第43話 トランスクリプトーム-1

「来るの遅くなっちゃってごめんね!色々買い込んでたら思いのほか時間かかっちゃって・・・具合どう?眩暈は?」


ドアを開けて顔を見せた青白い顔の紗子に、両手いっぱいの救援物資を持ち上げて見せる。


職場の図書館で、突発的な発情トランスヒートを起こした紗子から、体調を崩したと連絡を受けたのは昨日の夜の事だった。


半日休暇を取得して、仕事帰りに外に出られない紗子に代わって食料品を買い込んでお宅訪問したのだが、かなり具合が悪そうだ。


トランスタイプのオメガである紗子は、発情期ヒートの周期が不規則で体調の変化も激しいため、発情期ヒートに寝込むことが多い。


彼女の場合は食欲不振と不眠症が酷くなる。


抑制剤を飲むためにも何か食べなくてはならないし、胃薬ばかりでは身体が参ってしまう。


紗子の好きなグレープフルーツと、食べやすい麺類を何種類か買い込んで来たのだが、ヨーグルトやプリンもあったほうが良かったかもしれない。


独り暮らしのオメガ同士、困ったときは支え合おうと決めていて、真尋が忙しくてフォローに来られない時には、紗子に甘えることもあった。


が、茜が寝込む確率よりも、紗子が寝込む確率のほうが断然多い。


希望すれば、オメガ療養所コクーンで短期療養することも可能なのだが、いくらオメガ補助制度を利用して就業しているとはいえ、突発的な発情トランスヒートのたびに入院することは出来ないと拒んでいた。


彼女のようなオメガにこそ、運命の番が必要なのに。


あんな事が無かったら、間違いなく都築を紗子に紹介していたな、と身勝手な考えが頭を過って、その直後に猛省した。


あの夜以来会えていない、厚労省に一時帰還中の都築の顔と、出張中の真尋の顔が同時に浮かぶ。


真摯に気持ちを伝えてくれた人に対してあまりにも失礼過ぎる。


茜が抱えている思いや希望は、都築には何の関係もないし、いまだオメガであることに悩まされ続けている紗子の気持ちを置き去りにして勝手にアルファと会わせようとするのもただのお節介だ。


「来てくれてありがとう。毎回ごめんね。さっきまで眩暈が酷かったんだけど、もう落ち着いてるの」


無理に笑顔を浮かべる紗子をソファへと追いやって、勝手知ったる倉沢家の冷蔵庫に買って来た食料品を格納していく。


「全然寝れない?」


軽い調子で尋ねれば、紗子がソファで横になったまま頷いた。


「・・・・・・・・・眠りが浅いの・・・・・・・・・・・・帰ったら急に眠気が来ることもあって、茜にもなかなか連絡出来なくて、ごめんね」


「そんなのいいよー。蔵書点検近いって言ってたもんね」


トランスタイプのオメガである紗子は、極力他者との接触を控えるようにしており、図書館での勤務内容も限定的だ。


カウンター業務は免除で、書庫での書籍類のデータ登録と修復作業をメインに行っている。


図書館内では初めてのオメガ女性職員の採用だったため、受け入れにあたって既存職員への研修が実施され、シフトも少なめに調整してあった。


今回のオメガ採用は試験運用的なもので、紗子が問題なく就業できることが実証されれば、ほかのオメガの追加採用も検討されるという。


西園寺の狙いは、オメガ療養所コクーンで受け入れしたオメガに新たな居場所を提供し、地方都市に根付いてもらうことにあった。


その為、オメガ保護を訴える団体や医療機関からは、第二、第三のオメガ療養所コクーン建設を希望する声が後を絶たない。


紗子はフロア仕事を免除されている分、蔵書点検などの裏方仕事のサポート役を任されているので、その準備に追われているのだ。


図書館で働くスタッフは時短勤務の女性が多いため、休暇を取りやすい利点はあるのだが、学校行事が重なると人員が手薄になるので、いつも紗子は事前準備に余念がない。


一人で黙々と本と向き合う仕事は、自分の性に合っていると紗子は言うし、それは茜も同意見なのだが、責任感の強い彼女はどうも根を詰めすぎるきらいがある。


本来なら茜がもっとそばであれこれ世話を焼いてやりたいのだが、自分自身の体調もあってなかなか思うようにいかない。


精神面でオメガ同士支え合える部分は大いにあるが、茜の持つオメガの性質と、紗子の持つオメガの性質は異なるので、そのすべてを理解して慰め合うのは難しい。


「磯上さんの子供さんがね、インフル貰っちゃったらしくて、看病でお休みされてて・・・」


「え!?それかなり大変じゃないの」


「旦那さん出張中でワンオペだし、下の子供さんもいるからしばらくは来られないと思うのよね」


「磯上さんって蔵書点検の担当でしょ?じゃあ、残ってる仕事全部紗子一人でやってんの!?」


本を求めて隣町から足を運ぶ人がいるくらいの蔵書量を誇る図書館の蔵書点検はかなり大掛かりで大変な作業だ。

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