第33話 意外な素顔

 近くを流れる渓流には、そこかしこに岩が点在している。向こう岸の樹々が映り込み緑色に染まっている川の水深は、予想通り足を浸けても膝下あたりまでだった。


 フェリオンはロングパンツをまくり上げた状態で、陽光を反射させている水の中に立っていた。水の流れはそれほど早くはない。それでも、持ってきた大きなバケツは長い縄を取っ手にくくりつけ、自分の腰にわえている。万一流されてしまってはかなわないからだ。


 フェリオンはしばらく水中を泳ぐ魚の動きを観察し、それから狙うべき場所を探した。川縁かわべりかがんでいるロクサーナからの視線が気になるも、フェリオンはまず成果を上げることに集中する。失敗はできない。いや、絶対にしたくない。


 一つの岩に目星を付けた。幾つもの小さな岩が水面から突出している場所だ。フェリオンはそのすぐ上流にバケツをそっと横倒しにし、川底に押し付けた。半分ほどが水に浸かっている状態になる。そこから縄に気を付けながら遠回りで下流へと移動し、ゆっくりと目当ての岩へと近付いた。両手を岩陰――窪みにそっと差し入れれば、掌に魚の腹が触れた。瞬間、両手で魚を弾くようにしてすくい上げる。魚は水面から飛び出すと小岩を超えて着水、慌てたように上流へと泳ぎ――、あらかじめ進行方向に置いてあったバケツの中へと入った。追いかけていたフェリオンは、間髪入れずにバケツを持って引き上げる。息を詰めて覗き込めば、手元の水の中で銀色に光る魚が、くるりと円を描いた。


「――ふぅっ」


 上手うまくいった。

 自然と、溜息が出た。川の流れに逆らって泳ぐ性質がある魚のようであったため、下流から追い立てたのだ。それほど大きくはない魚だが、あと四、五匹ほど捕まえられれば、なんとか今夜の腹の足しにはなるだろう。そう思い顔を上げれば、輝くあおい瞳と明確に目が合った。


「す……っごい。すごいわフェリオン! 魚って素手で捕れるのね!」

「ま、まぁ、ちょっとコツがるけど」


 ロクサーナの歓喜の眼差しに、目が吸い寄せられてしまう。称賛され、どう応えてよいものか分からない。ただ、胸の内が先程の魚のように跳ね上がっていることは確かだ。


 川縁に近付き、置いていた鍋に魚を水ごと移せば、ロクサーナが好奇心をあらわにして泳ぐ魚をのぞき込んだ。


「ね、これ、食べられる?」

「ああ、後でちゃんと食べられるようにしてやる」

「ほんと! フェリオン、ありがとう!」


 ロクサーナがかがんでいるせいで、顔を上げた彼女に見上げられる形になった。ああもう、笑顔が眩しい。出会った時から綺麗な奴だとは思っていたが、最近はもっとそう思う。

 フェリオンは汗をぬぐうふりをし、ロクサーナから意識的に目をらした。


 ロクサーナと出会う前は、妹と自分が生きていくために盗みもやったが、それだけでは生きていけなかった。みずから食料調達をする必然性があったのである。ファル・ハルゼの渓流には魚が豊富で、運が良い時は捕ることができたのだ。


 ちらとロクサーナに視線を戻せば、また鍋の中で泳いでいる魚を物珍しげに覗き込んでいる。その様子は、意外にも子供っぽい。指先で魚をつついてみたのか、その感触に驚いたように指を引っ込め――またそろそろと指を浸けている。


 可愛かわいいな。そう思った自分に気付き、フェリオンは今度こそ完全にロクサーナに背を向けた。妙に気持ちが落ち着かない。なんだってこんなに胸がせわしないのだ。


 深呼吸し、なんとか気持ちを落ち着ける。ロクサーナが手元の魚に夢中になっている間に、仕事を終えてしまおう。そう思い、フェリオンは次に狙う岩を決め、仕事に取り掛かった。


「――うわっ! とッ、とッ!」


 今度は勢い余って魚が大きく跳ねた。それを水中に逃がさないようにと、両手で岸へと再びはじく。すると、そこにいたロクサーナが珍しく狼狽ろうばいした様子を見せた。


「ひゃっ!?」

「悪い! そいつを鍋に入れといてくれ!」

「ええ!? ちょっ、待ってっ」


 元気よく跳ね回る魚は、両手で捕まえようとするロクサーナを揶揄からかっているようにも見える。ロクサーナはおろおろしながら捕まえては、鍋まで持たずに手を離してしまっている。魚の方も必死なのだろう。


「きゃああッ」


 意外にも女子らしい悲鳴を上げているロクサーナは、跳ねる手元の魚に夢中のようだ。それはついに鍋の中へと放り込まれた。へたり込んだ彼女が、溜息にいで楽しげに笑い声を零す。


「アハハハ! やったわよ、フェリオン! ちゃんと入ったわ!」

「お、おぅ!」


 にこにこと嬉しそうなロクサーナに、フェリオンは片手を挙げて短く応えた。普段、凛としている彼女のの顔を見たような気がして、頭の中が『可愛い』にめられる。半ば無理矢理にロクサーナから視線を外したフェリオンは、ふと彼女の反応を不思議に思った。ロクサーナは初めて生きた魚に触ったのだろうか? そう疑問に思い、すぐに、そうか、と思い至る。こんなふうに一緒にいるが、ロクサーナは何処どこかのお姫さまなのだった。きっと、食事は誰かが用意してくれるものだったのだろう。何不自由なく暮らしてきたに違いないのだ。しかし、そう思っても不思議と嫌な気持ちにはならなかった。そんなお姫さまが、よく一人でファル・ハルゼに辿り着けたものだと感心しただけだ。


