第30話 コヒーシン-2


「だってわざわざオメガ療養所コクーンまで会いに来たくせに渡すものはパンで、懇親会の結果を気にするなんて、どう考えても変でしょ。こんな急に家に来るのも可笑しいし、なんかあったとしか思えないんだけど」


真尋はもちろん研究者として茜のことをよく見ているが、茜だって同じ時間真尋と向き合ってきたのだ。


彼が腹に一物抱えていること位ちゃんと見抜ける。


それが自分に関することなのか、真尋自身のことなのかは分からないけれど、今日の自分があるのは間違いなく真尋のおかげなので、出来る事なら茜だって真尋の力になりたい。


研究者とオメガとしては無理でも、義兄と義妹としてなら、なにか出来ることがあるかもしれない。


「私たちさぁ、なんて呼べばいいか分かんない関係だけど、これまでのこと全部、感謝してるから・・・一度も言ってこなかったけど、こうして普通の生活に戻れたのは真尋くんのおかげだと思ってるし、だから、っていうのは変かもしれないけど・・・・・・もし、私に出来ることがあるならなんでも・・・」


「は?・・・な、なにを」


心底驚いた顔になった真尋が、次の瞬間なぜか真っ赤になった。


彼がこんな風に動揺するところを見たのは初めてだ。


どれだけ茜が取り乱して泣き喚いても、冷静に対応していた彼が、茜の発言にあからさまに困惑している。


そりゃあ、あんなズタボロの雑巾状態の茜を見て来た真尋からしてみれば、まだまだ茜は頼りないかもしれないけれど、これでも立派な社会人だし、仕事だってきちんとしている。


職場では後輩だって出来たし、同じオメガの友人を見つけてからは積極的に外に出掛けられるようにもなった。


十分とはいえなくても、それなりに独り立ちは出来ていると思っていたのに。


「なんでそんなびっくりすんのよ?私が力になりたいって思うのは変・・・!?」


噛みついた茜の言葉尻をかき消す勢いで、伸びて来た腕に手首を掴んで引き寄せられた。


背中に腕が回されると同時に、真後ろを自転車が結構なスピードで駆け抜けていく。


風になびいた髪が肩の下で揺れて、抱きしめられたことと庇われたことが一気に情報としての頭の中を駆け巡った。


目の前にある真尋の肩を意識した途端、心臓が跳ねた。


慌てて手のひらで突っぱねれば、腕の中を覗き込んだ真尋が苦い顔で口を開く。


「気安く何でもとか言うなよ」


「き、気安くはない!」


これでも精一杯考えて口にした言葉だった。


貰ったものを同じように贈り返したいと思うのは普通の事だ。


研究者とオメガという立場なら、受け取るだけで良いのかもしれないけれど、真尋と茜はそうじゃない。


昔はそうだったかもしれないけれど、少なくとも、今の茜にとってはそうじゃないのだ。


だから、嬉しい気持ちは返したいし、優しい気持ちには応えたい。


自分なりの全力を紡いだつもりが目の前で弾かれて、悔しいのと同時に、目の前の彼が一気に遠ざかったような気持ちになった。


この人は、自分のよく知る麻生真尋ではないかもしれない。


この距離は、研究者とオメガだから?それとも、義兄と義妹だから?それとも?


私たちは最初から赤の他人で、家族でも友人でもない。


いつの間にかあやふやになっていたパーツが戻って来たら、途端頭の中に警告音が鳴り響いた。


背中から腕が離れると同時に逃げるように後退る。


胸元で抱えた紙袋がガサゴソ鳴った。


まるで居心地の悪い自分の心のような音だった。


「な、なによ人が一生懸命話聞こうとしてんのに」


「俺もあの日は考えなしでオメガ療養所コクーンまで行ったから、上手い言い訳が思いつかなかったんだよ。それでお前が不安になることまで、頭が回んなかった・・・悪い・・・・・・・・・ほんとに治験は順調だから、それは心配しなくていい」


「・・・わ、かった・・・・・・・・・じゃあなんであの日オメガ療養所コクーンに来たの?」


多分真尋が買って来たのは茜の好きなクロワッサンで、けれどいまの衝撃でたぶん紙袋のなかでひしゃげてしまっている。


「・・・・・・無性に会いたくなったから」


自分でも掴み切れていないなにかを引き寄せるように言葉にした真尋が、真顔になって自分を見つめ返す茜に気づいて苦い顔になる。


「・・・・・・帰るわ」


「え、あ、うん・・・って、え?」


咄嗟に彼の腕を掴んだら、真尋が心底困り果てた顔でこちらを見降ろして来た。


困っているのはこちらのほうである。


どういう反応をしていいのか分からない。


分からないけれど、このまま帰ったらさらに決まずいことになりそうな気がする。


掴まれた手をそっと解いて、指先を軽く握りこんだ真尋が探るようにこちらを見つめて来た。


慰めるでも宥めるでもない触れ方をされたのは初めてだった。


この人はこんな仕草も出来るのかと驚きと衝撃が体中を駆け巡った。


「俺、いま全然冷静じゃないから、これ以上二人でいないほうがいいと思う」


「・・・・・・・・・あ・・・・・・はい」


「ん。戸締りちゃんとしな。家入るまで見てるから」


真尋が茜を自宅マンションまで送り届ける時は、いつも茜が部屋のドアを閉めるまで見守ってから帰るのが常だった。


お決まりの文句が出て来て、その事にホッとして、これまでのやり取りがどれだけ異常だったのかを思い知らされる。


この日初めて、真尋におやすみを言うことなく部屋に戻った。


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