第22話 ヒストン-1

「・・・・・・・・・都築斗真・・・・・・ってアルファじゃねぇか!」


打ち合わせを終えて研究所ラボに戻って来るなり乱暴にキーボードを叩き始めたと思ったら、急にわけのわからないことを喚き散らした同僚に、有栖川は眼鏡のブリッジを押し上げながらげんなりした視線を投げた。


この同僚は優秀な研究者であることに間違いないのだが、どうも思考に偏りがあり過ぎるきらいがある。


偏りの原因はいつも同じ、血のつながりのない義妹に対することなのだが、本人はさっぱり無自覚だから恐ろしい。


同じように血のつながりのない義妹と義兄を持っている有栖川としては、ちょっと距離が近すぎるのではないだろうかと常々思っているのだが、まあ他所の家のことなので口を挟むつもりもない。


藪から蛇を出して面倒ごとに巻き込まれるのはご免である。


義妹の治験の検診日は前日徹夜になってでも身体を空ける無茶っぷりを発揮するこの男の鈍感さを、ある意味尊敬している有栖川だった。


こういうところは、どこか天邪鬼な実家の妹を思い出させる。


あっちは好きすぎて気持ちが空回るタイプだったけれど、こちらは無意識に恋心が暴走するタイプのようだ。


どちらも難儀なことに変わりはないが。


「都築・・・って、誰?」


オメガバースの研究以外は結構どうでもいいと思っているオタク気質の有栖川は、研究所ラボから一歩出れば同僚の顔と名前もさっぱり一致しないレベルで把握能力が低い。


聞こえて来た男の名前についてもまったく記憶になかった。


ぽかんとした顔になる有栖川に代わって、研究所ラボの室長が答えを口にした。


「ああ、都築って・・・・・・ほら、いま厚労省からオメガバースの研修受けに来てる麻薬取締官のことだよ。最近、オメガを狙った違法ドラック事件が増えてるだろ?」


「怖いですよね・・・表に出回ってない効力の高い抑制剤だって偽って違法ドラックに手を出させるなんて・・・ほんと悪質ですよ」


自身もオメガである西園寺雫が真剣な表情で許せませんよと呟く。


「若年層の間で一気に被害が増えてるらしいから、どうにかして早期解決したいんだろうねぇ」


「なるほど、それでオメガバースへの理解を深めるための実地研修ですか」


「そうそう、そういうことだよ。僕ら大人世代はそもそもオメガバースを知らない人間のほうが多いからね。属性の基礎知識から抑制剤の成分までがっつり勉強してもらう予定。みんなそれぞれ担当振ってあるから、合間見て資料の準備よろしくね。姫は、オメガサイドの意見交換の時だけ出て貰うけど、一対一での面談はさせないから、僕も一緒に行くからね」


被験体として学生の頃から研究所ラボに出入りしている雫は、未だに研究者たちの妹兼お姫様扱いのままだ。


それくらい貴重な存在なので、万一を考えての丁重な扱いなのだが、どうしても本人の不満は尽きないらしい。


「室長、私もう3年目ですよ?十分一人でヒアリングも出来ますけど!」


「んーでもねーセンター長がねー・・・・・・アルファとは絶対二人きりにするなって」


「緒巳さんは大げさなんですよ!」


「いやーでも駄目」


「うん、俺も駄目だと思う」


「駄目だな」


「駄目だ」


一気に反対意見が押し寄せて、雫が子供っぽく膨れっ面になる。


それでも強引に押し切れないと分かっているらしい彼女は、渋々わかりました、と頷いて自分の作業に戻って行った。


室長の話からして、研究所ラボの全員にそれぞれ担当を振って、マトリへオメガバースの説明を行うつもりのようだった。


「うわ、ほんとに指示来てる・・・・・・めんどくさ・・・で、なに、麻生、その都築がどうかした?」


「・・・・・・・・・茜が拒否しなかったんだよ」


「ふーん・・・・・・・・・・・・え!?アルファなのに?」


頷きかけて我に返って真尋のほうを確かめれば、げんなりとした表情で彼が液晶画面を睨みつけていた。


表示されているのは、西園寺メディカルセンターへの入館申請に関するデータだ。


機密情報まみれの施設への入館は、事前申請が必須で身分証の提示とセットでようやく入館証を受け取ることが出来る。


厚労省からの依頼を受けて、研修を引き受けはしたが、研究段階の新薬や、フェロモン抑制装置のことは当然開示する予定はない。


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