雨谷かざりの回想

 私が初めて目が覚めたとき、目の前には眼鏡をかけた気難しそうな男性がどっしりとした革張りの椅子に座っていた。男性はピクリとも動かないまま、期待と不安を込めた瞳で私をじっと見つめる。

 その重苦しい雰囲気に耐えられず、私はキョロキョロと辺りを見回す。窓の外は真っ暗で夜のようだ。室内は奇麗に整えられた、というより奇妙に物が少なく、薄暗かった。

「……あの、ここはどこでしょうか」

 私は恐る恐るその男性に尋ねた。屋敷は静かで、他に誰も射なさそうだったから。

 男性は難しい顔で私をじっと見つめ、眉間のしわを深くした。

「……ここはわしの家だ。わしは雨谷治一郎という。お前を作ったものだ」


 私を作った人……つまり、お父さま?

 お父さま、というつぶやきは自然に私の口から漏れ出ていた。

 治一郎は驚いたように一瞬眉を大きくあげて、そして再び何かを期待するように私をじっと観察する。どうしていいかわからず、私は見つめ返す他なかった。

 しばらくの無言の後、治一郎は私から視線を落とし、ひどく落胆した様子で目元に手を置いた。そして、何かを諦めるようにこう呟いた。

「ひより……いや、お前の名前はかざりだ。今日からここで暮らすといい」

 それから私とお父さまの、2人で住むには少し広いこの屋敷での暮らしが始まった。

 私ははじめ、お父さまのことを『治一郎様』と呼んだ。けれどもお父さまは酷く混乱したお顔をされた。つぎに『お父さま』と呼ぶと、居心地が悪そうな顔をしつつも、そう呼ぶようにと言われた。

 2人での変化のない生活が続く。

 お父さまは口数は少なかったけれど、私にいろいろなことを教えてくれた。家事にはじまり生活していくための知恵、ひよりさんの趣味だったという絵。

 私はお父さまと生活するなかで、お父さまご自身のことやひよりさんのことを知った。

 ひよりさんはこの屋敷から見える療養所で生活していたそうだ。調子がいい時にはこの屋敷で過ごすこともあったそうだけど、その機会はあまり多くなかった。

 そして16歳の時に亡くなったと聞いた。

 お父さまはひよりさんのことをあまり多くは話さなかったけれど、ひよりさんのことをとても大切に思っている。それを私をすり抜けてひよりさんを見つめるお父さまの視線で深く理解した。


 お父さまは紅林という名前で建築家をしていた。芸号というのか、お父さまのお師匠様の名前を継いだらしい。お師匠様はもともとは宮大工だったそうだ。それからお師匠様やお父さまは外国の建築家ともよくお話をされていたらしい。

 そこで、何かの話のはずみである外国人の従者から不思議な呪いを聞いた。

 その従者いわく、彼は建築家の故郷の大きな国にほど近い島の出で、そこにはロアと呼ばれるさまざまな神の使いがいると考えられていた。海のロアや草のロア、いろいろなロアが存在した。ブードゥという考え方らしい。お師匠様にとって、この国の八百万の神々と似たような存在に思われたようだ。

 お師匠様はその後も従者となにかにつけて親しく過ごし、ロアのことを聞き出した。その中にこんな話があった。ロアの神官と呼ばれる者は、ロアの力を借りて死者の魂の一部を捉えて死者を動かすらしい。

 お師匠様は『死者を動かす』という考えにとらわれたそうだ。宮大工時代に培った神事の知識とブードゥの知識を混ぜ合わせ、得体の知れない何かの術式を構築していった。そして流行病に倒れたお師匠様は、その術式をご自身に用いるよう、お父さまに命じられた。

「治一郎、私の技術は残さねばならぬ」

 そのような言葉とともに。


 お父さまは暗い窓の外を眺めながら、遠い昔を思い出すように難しい顔をして話を続ける。私はソファに座って静かに耳を傾ける。

「わしにはそのまじないが未完成に思えたし、成功するとは思えなかった。異なる国の神のことわりどうしを混ぜるのだ。そんな恐れ多いことが成功するはずがない。それにわしには、このまじないがひどく中途半端で恐ろしいものに思えた」

 それはそうだろうな、と私でも思う。

 例えばある神様をたたえる祝詞を他の神様の前で唱えるようなもので、普通はむしろ嫌がられるだろう。いろいろな祝詞を混ぜ合わせても、何が何だかわからないものが出来上がるだけだと思う。

「一応わしは呪物をそろえて用意だけはした。師匠はあっという間に亡くなったが、どうしてもそのまじないを使う気にはなれなかった。使ってしまったら何か恐ろしいものが呼び出され、たちまちに飲み込まれてしまうような気がしたのだ。だから、わしは師匠の言葉に逆らいまじないをせず、すっかり忘れることにしたのだ」

 お父さまはそこで、何とも言えない表情で私をチラと見て、話を続ける。

「だかわしは……。ひよりが死んで、わしも一緒に死んでしまおうかと思ったとき、急に師匠のことを思い出したのだ。思えば師匠にも、建築の他に何もなかったのだろう」

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