第41話 プロテオミクス-1

「あれ・・・?橘田さん」


オメガ女子社員からのヒアリングを終えて、カフェテリアを出たところで真尋の同僚である研究所ラボの研究者の有栖川に声を掛けられた。


真尋と同い年の彼は、大学の研究室に残って細胞学の研究を続けていたところを研究所ラボに引き抜かれたため、社歴こそ真尋より浅いがその博識は抑制剤の開発に大いに役立てられているらしい。


らしい、というのは、真尋を介して何回か挨拶をした事があるだけで、彼に関する詳しい情報を知らないからだ。


「有栖川さん、こんにちは」


「今日は検診日じゃないよね?」


「あ、はい。今日はカフェテリアのランチメニューの件でヒアリングに」


ホルモンバランスを崩しがちなオメガ向けの追加メニューを考えて貰えないかと依頼を受けて、数名のオメガ女子社員から発情期ヒート前後の体調の変化についての聞き取り調査を行ってきたのだ。


オメガとひとくくりに言っても、それぞれ性質が異なるので、発情期ヒートの体調変化は千差万別で、食欲不振になる者もいれば、暴飲暴食に走ってしまう者もいたり、なかには不眠症気味になる者もいる。


そこに加えて抑制剤の副作用があるから、悩みはどこまでも尽きない。


同じオメガとして、意見を聞きながら、管理栄養士として出来る範囲で食材の食べ合わせについてアドバイスをしつつ、懸念事項とアイデアを纏めて持ち帰って、今度はオメガ療養所コクーンのスタッフとの打ち合わせだ。


今日は管理栄養士として来ましたと手に持っていたノートパソコンを持ち上げて見せれば、有栖川が黒縁メガネの奥で目を細めてそれもそうかと頷いた。


「そっか、仕事で来たのか。まあ麻生もいないし用事もないよね」


「真尋くん、出かけてるんですか?」


「もしかして聞いてない?急な出張で三日間うちの姫と東京」


「姫って・・・・・・西園寺さんと?」


西園寺メディカルセンターが最初に治験を行った第一号の被験者である西園寺雫は、研究所ラボのメンバーから姫と呼ばれて可愛らがられている。


被験者として研究所ラボを訪れた当初まだ学生だった彼女は、研究者たちの妹分として扱われて、正式に社員として入社した後もその扱いは変わっていない。


面談のなかで聞いた話によると、雫の持っているオメガの性質はかなり強いものらしく、彼女を第一被験体に迎え入れられたことで、プロテクトSの販売が数年は早まったと言われているそうだ。


真尋の口からもしょっちゅう雫の名前を聞いていたし、検診日には必ず顔を合わせる同性の研究者は同じオメガでもあるので、より親身になって茜の話を聞いてくれる。


「あっちでうちの室長と合流するんだけど、姫がどうしても講演会に参加したいって聞かないから、一人じゃ行かせられないってことで、急遽麻生が目付役に。うちのセンター長、オメガ姫には甘々だからさー、見聞を広めたいっておねだりされたら二つ返事で頷いちゃって・・・・・・」


「二人で・・・東京・・・・・・」


途端声のトーンが落ちた茜に気づいた有栖川が、気まずそうに謝罪を口にした。


「あ・・・・・・ごめん、余計なこと言ったかな。てっきりしょっちゅう連絡取り合ってるんだとばかり思ってたから」


「私の体調を心配して連絡くれることはありますけど、毎日やり取りがあるわけでもないですし・・・・・・」


理由がなくては電話もメッセージもしないのが当たり前。


お互い社会人でそれぞれの仕事も生活もあって、重なり合うのは、茜がオメガだという一部分だけ。


義妹でオメガという要素を除けば、真尋が茜に構う理由なんてどこにも見つからない。


研究者としてオメガが気になるのであれば、西園寺雫のほうがよほどその素質がある。


真尋は茜に出張のことをなにも言わなかった。


言う必要が無かったのだ。


あの後すぐに発情期ヒートがやって来て、特別休暇と在宅勤務で数日家に引きこもっていた。


茜の体調を把握している真尋だから、気を遣って何も言わなかったのかもしれない。


頭では理解しているのに、どうしても西園寺雫と二人というのが気になってしまう。


研究所ラボ覗いたら、麻生がいるかな、って思ってきたんだよね?」


「・・・・・・・・・真尋くんから連絡が来ないのは普通のことなのに、一週間近く会ってないなと思ったら、ちょっと気になっちゃって・・・・・・・・・ブラコンですかね、私」


こんな独り言みたな愚痴を零されても有栖川は困るだけだ。


すみません、と謝ろうとした矢先、有栖川が白衣の裾を閃かせて窓のほうへ身体を向けた。


「それはブラコンて言うのかなぁ?」


柔らかな問いかけは、責めている訳でも、探りを入れている訳でもなかった。


もうとっくに出ている茜の答えを再確認するための、問いかけだった。


そういう名前を付けることで真尋が離れて行かないのなら、喜んで受け入れてしまえる自分に驚いた。


真尋は仕事で雫と同行しているのだ。


でも、研究所ラボには何人もの研究員がいるのにどうしてわざわざ真尋なんだろう。


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