第5話 B-オプシン-1
「・・・・・・ここって良い施設ね」
ようやく抑制剤が身体に馴染み始めて、不安定だった気持ちも少しだけ浮上した、のどかな午後。
昨日に引き続きオメガ
入院してからこちら、ずっと病室にこもりきりだった茜は、オメガ
右を見ても左を見ても同じ症状で苦しむオメガが居る、という環境はある意味安心ではあるのだが、どうしようもない場所まで来てしまったのだという諦めや、悔しさが消えることはない。
どう足掻いても、これまでの日常には戻れないのだ。
凹んで苛立って泣き喚いて、ありとあらゆる方法で八つ当たりし尽くしたという自覚があるので、ちょっと付き合えと言われたら嫌だと突っぱねることが出来なかった。
その辺りの事を、真尋も分かっているのだろう。
いい年した大人がみっともなさすぎることをした、とちょっと冷静になった今なら猛省できるが、あの頃の自分には、自分の状況を俯瞰する余裕なんてどこにもなかった。
けれど、改めて最新設備の整ったオメガ
ここに来られたのも、真尋が西園寺メディカルセンターで働いていたおかげだ。
彼がこの町に居なければ、両親は茜を手元から放そうとはしなかっただろう。
一緒に苦しんで、悩んで、もがこうとしてくれる両親の存在は心底有難くて、重たかった。
だから、ここに来られて本当に良かった。
あのまま家に居たら、きっと身体も心も駄目になってしまったと思う。
両親と新しく始めた穏やかで平凡な3人家族を必死に守ろうと、無理やり笑顔を貼り付けて生活していたはずだ。
もはや負の遺産でしかない茜の面倒を見ることになってしまった義兄には、申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど。
「だろ?西園寺さんが、オメガの事だけ考えて作った施設だからな」
田舎の広々とした土地を有効活用したオメガ
複数動線を確保できるように、いくつもの廊下やスロープや階段が設置されており、忙しなく行き交うスタッフの姿を目にしたことはほとんどない。
入院患者がリラックスして療養期間を終えられるように、という細やかな気遣いは、どこまでもオメガの心に寄り添っていた。
「ちょっと真尋くん、コーヒー何杯目?」
カフェオレのストローをくるくる回しながら、真尋が飲むアイスコーヒーの紙コップを睨みつける。
「んー・・・・・・4か5?」
「カフェイン摂りすぎ。飲むならせめてデカフェにしなさい」
「んー・・・」
おざなりの返事をした真尋が、氷がたっぷり入ったアイスコーヒーを口に運ぶ。
都合の悪いことは右から左に聞き流すのは、再会してからずっと変わらない。
彼がこんな調子だから、茜は自分を取り繕うことなく全力でぶつかることが出来た。
「またそうやって生返事してさぁ・・・ちょっとは身体のことも・・・・・・・・・なに?」
ぶつぶつ文句を言いながら、氷なしのカフェオレを飲む。
真尋がひょいと眉を持ち上げて、嬉しそうに眦を緩めた。
「おまえがそんなこと言えるようになるなんてな」
「はあ?」
意味が分からず眉根を寄せる。
ここ最近来るたびメディカルセンターのコーヒーショップの美味しいカフェオレを差し入れしてくれるのだが、彼は空腹をコーヒーで誤魔化そうとするきらいがあるのだ。
尋ねれば、夜までコーヒーだけで過ごすことも少なくないという。
研究者というのはそんなに不規則な仕事なのだろうか。
自分はそんな風に不摂生の極みを突っ走っている。
そのくせ、食欲がないと不貞腐れる茜には、食べて体力を付けろと口煩く言ってくるのだ。
怒って喚いた拍子に、口の中におかゆを突っ込まれて、反射的に飲み下してしまったら、これからこの手を使うか、と平然と投げられて、彼の手かられんげをぶんどったのは懐かしい記憶だ。
一度口に入れたものは、ちゃんと飲み込みなさいと躾けられた自分が憎い。
おかげで、やせ細っても栄養失調で倒れることはなかったけれど。
「こないだまで自分のことばーっか言ってたのにな」
なんで私がオメガなの、なんで私が苦しまなきゃなんないの?
途端、真尋にぶつけた言葉の数々が甦って来た。
「うっ」
「誰かを気遣える余裕が出て来て良かったよ」
「いや気遣ってないし。私のせいで体調崩したとか言われたら迷惑だから」
「ねぇわ」
「でも、毎日来てるでしょ?仕事大丈夫なの?夜も絶対こっち寄ってるし・・・・・・義妹に構ってるせいで彼女に振られたりしないでよ」
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