序詞 この不運の顛末

 唐突にアンリの声が被さる。

 少年はぽかんとした顔でアンリを見つめ、女の子に目を移す。

 女の子は少年に気付いて少しだけビクッとして目をそらし、俺を見て目を見張り、ぽかんと口を開けて一歩後ずさった。挙動がおかしい。

 とっさにスマホの録音アプリを起動し、逃げ出される前にと距離を詰め、女の子の手首をつかむ。離してと暴れられたが、さすがに男子高校生と女子中学生の体格差はいかんともしがたいのだろう。そうしているうちに少年とアンリが駆け寄ってきた。2人がいなかったら俺が逮捕される案件だな。

「この人が姉さんの親友なんだけど?」

「えっでもあなた、この子のお姉さんを突き飛ばしたでしょう?」

「そんなことしてないっ!!」

「だって突き飛ばしたらそこの壁にぶつかって血が出たんでしょう?」

 アンリが指差すブロック塀の角は確かに欠けていて、その断面はまだ新しそうだった。

「見てた、の……?」

「どういうことだよ⁉」

 少年は眉を寄せて固まる女の子に詰め寄り、掴みかかろうとするのを間に入って押しとどめる。

 なお当然ながらアンリは現場を見ていたわけでもなく、そんな気がしたから見ていたように話しただけだ。アンリが狂ってなければ世の中に探偵はいらないな。


 よくよく聞くと、この路地でお姉さんとこの友人はちょっとした口論になり、思わずお姉さんを突き飛ばしたらよろけて壁にぶつかって倒れたらしい。頭から血が出るし、打ち所が悪かったのか目を覚さない。焦ったところで通行人が現れ、怖くなって知らない人に殴られたと言ってしまった。

 警察に詳細を聞かれてまた怖くなって、咄嗟に知ってる人や近所の人に似ている人の姿を報告するとまずい、けれども適当に言ってしまうと思い出せないかもしれないと思ったそうだ。

 それで以前、神津こうづ区に遊びに行った時にたまたま印象に残っていた人間の姿を話した。本人に繋がると迷惑を掛けるから、新谷坂の制服を着ていたことにして詳細に話してしまった。

 つまり神津で制服を着たちょっと顔の怖めの男子が、道に荷物をばらまいたおばあさんを助けて荷物を拾い、一緒に道路を渡っていた。風が吹いて、額に大きな傷痕が見えたのも印象に残った。

 場所も制服も違うから、警察が探しに行ったりしないと思ったそうだ。


 ああ、心当たりがある。それ、俺だわ。

 無意識に口元に当てていた手の中で思わずため息が漏れた。疲労感が酷い。警察に呼び出されてもアリバイはあるだろうから大丈夫だとは思うが。

 俺の不幸はどこまで手を伸ばしているのだろうな。勤勉すぎる。

 話は戻るが、女の子は冷静になった後にそのことをすごく悔いた。けれどもその頃には、少年の家族も含めて同じような話を何人かにしていた。今更嘘だとも言い出せなかった。でもどうしていいか分からなくて、気がつくとここの現場に何度も見に来ていた。

 女の子は俯いたまま、憔悴していたけれどもきっぱりとした声で告げる。

「本当にごめんなさい。私これから警察に行って正直に話す」

「えぇ~なんで~?」

 アンリがすかさず間抜けな声を出す。

 2人はポカンとながらアンリを見つめる。

「警察が嫌なんでしょう?」

「それはっ、嫌だけど、本当のことをいわないと……」

「あたりまえのことだろっ!?」

「あなたはお姉さんが治ればいいんでしょう?」

 アンリは心底わけがわからない、という顔で2人を交互に眺める。

 確かに少年の希望はお姉さんが治ることで、この女の子を牢屋に入れること、ではないだろうな。


 先程の話を思い出す。お姉さんの検査結果は、脳や神経に損傷があるというものではないようだ。器質的な問題でなければ、あるいはアンリならばなんとかなるのかもしれない。

 少年は強硬に警察に行けと言い張った。けれども俺は会話は録音してあると宥めすかした。警察にはいつでも行ける、その前にお姉さんのお見舞いに行こうぜ、行くと事情聴取やらで時間取られるからと誘った。女の子にもお姉さんに直接謝ったほうがいい、逮捕されると謝れないから、と付け加えて。


 とはいえ2人の関係は最悪だ。針の筵のような2人の間にアンリがおさまり、俺はその前に立ってアンリと世間話をするという些かカオスな状況で、昨日と同じように電車に揺られながら辻切の総合病院にたどり着く。

 アンリは案内もないのに病院の白くつるつるした廊下をすたすた歩き、一つの病室にするりと入りこむ。そこには少年によく似た女の子が静かにベッドに横になっていた。

 アンリは女の子の手をそっと取って、さわさわとさする。

「なおれ~なおれ~」

 次の瞬間、女の子はうっすら目を開けていた。それまで怪訝な表情を浮かべていた少年はベッドに駆け寄り、涙をこぼしながらお姉さんに話しかけた。

 全ての運命はアンリに味方する。俺とは正反対に。

「この人、聖女かなんかなの?」

「さぁな。どちらかというと愉快犯の類だろ」

 呆然とする女の子の問いになんと答えていいかよくわからない。

 けれどもこのたなびく白いカーテンの隙間からやわらかい夕陽の差し込む病室で、ベッドの上の女の子の手を取る美少女と涙を浮かべる少年。絵面的には聖女にみえるかもしれないが、誤解は正したほうがいいだろう。

 どっちかというと悪魔憑きだ。


 アンリは治るんじゃないの、と思ったそうだ。

 やはりアンリは度し難い。

 この話の終着点。

 お姉さんは意識を失った時に何があったのかは覚えていなかったし、お姉さんは女の子を変わらず親友として扱っていた。録音データは少年に渡したが、お姉さんを除く家族全員で相談して消去することにしたようだ。被害届も取り下げられ、俺が警察に呼び出される心配もなくなった。

 些少だがといわれて少年の両親からそれなりの金額を受け取り、アンリと山分けした。

 妙な縁は作りたくないから断ろうとも思ったが、正直懐が厳しい。


 アンリは何も起こらない人生はつまらないと言って次々と狂った事件を引き起こす。

 俺にとっては何もない人生こそが一番だ。俺の不運は平穏を遠くへ追い払う。今回のように、気を付けてもどうにもならない事件に巻き込まれることもしょっちゅうだ。

 俺はいつか不運から逃げて逃げて逃げきって、平穏を手にいれることができるのか。それともそのうち追い付かれて不運の中で人生を閉じるのか。

 それはわからないが、俺は東矢が封印を解く前から、微かにでも道が見える限りは抗おうと決めていた。

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