紅林治一郎か、雨谷さんのお父さんか
冗談のつもりだったのに既に調べに行っていたとはさすがの行動力だ。
それから、と、ナナオさんは思い出したように、手を胸の前でプラプラさせながらおどろおどろしく言う。
「その明治の頃にはな、紅林邸に秘密の部屋があって、そこに隠されていた死体が夜な夜な動く……っていう噂があったんだ。治一郎が死体を集めてたとか、治一郎に殺された死体が動き回ってるとか、昔からのいろんな噂がある。でもその噂は治一郎が生きてた時からあった噂っぽいんだよな。最近見た幽霊ってのもその死体が動いてるのかも知んないけどよ」
「ナナオさん、それはそれで立派にホラーだと思うよ。そっちのほうが怖い」
秘密の部屋。昔の家だし公開されるほど有名な家だ。家の中に不思議な造りがいろいろあるんだとか。少しだけ紅林邸がおどろおどろしく感じられた。あんなに白と青で爽やかなイメージだったのに。
「探した範囲では他に事件とか事故とか、紅林治一郎以外に誰かが死んだっていう噂もなさそうだった。だから私はこの幽霊は紅林治一郎じゃないかと思うんだけど……ボッチーが幽霊見たらおしえてな」
バイバイッと手を降ってナナオさんは軽やかに去っていくと、昼休みの終わりを告げる予鈴が響いて慌てて後ろを追いかける。
僕は幽霊が出たと聞いてもう一つの可能性を考えた。
幽霊の目撃情報が出始めたタイミングは3週間前。およそ3週間前から雨谷さんはお父さんのために絵を描き始めた。ひょっとしたら紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで、雨谷さんを見守ってる可能性もあるんじゃないかな。
緩やかに時間が過ぎ去った放課後。
学校と紅林邸の間の遊歩道をたどりながら隣を歩くニヤに問いかける。今は人通りもないから、僕がニヤに話しかける姿を怪しむ者もいない。意思疎通はできるけれど、僕は口に出さないとなんだか頭がまとまらない。うっかりすると猫に話しかける変な人になっちゃう。
「紅林邸の怪異は新谷坂の封印から出たやつなのかな」
「そうだ」
ニヤは断言する。
ニヤは自分から詳しく話すことは少ないけれども、聞けばいろいろ教えてくれる。でもニヤの情報はいろいろと欠けていることが多い。聞いたことだけ教えてくれて関連することや注意すべきことは、改めてちゃんと聞かないと教えてもらえない。だから、ニヤの断片的な情報だけで突っ走ると、あとでとんでもない勘違いに気づくことがある。
人間じゃないからかこのへんの意思疎通はちょっと難しい。
「なんで雨谷さんの時間は繰り返しているんだろう」
「前に進むことを望まないからだ」
まあそれはそうなのかもだけど。
あれ? 誰が望まないの? 幽霊?
「幽霊は雨谷さんのお父さんなのかな。それでなんでかわからないけど雨谷さんの時間を巻き戻してるとか?」
「幽霊? アマガイを縛るのはアマガイの父である。だが繰り返しを望んでいるのはアマガイ自身だ」
あれ? ちょっと思っていたのと違っていた。
よくわからないところがある。幽霊はお父さんだったとしても、巻き戻しを望んでいるのは雨谷さん自身なのか……。
なんで?
何か嫌なことがあって忘れたい?
雨谷さんはお父さんに捧げるために思い出の紅林邸の絵を描いている。本当は描きたくないから忘れたい?
でも毎日絵は描き進んでる。よくわからないな。誰かに無理やり描かされてる? そんな感じは全然ない。雨谷さんは絵のことを楽しそうに話すし楽しそうに描いている、ように見えた。
遊歩道の幅は2メートルくらいで見通しがよく、茶色いブロックが敷かれた路面に左右の木々が淡い影を落としている。
考えるのを一旦やめて影から目を上げると、その先の紅林公園入り口で雨谷さんが手を振っていた
直接聞いても……いいのかな?
「僕も紅林邸のことを知りたいと思って」
6日前と違う口実で図書館に雨谷さんを誘う。
雨谷さんはどことなく嬉しそうに、図書館行きに同意してくれた。
図書館で紅林邸の資料を広げる。
本を見ると、紅林邸は
さすがに雨谷さんは詳しくて、紅林邸についていろいろな話を教えてくれた。
紅林治一郎が長年住んでいたこと、内部はピカピカになっていて、当時の白黒写真とか治一郎にまつわるいろいろなものが展示されていること。
それから家族のことも聞いた。
雨谷さんにはお母さんがいなくて、お父さんと二人で暮らしていた。お父さんが生きていた頃は、お父さんとよく紅林公園で一緒に過ごしていたらしい。それで雨谷さんが絵を描くベンチでお父さんとお弁当を広げてた一緒に食べていたそうだ。
懐かしそうに雨谷さんは僕に話す。とても優しい時間が流れる。
少し緊張しながら聴いた話の中でも、雨谷さんとお父さんはやっぱり仲良しだ。それに絵を描くのも楽しいそうだ。
紅林邸の幽霊は雨谷さんのお父さんで雨谷さんを見守ってるんだろうか?
それなら、雨谷さんには幽霊のことを話してもいいのかな。
「そういえば紅林邸で幽霊が出るんだって」
「えっ?」
「雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも……」
そこまで言ったとき、僕は雨谷さんの地雷を踏み抜いたことに気が付いた。
それまでにこやかに話していた雨谷さんは急に氷の彫像にでもなったかのように硬直した。小さな口をぱくぱくと開き、見開かれた目の焦点はあっていない。
「……お父さまが…………見てる………………?」
雨谷さんは肩を震わせながらそうつぶやいて、下を向いてまた固まった。
「雨谷さん……? 雨谷さん!?」
周りの温度が急に下がった気がする。
その後は雨谷さんとは何の話もできなかった。雨谷さんの目はぼんやりしていて、話しかけた僕の声もまるで耳に入っていなさそう。うつろな雨谷さんをつれて図書館を後にする。
紅林公園の前で、せめて自宅まで送らせてほしいと頼んだけれど、雨谷さんは小さく首をふるばかりだった。紅林公園から力なく歩き去る雨谷さんの姿が消えるまで見送るしかなかった。
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