第27話 ケモカイン-2

「一人で来たんだろ?送ってやるから」


まさかこの時間から本数の少ない循環バスで帰すわけにもいかない。


パソコンを閉じようとした真尋に向かって、雫が平気です、と声を上げた。


「緒巳さんとご飯してたんですよ。この後家まで送ってもらうので」


センター長の名前が飛び出して、マウスを動かす手を止めた。


西園寺家当主が直々に家まで送るというのなら、一介の同僚に口を挟む権利なんてない。


「西園寺家当主を顎で使えるのはおまえくらいのもんだよ」


「ひどっ!違いますよー!緒巳さんに急ぎの連絡が入ってこっちに戻ることになったから、一緒について来たんです」


メディカルセンターの創設者である西園寺が、雫のためにここを作った事は周知の事実だ。


オメガ黎明期からメディカルセンターが抑制剤の開発研究を始めたのは、発情期ヒートに苦しむ雫を救うため。


入社にあたって何度も聞かされたオメガ姫の存在は、半ばおとぎ話のような感覚でしかなかったけれど、実際に会った西園寺雫は、想像していたよりずっと大人びていた。


番探しに夢を見ていられないオメガの切実さをひしひしと感じて、抑制剤の開発研究にのめり込んでいく雫に同乗の眼差しを向けそうになったことも一度や二度ではない。


茜とは違い思春期に突発的な発情トランスヒートを起こしてオメガであることが分かった雫に青春時代はなく、海外の論文を取り寄せては読み漁ることで空白を埋め尽くして来た彼女が研究者として研究所ラボに入るのはある意味当然のようにも思えた。


そして、そんな雫を西園寺は殊更可愛がっている。


「ああ・・・なるほど」


そういうことかと頷けば。


「もうみんな帰ってると思ったのに・・・・・・緒巳さん迎えに来るまで、話聞きましょうか?」


自席の椅子を引き寄せて、話を聞く体になった雫を見つめ返す。


人工の大半がベータというこの世界で、優秀で相性の良い運命の番を見つけ出せる確率はごくわずか。


発情期ヒートを抱えるオメガの運命探しはそんなに簡単なものではない。


そんなものに縋っている暇があったら、少しでも効能の強い抑制剤を生み出したい、と真顔で言った大学生のころの雫が、ふと甦って来た。


一番恋に憧れる年齢でオメガ属性が目覚めた彼女にとって、甘い夢は憧れは、絵空事でしかなかった。


「姫ぇ、おまえさぁ・・・・・・いまもアルファは探さなくていいって思ってんの?」


「だって気になるアルファに出会ったことありませんもん。いや別に、有栖川さんと麻生さんが

駄目っていうんじゃなくてですよ?そもそも運命って言われても映画とか漫画の世界の出来事だし、今日までずっとそうだったから、この先もそうかなぁって・・・ほら、うちの研究所ラボ優秀だから、抑制剤の改良も進んでるし、これさえあればこの町では十分幸せに生きていけるから・・・」


どの都市よりもオメガ保護が浸透しているこの町は、オメガにとっては理想郷だろう。


そこに加えて西園寺の後ろ盾を持つ彼女なのだから、半永久的にこの町と西園寺の名前に守られて生きていくことが出来る。


「・・・・・・おまえもアルファ苦手なんだっけ?」


「苦手ではないですけど、突発的な発情トランスヒートのことを思うと極力近づきたくはないかなぁって・・・私のオメガ性質強いし」


「じゃあさ、もし、そういう不安を抱かせないアルファが現れたらどうする?」


「・・・・・・どうって?」


「やっぱり・・・・・・惹かれたりするのかな?」


「・・・・・・・・・え、橘田さんにいい人できました?」


そんな話は聞いてませんけどねぇと呟く雫を盛大に睨みつける。


「っは?ちげぇわ!」


あの男がいい人なものか。


そもそも視察研修は永遠に続かない。


都築はいずれは東京に戻るのだ。


その時、茜が離れたくないと望んだら?


「・・・・・・・・・都築さんがアルファだから、心配してるんですか?」


「心配・・・は、してねぇよ・・・・・・」


茜の危機管理能力は信用している。


自分から進んでアルファに近づこうとしない彼女がトラブルに巻き込まれる可能性は低い。


相手から近づかれない限りは。


初めての苦手じゃないアルファ。


嫌悪感を抱かない男から言い寄られたら、茜はどんな反応を示すのだろう。


そういえば、彼女の恋愛遍歴について訊いたことがなかった。


尋ねたら、セクハラとか言われそうだけれど。


茜の好みのタイプくらい、把握しておくべきだった。


苦い顔で呻いた真尋を見て、雫があっけらかんと言った。


「あ、じゃあ嫉妬だ」

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