第22話 人の海

 宿に荷物を置いた後、ロクサーナはパウエルと共に宮殿へと向かっていた。昼を少し過ぎた時刻で陽射しはまだ強く、少し汗ばむほど暑い。フェリオンはすぐにでもティアリーを捜しに出たかったようだが、ここが他氏族の都市である以上、まずは太守との謁見が必要だ。ロクサーナはファル・ハルゼの特使として来ているのである。


 渋々頷いたフェリオンには、C.L.A.U.-1クロウ・ワンを預けておいた。万一彼に何かあっても、ヴァージルが居場所を捜せるからだ。


 ロクサーナはパウエルから離れないようにしながらも、人の多い大通りを眺め見た。町の通りはファル・ハルゼの大通りに見劣りしないほど広いが、人の多さに関しては、それこそ祭りでも開催されていなければ見られないほどの人々が行き交っている。それぞれ行くべき場所は違うはずなのに、不思議と道の半分ほどで人々の向きが逆だ。左側通行なのだろう。当然、建物に入ったり道を曲がったりする者もいるが、そういう者は動いている人の間を器用に縫い、通っていく。人の流れが遅いわけではない。むしろ、ファル・ハルゼの人々に比べて彼らの歩みは速いと思う。


「よくぶつかりませんね」


 感心して感想を漏らすと、パウエルが振り返って笑った。


「慣れ、ですかな」


 適応能力というわけか。そうロクサーナは納得した。この町の人々にとっては、これが当たり前なのだろう。自分が慣れるには随分と掛かりそうだ。ただでさえ、故郷ザルドのアルシエルよりも人口密度の多いファル・ハルゼに慣れてきたところなのである。更に上があると思うと目がくらんだ。


 行き交う人々を観察していれば、総体的に肌が浅黒い者が多いことに気付く。着ている衣服は様々な色をしており、彩色豊かで目に鮮やかだ。中でもチュニックの上に大判の薄い色布を巻くようにして羽織っている者たちが多く、薄い紅や黄、紫、緑など、色の組み合わせも洒落ている。その色布に刺繍を施されているものもあった。


 そういえば、故郷でも外出時には砂避けに布を被る習慣があったのだ。だが、そこに刺繍をする発想はなかった。そういうものだから、という固定観念もあったし、必要だから被るという認識だったからなのかもしれない。あの華やかな刺繍入りの色布ならば、もっと外出を楽しめそうに思う。


 そんなことを考えていると、ふいに、人の波が割れた。すると道の中央に、屈強そうな男たちが輿こしを担いで現れる。彼らはチュニックのみで色布は纏っていない。輿に乗っているのは貴人なのだろう。その風貌は、輿の屋根から垂れる薄い布の向こうに隠れて見えない。輿が通り過ぎると、まるで水が戻るように人の流れが空間をあっという間に埋めてしまった。


 しばらく進むと、また人の波が割れた。今度現れたのは、輿こしでなく車だった。ただし、ファル・ハルゼで見たことのある馬や牛が引くものではなく、人が引く車だ。


「人力車ですか!?」

「ええ、ここでは普通のことですよ」


 考えてみれば、輿も人力車も技術的に難しくない乗り物だ。しかしそれが急病人や怪我人を運ぶ担架のようなものではなく、日常的に使われていると思われる様子に、ロクサーナは驚いていた。事前に「ここは惑星テクトリウスで人口が最も多い都市だ」とは聞いていたが、改めてその意味が分かってくる。ここは、人が動力源として機能している都市なのだろう。


「ここには大きな闘技場コロシアムもありますよ。人間同士が戦う血生臭いものではありますが、民衆の娯楽の一つですな。腕自慢が集まる都市でもあるのです」

「確かに、先程の者たちも鍛えられた体つきでした」


 戦争となれば有利なのかもしれない。そうロクサーナは思った。公的に所持しているM.O.V.ムーブはあれど、ファル・ハルゼでさえ、それだけで大部隊を編成できるほどではない。地球テラではかつては紛争が絶えなかったと聞いたことがある。同じ惑星に複数の氏族が居れば、そういうことも起こり得るのだろう。


 しかし惑星テクトリウスは、ロクサーナが知る限り平和そのものだ。 


 この惑星にカイレン家が入植したのは、およそ三百年前だと聞いている。同じ頃、マウリ氏族とソタティ氏族も、それぞれこの惑星に降り立ったらしい。一氏族に独占されないようにとの思惑があったのだろうが、当初はそれぞれ生活の基盤を作っていくのに精一杯だっただろう。しかし五十年が経った頃、氏族間で小競り合いが起こるようになったそうだ。暮らしが安定してくれば他所に目がいくのは自然なことなのかもしれない。そこで当時の太守たちが懸念したのは、互いに潰し合い、この惑星の発展を遅らせてしまうことだったのだと思われる。 


 そこで、三氏族間で三卿会談が持たれた。今なお続く協定が結ばれたのだ。交易や犯罪者の扱いについても取り決めが為されているが、一番大きなことは、テクトリウスの三氏族は互いに攻め合わないというものだった。氏族間を移動する手段が限られていることもあって、今現在、各氏族はそれぞれの色を濃くした発展途上にあるというわけなのである。


 ふと往来の人の数が僅かながら少なくなってきたと思えば、どこからか、軽く木が軋むような軽快な音が聞こえてきた。決まった動きを繰り返しているようなリズム感のある音だ。それも、重なって聞こえてきている。


