった。邪魔は入ったが、依頼通り痛めつけてやったのだ。それ以降のことは知ったことじゃあない。もしかしたら怪我を押して出てくるかもしれないし、替え玉を使うかもしれない。だが、そんなことも、こちらには関係が無い。


 「知るもんかい」と言ってやったガストンの顔は、なかなかの間抜け面だった。「なんなら追加料金で依頼するかい? あっちの様子を探ってこいってさ」そう言うと、キレ気味に「もういい」と言われた。これだから、素人は嫌なのだ。


「――なぁ」


 子供の声がし、エメは門の脇に目をやった。来るときにもいた、浮浪児だ。薄汚れた服を着て、ぼろ布を頭の上から被って座り込んでいる。この町においては、別に珍しいものでもない。


「いくらか恵んでくれよ」


 両掌を上にしてすがってくる子供を、手下の一人が払い除けた。


「いいよ、構うんじゃない」

「へ、へい、ねぇさん」


 エメは、浮浪児を蹴ろうとした手下を止めた。確かに鬱陶うっとおしい存在だが、自分が悪くてそうなったわけではない。親がダメだっただけだ。だからといって同情してやるには数が多い。痛めつけないで無視するのが丁度良い。


 慌てたように追ってくる手下二人の気配を感じながら、エメはアジトへと歩き出した。さっさと帰って酒でも飲みながら、試合が終わるであろう時間が来るのを待とう。それから結果はどうであれ、ガストンから報酬の残り、かつ大半をもらわねばならない。


 ルック・ブリーガーを痛めつけるにあたり、下準備にも金をかけたのだ。彼の支援者パトロンはキャバリエ商会と並ぶ大きな商会の会長、アンスフェルム・シュナイダーなのである。問題は、そのアンスフェルムの護衛であるロイド・バックスの存在だった。


 彼のことは、昔から知っている。この都市で数々の武勇伝を残しているからだ。シュナイダー商会の商売の邪魔をした荒くれどもを一人でした話や、誘拐されたアンスフェルムを助けるために単身、敵のアジトに乗り込んで大暴れした話もある。ここ十年ほどですっかりおとろえたと思われているようだが、決してあなどってはならない。本当に老いぼれているならば、この世界では消えるだけだ。しかし、十年も老いぼれたと言われ続け、それを裏付けるうわさが流れてこない時点で異常なのである。むしろ、たまに「見かけほど老いぼれていなかった」という話が流れるくらいだ。その話の裏には、ロイドに潰された連中が実際にいるのだ。ロイドを侮り、そいつらの仲間入りになるバカはしたくない。


 ルックを襲う時には、確実にロイドを遠ざけておく必要があった。そのため、半端者に金をやって離れた場所で騒ぎを起こさせた。シュナイダー商会の息がかかった店が絡めば、ロイドはそちらへ行くだろうと予測してのことだ。万が一にでも、自分たちが彼の視界に入ることがないよう、エメは計画的にことを進めたのである。


 路地に入ってしばらくした頃、エメは後方から付いてきている存在に気付いた。あの、門の横に座り込んでいた浮浪児だ。エメがちらと視線をやったことにより、手下たちも気付いたようだった。


「どうします? 姐さん」

「妙だねぇ」


 あの浮浪児を最初に見た時、違和感があった。その正体はすでに分かっている。肌が汚くないのだ。差し出してきた手も爪も、黒くなかった。ということは、浮浪児になって間もないのだろう。家が没落し、露頭に迷う子供など珍しくもない。哀れなものだ。そんな浮浪児だと思ったため、先程は手下に手を出させなかったのだ。


 だが、こうして後を付けてきているならば、その理由を聞かねばならない。何より、何かがおかしいとエメのかんが告げていた。


「捕まえな!」

「へい!」


 手下たちがきびすを返し、浮浪児へと向かう。それに気付いた浮浪児の顔が明確に上がった。フードの影になっていた少年の瞳が、家屋の隙間から届く光を受けて輝く。透明感のある黄褐色だ。


「待ちな!!」


 エメは手下と共に追いかけた。来た道を戻り、別の路地へと逃げていく少年の足は速い。が、追いつけないほどではない。そして彼が入り込んだ路地の先が袋小路であることを、エメは当然知っていた。


「追い詰めたよ、坊や! さぁ何を企んでいるのか聞かせてもら――」


 暗がりを背に立ち止まっている少年が振り返り、そのフードが完全に脱がれた。そこに表れた表情は、得意げな笑みだ。異変を感じ、エメは足を止めた。と同時に、その先の影から出てきた大男に気付く。


「ロ、ロイド・バックス!?」


 黒いスーツ姿の巨漢が、決して近付くべきではない対象が、目の前に居る。自分たちに狙いを定めた状態で。


「多少デカいだけのじじいが一人だ。やっちまいますかい、姐さん!」

「馬鹿! めときな! 行くよ、お前たち!」


 はやる手下を抑え、エメは後ずさる。そしてきびすを返し、全速力で駆け出した。

 


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