第15話 B-エンドソーム

「あ・・・」


海が見渡せるカフェのテラス席で、茜が何かに気づいたように声を上げた。


彼女がこの町で暮らすようになってから、週に一度はこうして買い物に連れて出るようにしている。


オメガ療養所コクーンとメディカルセンターの周辺にはスーパーはウエノマート一軒しかないのだ。


オメガ属性が分かってからは、極力外出を控えて生活していた茜は、社会復帰と同時にこちらにやって来た。


オメガの受け入れ態勢が他の都市よりも整っている環境に身を置くことを望んでくれたことにほっとしたし、嬉しくもあった。


両親、とくに母親からは、これからは自分たちの分もしっかりと茜のことを見てやって欲しいと頼まれているし、言われずともそのつもりだ。


だからこうして人の多い場所に出かける時には必ずそばについている。


治験を始めてからますます彼女の体調変化に過敏になった。


茜が、自分もオメガのために何かしたいと思ってくれたことで、さらに研究者として邁進しようと思えたし、彼女に対する責任感を増した。


彼女が治験参加を決意したのは、少なからず真尋の影響があるからだ。


茜がオメガ療養所コクーンを退院するまでは、と必死に寄り添って過ごした数か月が、こんな形で実を結ぶだなんて。


面映ゆい気持ちと、誇らしい気持ち。


血のつながりなんて1ミリもないのに、彼女の心境に変化を与える何かを差し出すことが出来たのだと思うと、理屈じゃない絆を感じる。


それを素直に表現して伝えられるわけもないのだけれど。


「ん?どした?」


パスタランチのセットは残り半分。


さすが管理栄養士というべきか、働き始めてからの彼女は何でもおいしく食べるようになった。


出された物を残すことはまずないし、食べきれない時は真尋に助けを求める。


お皿を空にするのが礼儀だと育てられたんだろう。


やせ細っていた頃を知っているだけに、彼女の食欲が旺盛だと嬉しくなる。


体調不良と食欲がと直結しているのも茜の特徴で、こちらとしては把握しやすいので非常に助かる。


「あの人アルファだ」


少し離れたテラス席のテーブルをチラッと一瞥して、茜が小声で言った。


アルファを察知する能力は相変わらずだ。


フェロモン抑制装置を付けていない状態で、自分が隣に並んだ時のことを思うとげんなりする。


真尋のことをベータだと信じて疑わない茜を、最後まで騙しきることへの罪悪感で、ちくりと胸が痛んだ。


”最後”


一瞬過った単語を振り切るように視線を持ち上げた。


「席、替えて貰う?」


茜の体調は落ち着いているし、発情期ヒート中でもないが、アルファのフェロモンに当てられて具合が悪くなると困る。


こういう時のために真尋がそばにいるのだ。


茜がこちらでの生活に慣れてから、気分転換に少しずつ外に連れ出すようになって、外出先で突発的発情トランスヒートに見舞われたことは二回だけ。


そのどちらも治験中の即効性抑制剤を飲めばすぐに落ち着いた。


周囲の人間にオメガの存在が気づかれることもなかった。


素早い対処が出来たのは、日ごろから茜の体調変化を細かく把握していたおかげだ。


今のところ茜の顔色に変化はない。


それでも判断を誤るわけにはいかない。


早速店員を呼ぼうとしたら、茜が慌てて返事をして来た。


「あ、ううん。平気。あの人番がいるみたい・・・なんか、フェロモンが安定してる」


仕事の昼休憩なのだろうか、スーツ姿の男性が二人と女性が三人。


和やかに食事を楽しんでいる。


こうして改めて意識して見ると、アルファのフェロモンを感じなくもない。


が、番持ちかどうかまでは真尋には分からない。


どこまでもアルファを求めるようにできているオメガの性をひしひしと感じる。


アルファに対する嫌悪感がずっと変わらない茜のなかに、”番探し”という言葉は存在しない。


恋だ愛だの甘ったるい感情より先に、欲望を剝き出しにしたアルファを目の当たりにしたのだから、そうなるのも無理はなかった。


どれだけ興味を引かれるアルファに出会っても、たぶん、その事を思い出して及び腰になるのだろう。


だから、最後はたぶん来ない。


茜が運命の番を見つけて、アルファに自分の項を許すことは決してないのだ。


生涯抑制剤を飲み続ける生活と引き換えに。


これが正解なのかは分からない。


けれど、茜の気持ちを積極的に変えようとは微塵も思わないのだ。


たぶん、この関係がどこまでも続いていく事をオメガ療養所コクーンで再会したあの日に直感で悟っていたのだろう。


そして、あっさりと受け入れてしまっている自分が居た。





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