「この音は? 何かの作業音でしょうか?」

「ああ、これは機織りの音ですな。エトラ・プラートの特産品はコットン布ですから」


 さすがに何度も訪れているパウエルは、よく知っている。

 ロクサーナは足を止めずに、自身の衣服に触れた。


「コットン布。私たちが着ている衣服の布も?」

「そうですな。ここからは上質な布を仕入れていますから。外の広大な綿花畑は見事でしたでしょう」

「そういえば、白い花が見えました」

「ええ。良い時期に、というのは不謹慎でしょうが、明日には赤くしぼむ様子が見られますぞ。実が熟して割れれば、そこから白い綿毛が出てくるのです」


 なるほど、不思議な植物だ。ロクサーナは詳しいパウエルに感心しながら、それらを想像してみた。コットンは見たことがあるが、その畑は見たことがないのだ。ぜひその変化を見てみたいと思うが、今の状況ではそうもいかない。ティアリーがいたならば、喜んではしゃいだだろうか。その様子を想像して、胸が痛んだ。


「うまく定着したものです。といっても私はテクトリウス生まれですから、あれが地球テラ産だと言われてもピンと来ませんがね」

「私もザルド生まれですから、同じです。きっと綿花はこの土地と相性が良かったのでしょうね」


 惑星土着の植物を調査することには、多くの時間と人を必要とする。それらを生きていくうえでのかてにしようと栽培するには、更に手間がかかるのだ。地球テラから持ち込んだものであるなら、この地に定着するよう苦心するだけで良いのだろう。


 ふと、ロクサーナは宮殿前の前庭に目を留めた。小さな帯状の畑は小さな囲みで幾つかに区切られており、そこには種類の違う植物が生えている。


「パウエル、あれは何でしょう? 見たことがない植物ですし、それに……」


 中には枯れている植物もあるのだ。

 宮殿を彩る庭の一部であるならば、この植物たちにも太守の意向が反映されているはずである。近付けば、丁寧に等間隔で植えられているように見えた。手を掛けて栽培されているのだと気付く。


「これは、もしかして調査用の?」

「さすがロクサーナ様」


 少し驚いたように言ったパウエルが、嬉しげに頬に笑みを広げた。


「仰る通り、それらは研究者たちによって栽培されている土着の植物たちなのだそうです。町で見られてきたように、ここにはこの調査に割く人間が多くいますからな」

「確かに……」


 人を動力源として使う原始的な都市だという印象があるが、それだけではないのだとロクサーナは考えを改めた。植物の調査に関わる知識人もおり、それを支える多くの人員がいる。植物は、食物にも医療品にもなる可能性を秘めているのだ。ハルカカが良い例である。それらの調査を太守が進めているならば、ここの太守は聡明な人物に違いない。宮殿を訪れる者に、これらの調査・研究ができることを知らしめてもいるのだろう。

 

「あちらから宮殿に入りますよ」


 パウエルの促しについて前庭を横切り、幅広い階段を少し上り、ロクサーナは立派な門に辿り着いた。丸く太い柱には細かな花の彫りが為されており、豪胆さと繊細さの融合が絶妙で美しい。その向こうでは、列柱廊に囲まれた中庭が陽光を浴びて輝いている。全く移民用宇宙船の面影は見られないが、きっと奥に仕舞い込まれているのだろう。どれだけの施設が未だ機能しているのかは分からないが、積極的に植物の研究をしているのだ、それなりのものが稼働しているのだろうと思う。


 交易担当官と特使が太守に謁見できる手筈は、太守アレクシスが整えてくれている。この惑星テクトリウスの通信手段は脆弱だが、三氏族の太守間に限り、衛星を介した通信が可能なのだという。移民用宇宙船の通信機能が生きていてこそのものだ。未だこの惑星を周っている衛星へメールを上げ、そこに別の太守がアクセスして受け取る仕組みらしい。お陰でM.O.V.ムーブの来訪にも騒がれず、ここまでスムーズに来られている。

 

 スピアを持った衛兵たちに身分を告げれば、すぐに一人の衛兵が奥に消えた。しばらく、手持無沙汰で辺りを見渡す。その時、ふいに大きな罵声が聞こえた。振り返ってみれば、町の方からだ。目を凝らしてみれば、女が腕を取られて乱暴に引きずられている。簡素な薄汚れたチュニックのみの格好で歳の頃は分からないが、上がっているわめき声はそう幼くはなかった。


「頼むよ! まだアタシは働けるんだ!」

「大人しくしろ! 旦那さまがな、お前はもう処分なんだと仰ったんだよ!」


 不穏すぎる言葉が聞こえた。

 周囲の者は遠巻きに見ているだけで、女を助ける様子はない。


 ロクサーナは見ていられず、動こうとした。が、パウエルに腕を取られて留まる。


「パウエル」

「失礼しました。ですが、余所者よそものの我々が手を出すことではありませんよ」


 すぐに手を離されたが、ロクサーナはパウエルのなだめるような言葉を振り切ることはできなかった。彼の表情から、あの光景はそう珍しくもないのだと感じ取ったからだ。


「あの女性は奴隷どれいでしょうな」

「……奴隷?」

「おそらくは、何らかの不都合で――」


 パウエルがそう言いかけた時、「お待たせいたしました」という柔和な声が背中側からかかった。振り返れば、いつの間にか衛兵が案内役と思わしき人物と共に戻ってきている。柔和な雰囲気を醸し出している彼の出で立ちは、白いチュニックに緑に染められた羽織布姿だ。そこの裾には白い糸で植物の刺繍が為されている。衛兵がかしこまっている様子から、彼はそれなりの地位を持つ人物なのだと思われた。


「こちらへどうぞ。太守がお待ちです」


 手を伸べられ、促される。ロクサーナはやはり気になって後ろを振り返ってみたが、そこには既に女の姿は見えなかった。  


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