第10話 B-サイトカイン-2

「もしもし、茜?」


大急ぎで研究所ラボから出て、広々とした廊下をエントランスに向かって歩きながら呼びかければ。


『真尋くん?急にごめんね!いま仕事中だよね?』


久しぶりに聞く茜の声は、溌溂として元気そうだった。


母親から、彼女の体調についてはちょくちょく話を聞いていたけれど、安定しているようだ。


しばらくは実家でゆっくり過ごして、それから次の仕事について考えればいい、という父親からの助言にしたがって、就職活動は控えていると聞いていた。


オメガ属性を打ち明けて、企業に配慮を求めることも一つの手段ではあるが、社会的に低い扱いを受けがちなオメガを雇用したがる企業は少ない。


かといって第二性別を隠したまま就職して、突発的な発情トランスヒートを起こして、会社に居られなくなるパターンも考えられる。


実際、オメガ療養所コクーンに入院するオメガの大半は、往来や職場で突発的な発情トランスヒートを起こして、トラブルに巻き込まれたり、巻き込まれそうになって、心に傷を負った患者がほとんどだ。


茜が就職に慎重になるのも頷けるので、良い企業に巡り合えることを祈るよりほかにない。


「そうだけど、いいよ、別に。どした?おまえ、いま家?」


通院以外は基本的に自宅で過ごして、買い物に行くときは父親か母親と一緒に出かけることが常の彼女が、平日の午後の時間帯にふらふらしているとは思えない。


『うん、そう。実家戻ってからずっとゆっくりさせて貰ってて・・・』


「ふーん・・・いいんじゃねぇの?まだ1年も経ってないし」


『そうなんだけど、そろそろ次の仕事考えなきゃなって思ってて・・・』


「うん。で、何に悩んでんの?」


聞いて欲しいことがあって電話してきたのだろうと問いかければ。


『え!なんでわかんの!?』


心底驚いたような声が返って来て、苦笑いが零れた。


「いや声で・・・」


『声!?普通じゃない!?』


「お前が外側に出す反応で体調伺う癖がついてんだよ。で、なに、就職先迷ってんの?」


視線や仕草や声、それらをつぶさに見て取って彼女の体調を把握してきた。


もう癖のようなものだ。


これでも二人目の主治医だったので。


『うん・・・・・・あのね、オメガ療養所コクーンで、追加の管理栄養士の募集が出るんだって』


茜が口にした言葉に、一瞬息が止まった。


開設当初はスタッフが間に合わず、最低限の収容人数でスタートしたオメガ療養所コクーンも、今ではほとんど空き部屋が無い状態だ。


当然勤務スタッフの増員も必要になる。


彼女に情報を流しそうな人間は一人しかいない。


「・・・・・・我孫子さんか」


『そう!この前メッセージで連絡をくれて・・・』


「え、なに、おまえ我孫子さんと連絡取ってたの?」


てっきり自宅に連絡が来たと思ったのに。


『取ってるよ。退院してからも色々相談に乗ってもらってるし・・・え、駄目だった?』


ケロっとした口調で返されて、胸の奥がモヤモヤした。


茜の主治医は我孫子で、同性の彼女のほうが何かと打ち明けやすいのは道理なのだが。


「いや別に、駄目じゃねぇけど・・・それで?」


『オメガ待遇の雇用枠もあるから、どうかなって言われて・・・・・・』


メディカルセンターを抱える西園寺グループは、オメガ保護の成立前から、積極的にオメガを採用しており、その際には、発情期ヒート休暇などのオメガ待遇が適用される。


体調優先で働ける環境を提供してくれる優良企業として注目を集めていた。


「やりたいならやりゃいいんじゃね?こっちのほうが、おまえも色々楽だろうし」


なんせオメガ療養所コクーンはオメガ保護のための施設なので、突発的な発情トランスヒートが起ころうと危ない目に遭うことが無い。


身内としてはもっともお勧めしたい企業だ。


しかもオメガ待遇での就業となると、シフトも優遇されるので発情期ヒートに対応しやすくなる。


この町に彼女が戻ってくれば、何かあっても真っ先に真尋が飛んでいくことが出来る。


これよりいい条件はどこを探したってきっと見つからない。


『うん・・・だよね』


真尋の返事に背中を押されたらしい茜が、ほっと息を吐いてから付け加えた。


『あとね、抑制剤の治験、受けさせて貰おうと思う』


「え?」


『オメガの私にも出来ることがあるなら、やりたいなって・・・・・・真尋くんも頑張って開発続けてくれてるし・・・・・・ちょっとでも力になれたらなって』


自ら進んで第二性別を明かして治験に参加したいと申し出てくれるオメガは極端に少ない。


オメガ療養所コクーンに入院した患者の一部は、西園寺の理念に共感して、貢献したいと申し出てくれることもあるが、それでも少数だ。


自分が茜のためにと尽くしたことが、こんな形で返って来るなんて、思ってもみなかった。


「うん・・・おまえが決めたなら、俺はなんでも応援するよ」


そう返すのが、精一杯だった。


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