第8話 B-レチナール-2
有無を言わさぬメッセージの後、母親からの電話で泣き付かれて、出来る範囲で協力すると口約束をさせられた。
正直、出来ることなんてほとんどなかったのだ。
どれだけ抑制剤の研究開発に勤しんでも、今日明日で画期的な新薬は生まれない。
茜が自分の第二性別を受け入れて、オメガであることに折り合いをつけて、体質に合う抑制剤を見つける以外に、してやれることは何もない。
せいぜい様子を見に行って励ますのが関の山だ。
そうやって始まった遅すぎる兄妹ごっこ。
「俺は誠実で真面目なんですよ」
「ほーう」
真尋の言葉に我孫子がクスクスと笑い声を零した。
事実だ。
誠実で真面目だから、茜のことをどうにかしようと必死になって、必死になったからこんな燃え尽き症候群みたいなことになっているのだ。
「ただの研究者にしておくのはもったいないくらいの献身ぶりだったよ。きみ、医者になればいいのに」
「・・・茜以外には無理ですよ」
相手が義妹で見捨てられないと思ったから、あそこまで付き合えたのだ。
他の誰かに同じように心を砕けと言われたら、とっくの昔にさじを投げている。
「誰かを救いたいと、一度でも本気で思ったことのある人間なら、素質があると思うけどね」
真っすぐに射抜くような視線を向けられて、苦笑いを返した。
「・・・スカウトなら他所でやってくださいよ、我孫子さん」
「そりゃ残念。で、麻生くんはこれからどうするの?」
「どうって・・・これまで通り、研究者に戻りますよ」
茜に割いていた時間を研究開発に回せば、少しでもよりよい抑制剤を生み出せるかもしれない。
オメガに出来ることは、まだまだ無限にあるのだ。
「・・・・・・橘田さんはご実家に?」
「両親が心待ちにしてますから」
体調が安定しない日が続いていたこともあって、両親のお見舞いは遠慮して貰っていた。
かならず元気になって戻るから、待っていて欲しいと電話で伝えた茜に、両親は何度も待っているからね、と伝えて愛娘を励ましていた。
あれを間近で見ておきながら、茜を返さないという選択肢はない。
本人も実家に戻ることを心待ちにしているだろうし。
ああそうか、心待ちにしていないのは俺だけなのか。
いきなり浮かんだ考えを慌てて頭の中ら押し出した。
ここでやれることはもうないし、真尋が力になれることももうないのだ。
本当にいい具合に毒され過ぎてしまったようだ。
ここまで来てもまだ、彼女にしてやれることを探そうとするだなんて。
「寂しくなるねぇ」
「・・・・・・・・・・・・清々しますよ」
きっぱり言い返した真尋の顔をまじまじと見つめて、我孫子が意味深に目を細めた。
「・・・・・・・・・それ、橘田さんの前でも言える?」
「・・・・・・・・・」
「言えないなら、自分に嘘つかない事だね」
・・・・・・・
「母さんに連絡した?」
「まだこれから。まずは真尋くんにお礼を言わなきゃと思って」
きゅっと唇を引き結んだ茜が、真尋に向き直る。
こんな風にされると、居心地が悪くてたまらない。
さっきの我孫子との会話を思い出して尚更複雑な気持ちになる。
兄妹ごっこを終わらせるのが寂しいだなんて。
「いまのは謝罪だけどな」
ぶっきらぼうに言い返せば、茜がパチパチ瞬きをして、入院当初とは比べ物にならないくらいふっくらした頬をむうっと膨らませた。
ついでのようにわき腹に拳が飛んでくる。
枕、リモコンを投げ飽きた彼女が拳を握るようになったのは、入院を始めてから3週間ほど経ってからだった。
こんなこと出来るようになったのかと嬉しかったのは内緒だ。
「これから言うの。ほんとに、沢山ありがとう」
噛みしめるように呟いた茜の華奢な手首を捕まえて持ち上げる。
相変わらず細いけれど、あの頃のような心許なさは感じない。
これで、良かったのだ。
「おまえ、力も強くなったよな」
心の底からの安堵を口にすれば。
「真尋くんのおかげでね!」
勝ち誇ったように茜が朗らかに笑った。
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