 それからフェリオンは狙う岩を変えながら、なんとか五匹を捕まえることに成功した。パウエルから塩も少し分けてもらっている。自分に調理道具をまとめて持たせてくれた彼は、こうした事態を予測していたのだろう。頼むぞ、と彼に肩を強く叩かれたことを思い出し、フェリオンは使命めいたものを感じながら納得していた。ロクサーナを絶対に飢えさせないようにしよう、と心に誓う。


「ねぇ、私にも捕れるかしら?」

「え?」


 驚きの言葉を聞いて振り返れば、ロクサーナがロングパンツの裾をまくり始めていた。あっという間に膝上まで捲り上げられ、白い脹脛ふくらはぎが露わになる。こちらも眩しい。


「やるのかよ」

「楽しそうだもの」

「ああーじゃあ、そうっとな……」


 言っている内に、軽い水音と共にロクサーナの足が水に浸かった。言葉通り楽しそうな表情に、体を動かすのが好きなんだろうなと思う。しかし魚捕りをしようというのに、何故なぜC.L.A.U.-1クロウ・ワンを連れてきている。ロクサーナの背中にしがみ付き、肩口から頭を出して、下を覗いているようだ。


「ソイツは何してんだ?」

「こうして水面を見下ろすのが楽しいみたいね」


 そう言って、ロクサーナが笑う。

 川縁に置いてくる選択肢はなかったらしい。


「あんたを乗り物扱いするの、ソイツくらいだぞ」

「ふふ」

「しょうがねぇな」


 フェリオンは両腕を上げ、ロクサーナの背中からC.L.A.U.-1クロウ・ワンを剥がしてかかえた。すると、腕からのがれるようにC.L.A.U.-1クロウ・ワンが機械脚を動かし、そのまま右肩へと上ってしまう。そこから首の後ろに体を這わせ、左肩に脚を引っ掛けて頭を出してきた。空色の丸い目が、水面を見下ろしている。ロクサーナの言う通り、この体勢で覗き込むのが好きらしい。


「よし、じゃあ、あそこかな。下流から狙うんだ」


 できるだけ魚を脅かさないように、と言い置き、フェリオンはロクサーナにやり方を教えた。今夜の魚はとりあえず確保しているのだ、ロクサーナが失敗しても問題はない。いや、運動神経は良さそうだし、案外なんでもできそうな気もする。


「分かったわ、やってみる」


 一変、真面目な顔になったロクサーナが、両手を水に浸けて中腰になった。

 



 三十分後、フェリオンは川の中で座り込んでいるロクサーナを傍で眺めていた。魚に翻弄ほんろうされ続け、すでに白いシャツは濡れて彼女の肌に張り付いている。若干じゃっかん肌が透けて見えており、目のやり場に非常に困る。波打つ黒髪まで塗れていて、そのしずくがまたシャツを濡らしていくのだ。この状態は、ロクサーナの五度目のチャレンジの結果なのであった。


「もう少しなのに~」

「うん、まぁ……、そうだな」


 あまりにも真剣に頑張るものだから、一応言葉をにごしてうなずいてみせた。


「まだやるのか?」

「まだやる!」

「ああー、なら、その間に向こうで食べられる木の実でも探しとく。コイツの分もいるだろ」


 そう言えば、左肩でC.L.A.U.-1クロウ・ワンの頭が上がったのが分かった。


『ミュゥッ!』


 まるで返事をしているような鳴き声に、つい頬が緩む。頭が左右に少し振られており、どうやら喜んでいるようだ。


 休憩時間以外、ずっと一緒に歩いてきているのだ。二頭の馬の手綱を引きながら歩く中、他に話す相手もおらず、気付けば馬の荷物の上に乗っているC.L.A.U.-1クロウ・ワンに話しかけていた。ティアリーについて不安な胸の内をつい口にすれば、落ち込んだような沈んだ鳴き声が漏れ聞こえたものだ。気持ちを分かってくれた気がして、つい手を伸ばして撫でてしまったことを思い出す。


「ふふ、良かったわねぇ、クロちゃん」


 ロクサーナが立ち上がり、水気を振って飛ばした手でC.L.A.U.-1クロウ・ワンを撫でた。甘えるような鳴き声と共に、丸い頭がもっとと強請ねだるようにロクサーナの掌に寄せられる。相変わらず、甘え上手な奴だ。


「ここの水は綺麗そうだから、体も洗ってしまおうかしら」

「ああ、いいんじゃないか? ていうか、どうせもうびしょ濡れだろ」

「ホント、その通りね!」


 楽しそうに、ロクサーナが笑う。

 二人で旅を始めた頃、川で水浴びをするロクサーナを心配に思ったことがある。しかしそれはすぐに杞憂きゆうなんだろうなと思わされた。常に傍でブリガンダイン=ヴァージルが周囲を見張っており、何かあればすぐにロクサーナをすくい上げることは、容易に想像できたからだ。


「じゃあ、ちょっと行ってくる」


 傍には樹々が密集する森林がある。そう深く入らなければ危険なこともないだろう。ファル・ハルゼ近くの森でも同様にしていたことがかせる機会に、フェリオンは俄然がぜん、闘志を燃やしていた。ロクサーナの水浴びに気をかれはするものの、今は何より彼女に頼りにされているということが、どうにも嬉しいのだ。やっと役に立てると思えば、怖いものなどない気分にもなる。


「あ! 何かあったらすぐに行くからね。それと、ヴァージルの索敵範囲より遠くには行かないで」

「ん。それってどのくらいだ?」

「クロちゃんが教えてくれるわ」


 ロクサーナの顔は、真剣に心配そうだ。これまで散々心配させてきた経緯けいいがある。


「分かった、気を付ける」


 フェリオンは、素直に頷いた。



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