第7話 B-レチナール-1
いつものように彼女の病室を訪れたら、ベッドに腰かけていた茜が改まった表情で頭を下げて来た。
「色々とご迷惑をおかけしました。お世話になりました」
「・・・・・・・・・しおらしくされると逆に怖ぇよ」
泣き喚く怒鳴り散らすの対応から始まった療養生活のなかで、こんな風に硬い表情の茜と向き合ったことはなかった。
ほんの一瞬だけ、彼女を手放すような感覚になってしまう。
娘を嫁に出す父親の心境はこんな感じなんだろうか。
いや、そもそも年齢的にどうしたってその設定は無理があるだろ。
混乱気味の思考を一旦停止させて、真尋は茜の隣に腰を下ろした。
「俺もいま我孫子さんから聞いた。退院日決まったんだな」
「うん。地元の診療所に紹介状書いてもらえたから、次からはお薬そっちに貰いに行く」
「そっか」
オメガ
オメガ保護を訴え続けていた彼女を迎えることで、オメガ
真尋としても、義妹を預けるのにこれ以上の環境はないと思っていた。
茜の元に向かう前に、我孫子の診察室を尋ねるのはいつもの事だ。
真尋の前で嘘は通用しないと本人も分かっているのか、体調については素直に口にする茜だが、体内のことまではわからない。
主治医の観点から見た茜の様子を共有して貰うことは日課になっていた。
・・・・・・
誰よりも信頼のおける彼女が、退院して問題ないと結論を出したのだから、その通りなのだろう。
やっと彼女を両親のもとに返してやれる。
ホッとしていいようなものなに、なぜか真尋の胸を過ったのは空虚感。
こんな風に他人を身内として懐に入れたことが無かったので、初めて覚える喪失感に戸惑いを隠せない。
治療を受け始めたばかりのころは、自分の置かれた現実を卑下することしかできなかった彼女が、これからの事に目を向けることが出来るようになって、自宅に戻ってからのことを考えられるようになった。
最近では、真尋の不摂生を心配して口を出すようにもなって来て、彼女の心境が変わって来たことをひしひしと感じている。
そういう前向きな変化は当然喜ぶべきことだ。
オメガ
オメガを敵視するすべてのものを排除して、繭の中で心と体を労わるための施設。
そしてそれは永遠ではない。
オメガが自分と向き合って、現実社会に戻るための準備をする場所でもあるのだ。
だから、これは正しい。
それなのに。
「どうしたの?えらく浮かない顔ねえ。妹ちゃんがいなくなるのはそんなに寂しいか」
電子カルテから視線をこちらに戻した我孫子が、興味深げに眉を持ち上げる。
「いや・・・・・・なんか、現実味が・・・」
昼間に茜の様子を見に行って、仕事帰りにもう一度顔を出して、体調の変化がない事を確かめてマンションの部屋に戻る。
それが当たり前のように続いていくのだと、心のどこかでそう思っていたのだ。
茜に会いに行くことは、もはや真尋の日常の一部でもあった。
「まあ、ここ入ってからべーったりだったしねぇ。無理もないわ」
初めて出来た義妹で、しかもオメガ。
戸惑わなかったと言えば嘘になる。
任された責任の重さにはげんなりもした。
けれど、一度として放り出そうとは思わなかった。
どれだけ罵詈雑言を投げつけられても、泣き喚かれても。
茜だけは絶対に手放してはいけないと、そう思っていたのだ。
「あいつ、大丈夫ですかね」
「大丈夫だと判断したから、退院許可を出した。抑制剤も効いてるし、彼女は幸い突発的な
「それは・・・・・・はい・・・」
「麻生くんって意外とシスコンだな」
「は?いや・・・・・・シスコンでは・・・・・・一緒に暮らしたこともないし、兄妹っていう実感もないし・・・・・・ただ・・・」
「ただ?」
「うちの母親が、是が非でもあいつのことをどうにかしてやれって・・・・・・押し付けられて・・・」
そう、最初は押し付けられたのだ。
こっちの都合なんてお構いなしに。
”茜ちゃんの体調がよくありません。
精神的なフォローも含めて、長期的な治療をしたほうが良いと先生に言われました。
正直、私たちもこれ以上手の打ちようがありません。
オメガ
メディカルセンターとオメガ
兄として、妹にしてやれることを考えてください。”
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