第38話 ゲノム-2
「それは相手が都築さんだから、というのも大いにあるとは思うんですが・・・・・・私の場合は、2メートルくらいの距離にフェロモンを感じると、胸やけみたいな気持ち悪さを覚えるんです。普通はその匂いに惹かれて
いま思い出してもぞっとする。
自分に向けて伸ばされたアルファの強引な腕と淀んだ眼差し。
必死に両足を踏ん張って眩暈と火照りに浮かされながら、心の中で助けてと叫んだこと。
偶然一緒に居た友人がすぐに気づいてくれて事なきを得たけれど、一人だったら今頃もっとひどいトラウマを植え付けられていたに違いない。
言い淀んだ茜の言葉に続けるように、横原が口を開いた。
「私の妹もオメガですが、極端に強いフェロモンを放つアルファは苦手だと言っていました。結局は相性によるんだと思います。誰かが苦手な香りも、自分には特別甘く感じる、みたいな。たぶん、自分だけにぴったり合う匂いの持ち主が、運命の番なんでしょうね」
「運命の番は、いると思いますか?」
「・・・・・・・・・実際オメガ
「ロマンティックで素敵よねって何度言っても他人事みたいだったのに、ちょっとは興味持ってきたんだ?」
嬉しそうに茜の腕を突いた横原が、テーブルの上に伏せていたスマホが震えた事に気づいて声を上げた。
「すみません・・・あ、家から電話だ・・・いま妹が
個室を出ていく横原を見送って、都築が気づかわしげな表情になった。
「妹さん、心配ですね」
「抑制剤は体質に合うものが見つかるまでは副作用との闘いになりますから。私も具合が悪いときはたびたび周りの人間に八つ当たりしたり、甘えたりして来ました」
理不尽すぎる八つ当たりにも怯むことなく茜を見捨てず側に居てくれた真尋には、本当に感謝しかない。
食欲がないと食事を残しがちな茜の為に、駅前のケーキ屋のシュークリームやプリンを差し入れして慰めてくれた事、副作用で熱を出した茜の側で付きっきりで看病してくれたこと。
真尋の手はどこまでも優しくて、どんな時でも茜を明るい未来へ導いてくれた。
急に真尋に髪を撫でられた事を思い出して、あれは何だったのかと途端複雑な気持ちになる。
会いたかったと言われたり、遠慮なしに茜に触れたり、ここ最近真尋の言動と行動に振り回されてばかりだ。
いつだって茜を一番安心させてくれていたのは、真尋なのに。
「・・・・・・麻生さんと仲が良いんですね。お付き合いされてるんですか?」
突然投げられた質問と探るような眼差しに、茜は慌てて我に返った。
「え?・・・あー・・・・・・いえ、ゆ、友人です」
「そうですか・・・・・・麻生さんは橘田さんのことをかなり気にかけているようでしたが・・・」
「彼は研究者で、私がオメガだから・・・・・・だと・・・・・・思います」
改めて自分と彼の関係を第三者に説明した途端、ズキンと胸が痛んだ。
なにも嘘は言っていないはずなのに、どうして胸が痛むのか。
オメガ
それは、きっとこの先も変わらない。
それなのに、急にあんなことを言うから。
・・・・・・・・・勝手に期待したのだ。
「そうでしょうか・・・?もし、それが本当なら、僕が橘田さんともっと親密になりたいと言っても、困りませんか?」
「え・・・?親密・・・・・・?」
慎重に紡がれた密やかなワードに、一瞬胸がざわついた。
彼が少しだけ瞳を甘くする。
「あなたは、僕の知るオメガとは全く違う。僕を特別なアルファとして見ていない。そして、ほかのアルファには抵抗があるのに、僕には拒絶反応を示さない。これって、運命の始まりじゃないでしょうか?僕は、自分がアルファだと分かってからずっと同じ視線にばかり晒されてきました。その視線に心が麻痺して動かなくなってしまって、出来上がったのが麻薬取締官の都築です。この顔は仕事には便利ですが・・・・・・僕も心を赦せる誰かが欲しい。それが、あなただと、とても嬉しい」
こうして真っ直ぐ見つめられても、ちっとも嫌悪感は抱かない。
けれど、別の感情は湧き上がってくる。
罪悪感だ。
こうして魅力的な都築を前にしても、さっき頭を過った真尋との記憶が消えてくれない。
「・・・・・・・・・あの・・・・・・・・・私」
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら都築を見つめ返した途端、個室のドアが開いた。
駆け込んできた横原が二人を交互に見た後で、なぜか自分の後ろを振り返る。
「すみません!妹の熱が上がったみたいで・・・・・・それと・・・」
「ああいえ、お気になさらず。食事は終わっていますし・・・・・・・・・お迎えも来たようなので、帰りましょうか」
穏やかに頷いて席を立った都築が、お疲れ様です。と入って来た人物に挨拶を投げた。
「・・・・・・真尋くん!?」
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