第32話 トポイソメラーゼ-2

何かのついででなくては、顔を見られない関係なのだとあの夜初めて気づいた。


そして、呼び出す理由が一つしか思い浮かばない自分が虚しくもなった。


会いたい、と言えば、当然茜は困惑するだろう。


今更兄妹ごっこの延長で義妹を恋しがる振りをするわけにもいかない。


でもどんな馬鹿みたいな理由を使ってでも、そのひと時を自分だけのものにしてしまいたかった。


スピードを上げて近づいてくる自転車から庇おうと軽く引き寄せた瞬間、間近で感じたオメガの香りにくらりとして、腕を回して背中ごと抱きしめた。


フェロモン抑制装置は着けているし、発情してもいない。


けれど、すぐそばに感じる茜の体温や吐息や香りは、否応なしにこちらの本能を揺さぶってくる。


そこに加えて投下された爆弾発言だ。


いい具合に酔いそうになって、これはまずいと腕を離せば、あろうことか茜の方から手を伸ばして来た。


尋常ではない真尋の発言に困惑したままの表情は、これまで見たどの表情よりも頼りなさげで、そういう顔をさせないために側にいようと決めたのに、本末転倒に陥らせた自分に憤りを覚えた。


自覚した途端、何もかもが壁にぶつかってしまった。


行き止まりのそこを壊す勇気も、引き戻す勇気もない。


あんなことを言えば、茜は間違いなく動揺する。


自分たちの距離と関係を改めて見直して、そして思い改めるに違いない。


正しい研究者とオメガの距離を。


そして出来たその隙間に、都築を引っ張り込むのだろうか。


自分を知って欲しいアルファとして、彼を受け入れるのだろうか。







・・・・・・・






「・・・・・・・・・凹んでるね」


駅前の居酒屋のカウンター席で、焼酎のグラスを傾けながら有栖川が短く感想を口にした。


「そりゃあ・・・凹むだろ・・・・・・まだ遅すぎない、と、思うしかないけど」


もう少し早く、自分の気持ちを自覚していたら、都築が来る前に茜に自分の気持ちを伝えただろうか。


いや、ようやく日常を取り戻した茜に、自分の気持ちぶつけるなんて選択肢はどこを探しても見つからなかったに違いない。


ずっとこのままでいいと思っていたんだから。


「麻生、一途だなぁって俺はある意味尊敬してたよ。よくもまあ5年も」


無自覚とはいえ5年も茜の側に張り付いていたのだ。


今になって振り返るとたしかに、有栖川の言うとおりよくやったなと思う。


どれだけ拒まれてもオメガ療養所コクーンに行くことをやめなかったし、担当を外れて欲しいと言われても、最後まで突っぱね続けた。


私にだって知られたくない事がある、と半泣きになって茜から詰られた時には、俺だって母親から何があっても茜を頼むと言われた責任があると開き直った。


気になる相手に関してはとことん把握して知り尽くさないと気が済まないのは研究者気質故なのかもしれない。


おかげで茜に関する事はほぼ完全に頭の中に入っている。


茜に関してはカウンセラー要らずだ。


「初めて俺が面倒見るって決めた相手だし、多少過保護にはなるだろ。何でも過剰に気にすんのは母親譲りなんだよ・・・・・・最初に会った時が結構悲惨だったからさ」


何があってもあの頃の茜に逆戻りさせたくはない。


「ここまで回復させたのは自分だって自負もあるよね」


これだけ手塩に掛ければね、と言われてはっきりと肯定する。


「当たり前だろ、あって悪いか」


「いや無いし、本人も分かってるでしょ。副作用で熱出しただけで飛んでくるんだから、過保護どころか超過保護だよ。あれだけ気にかけてるくせに、無自覚なことに俺は驚いたけど・・・・・・まあ、分からなくもないかなぁ・・・・・・・・・だって橘田さんの周りには麻生以外男居ないもんね。オメガ療養所コクーンって運営スタッフ女性メインだし、トラウマ持ちは合コンなんて行くわけもないし、焦る必要どこにもないもんな。だから、都築さんが来なかったらそのままだったんじゃない?」


「・・・・・・それは・・・なくもねぇけど・・・・・・ここに来て都築の存在は、正直めんどい」


「だよね・・・都築さんがきっかけで、この先出会うアルファへの可能性を広げたことになるもんな」


苦手ではないアルファに対する憧れを抱いた茜を止めるすべなんて持っていない。


気持ちはだれにも止められない。


誰かを好きになるのに遅すぎるなんてことは絶対にないのだから。


「もういっその事、コレ外して言えば?」


「・・・・・・・・・・・・一瞬迷ったよ」


あの場でフェロモン抑制装置のことを打ち明けて、自分もアルファだと言ってリングに先に上がってしまうべきではないかと、ぎりぎりまで迷った。


けれど、結局言えなかった。


「でも拒絶の方が怖いよね」


「・・・・・・・・・死ぬほど怖い」


たぶん、茜がどれだけ真尋を拒んでも、この思いはそう簡単には無くならない。


アルファであることを打ち明けて、茜から拒絶されて、彼女がいつか別のアルファを見つけるのを遠巻きにするなんて、絶対にしたくない。


それならこのままベータと自分を偽って彼女の側に居続ける方がずっといい。


研究者でも、義兄でも、肩書なんてこの際なんだっていい。


茜が一番に手を伸ばしてくれる場所に居られる権利だけは、誰にも奪われたくはない。


けれど、口にした言葉はもう今更取り消せない。


あんなこと、言うんじゃなかった。



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