紅林邸の秘密

「うーん、なんでかはわかんないけどさ。トッチーが嫌だったんじゃないなら、トッチーと会うことがまずいのかもしんないな。私もやんちゃなのとつるんでたら親にいろいろ言われるし」

 そっか、それも考えられる。『僕』と会うこと、『男子』と会うこと、『人』と会うこと。どのレベルかはわからないけど、誰かと会うのがまずいのかもしれない。雨谷さんは紅林邸がオープンする前に絵を書き終えて撤収していた。つまり誰とも会わないうちに。僕が垣根から現れるのは、おそらくイレギュラーなんだろう。

 でも、忘れるだけで事足りるなら、僕とあったことを誰にも言わなければいいだけなんじゃないかとも思う。


「幽霊で反応が変わったってことはさ。やっぱ治一郎が関係あるんじゃないかな。雨谷っていう名前だし、ひょっとしたら親戚かも。その子、治一郎に用事があってさ、治一郎の幽霊が出るって聞いたから毎日見に来てるとか。あれ? でも来てるのは朝なのか。うーん、朝は幽霊でないよな」

 ナナオさんは首を傾げた。

 治一郎に会うために来ている。

 その予想は、なんとなくいい線をついているような気もする。たとえばお父さんっていうのがフェイクで、雨谷さんは治一郎の縁者だとすれば、治一郎に用事があってもおかしくはない?

 でも一体何の用だろう。……雨谷さんは、生きてはいなかった。雨谷さんが治一郎の親戚だとしても、既に死んでいる。あの冷たく暗い感触は、生者というより死者というに相応しい。。

 治一郎も雨谷さんももう死んでいて、死人に死人が会いにいく。なんとなく、それはおどろおどろしい響き。ふとナナオさんが言ってたことを思い出す。


「そういえばこの間さ。紅林邸の秘密の部屋の死体の話してたじゃない? 今の幽霊話、仮に死体が動き回っているんだったとしたら、なんで死体は動き回ってるんだと思う」

 ナナオさんはキョトンとする。

「さすがに死体の考えてることはわかんないけどさぁ。でも死体が動くって話は関係ないんじゃないかな。この話って紅林治一郎が生きてるころにあった話で、亡くなったあとは聞かなくなったんだ。なんで今更なんだ? 死体が死んで幽霊になったのか?」

 ナナオさんが言うことの意味がわからないけど、今死体が動いているなら、封印を解いた僕のせいだと思う。

 幽霊に会うなら朝は似つかわしくない。でも、死体は年中死体だ。雨谷さんは死体に会いに来た。治一郎の死体に? 一体何を?

「それにこの間は死体が動いてるのかもとかいっちゃったけどさ、よく考えたら、まじに明治時代の死体があるとしたら、さすがに今は骨になってるぞ。骨を幽霊に見間違えたりしないんじゃないかな」

 それは…そうかも。妖怪か何かでもない限り、普通の死体は100年もたないよね。

 僕はそこで、あることに気づく。封印を解いたせいで死体が動く。けれども昼日中でも、死体が目の前を歩いていたじゃぁないか。雨谷さんという動く死体が。


 ニヤは新谷坂の地神の封印を守っている。新谷坂の安寧という役目のために、封印の要石として封印を維持することを主な目的としつつも、手の届く範囲の怪異をあつめて封印しているとも聞いた。

 もう少しで頭の中で何かが繋がりそう。

 もう一度考え直そう。

 明治時代に動いていた死体。

 ここ二週間で動き出した紅林邸の人影。

 それが両方とも雨谷さんだったとしたら。明治時代に一度ニヤが怪異として封印した雨谷さんを僕が解放したから、今動いている。

 そうすると雨谷さんは明治時代に治一郎と紅林邸で暮らしていて、何か頼み事をされた。でも頼み事は果たされないまま雨谷さんはニヤに封印され、僕が封印を解いた。

 もしそうなら、雨谷さんの頼まれごとってなんだ。

 ……明治時代っていうのは100年以上も前のことだ。当時の人は生きていないし、当時と風景も何もかも違うだろう。電子機器があふれる今の世の中と明示とは、世情だって文化だって、何もかもが様変わりしている。

 治一郎の願いが何かはわからないけれど、それはもう叶わなかったり意味がないものになってしまったんじゃないだろうか。

 そうすると、雨谷さんはどう考える?

 明治時代にいたはずなのに、何故だか今の時代に起きてしまった。願いを叶えようと思っても、もはやどうしようもない。

 だからこそ、雨谷さんはそれを諦めて絵を描いて普通に暮らしていた。けれども僕が『お父さん』、つまり治一郎が雨谷さんを見守っているなんて言ってしまった。だから雨谷さんは頼み事を完遂しないといけないと思い込んでしまったのだとしたら。


 もしそうなら僕が嘘を吹き込んで雨谷さんを追い込んでしまったことになる。

 ニヤの『義務感』という言葉を思い出す。さっきの雨谷さんは、喜んで何かをやろうという雰囲気とは程遠かった。

 僕は……なんてことを……。

「おい、トッチー大丈夫か? 顔色がひどいぞ」

 ナナオさんが僕の肩をユサユサゆする。

「ありがとう。僕もやらないといけないことができた」

「おい、トッチー」

 ナナオさんにお礼を言って、いったん寮に絵を置きに戻る。

 絵を眺めながら、夕方、公園が閉園した後に紅林邸に行こうと心に決めた。

 僕は僕のせいで雨谷さんを不幸にしたくない。

 さっきは急なことだったから気が動転していたけれど、そもそも最近の僕の周りはいつも奇妙なものにあふれている。僕にとっては、雨谷さんが死体かどうかなんて、それほど大した問題じゃないんだから。

 結局まだ『雨谷さんがやらないといけないこと』はわからないけど、それが雨谷さんがもし望まないことなら僕は止めたい。

 それは僕のせいなんだ。

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