坂崎さんはどうにもならない
藤友君が頭をかかえながら部屋を出て行ったあと、僕は僕が見たものが何だったのかを考えた。
『トイレの花子さん』の可能性が一番高いと思っていた。でもあれは、『トイレの花子さん』っていう代物じゃなかった。女の子の要素の欠片もない、こともないけれど、怖いというより、ものすごく歪で不自然なものだった。
これって、『トイレの花子さん』に見えるものなの? ひょっとしたら藤友君には違う姿で見えてるのかもしれないな。それじゃあ坂崎さんも?
でもその期待は夕食時に打ち砕かれた。
寮は午後5時から9時の間で食堂で自由に食事をとるスタイルになっている。たまたま坂崎さんと夕食にかち合ったから放課後のことを聞いて、ニコニコと楽しそうな返答がこれだ。
「あれっ東矢君もみてたんだっ。つきあっちゃえばいいのにねー」
「坂崎さんはあの人どんな人だと思う?」
「んん? ええと? こないだ美術でやったアルチンボルドの絵みたいな人だよね?」
坂崎さんは右手で髪の毛をくるくるといじりながらにこにこと答える。
アルチンボルド。
野菜や果物で人の姿のだまし絵を描いた画家。坂崎さんから見える花子さん像は、僕の見たものと多分同系統だ。混乱が深まる。
「あの人、どうみても人間じゃないじゃないよね。藤友君は嫌じゃないかな」
「そうなの? ハルくん彼女いたことないよ?」
「えっと、初めての彼女なら、やっぱり人間がいいんじゃないかな。かわいい女の子とか。それに人と人以外じゃ価値観が違うから藤友君が危ない目にあうかもしれない」
「愛ゆえ?」
坂崎さんは可愛く首をかしげる。
駄目だ、会話が全然成り立ってない気がする。
困惑していると、藤友君も食堂に現れた。
「アンリ、俺、今日のやつとつきあうつもりないから」
「ええーなんでー? 試しにつきあってみればいいんじゃない?」
「誰とつきあうかは俺が決める。今回はなしだ」
「可哀そうじゃん! 私、ちょっと話聞いてみてきてあげる」
「そういう話は知らないやつにいきなり踏み込まれたくないだろ、普通」
「んんん? そうかな、でも協力するって言うといいんじゃないかな」
坂崎さんはあきらめそうにない。
藤友君は目線で僕に、もういけ、と合図する。坂崎さんは藤友君のデザートを勝手に食べている。藤友君の言う『アンリはその辺の化け物より話が通じない』という言葉を実感する。僕の言葉は坂崎さんに何も影響を与えていなさそうな絶望感がある。
まだ花子さんと話し合う方が目がありそうな気がしてきた。花子さんはあのトイレでも、細い糸で意思を伝えようとしてきた。
僕に見えた花子さんは、なんていえばいいのかな。
色々な死体をグネグネ集めてくっつけたような造形をしていた。表面にゆらゆらと藻が絡まった腕、潰れた腹部とはみ出る内臓のようなもの、何かが出入りする足、ギロギロと動く片目以外なにもついていない頭部の一部。長い髪。そんなたくさんのパーツが人の形をせずに、ごちゃごちゃと窮屈に丸く固まって
瞬間的には人のように見えるかもしれない。けれども、細部を見れば人には見えない。人の一部で構成されているのに。人の壊れたパーツでできた、人の似せ物。
坂崎さんのアルチンボルドという表現は秀逸だ。
僕は今夜もニヤと夜の散歩に出かけ、学校へ向かう歩道を歩いていた。空には月が照っていて、今日はまだ歩道のライトが点いている。
まさか2日連続で寮を抜け出すと思わなかったけれど、藤友くんは友達……だよね?
「ニヤ、花子さんはどこにいるかわかる?」
「そこにいる」
ニヤの示す『そこ』は学校と寮のちょうど境界線。
花子さんはぐちゃぐちゃとした姿で、10メートルほど先の歩道の上に折り重なっていた。ものすごく不自然で気持ち悪い。けれども改めて見た花子さんは、最初に見たときと比べて何故かそれほど怖くはなかった。見慣れたのかな。
学校の塀沿いに境界線のように並んだライトが花子さんを学校側に留まらせているように光っている。もぞもぞと蠢く花子さんは、学校の境界線を越えられないようだ。やっぱり『学校の怪談』なのかな。でもあんな奇妙な姿の『学校の怪談』なんて聞いたことがない。
「花子さんって何なんだろう」
「捻じ曲げられた哀れなものだ。その捻れのせいで、見るものの認識を歪ませてゆく」
「捻じ曲げられた?」
ニヤの言うことはよくわからない。話しているうちに花子さんにたどり着く。
「あの、僕は東矢といいます。少しお話しませんか」
花子さんのたてるブクブクとした音に思わず背筋がぞわぞわするけれど、僕の手に何か細い糸のようなものが伸びて絡まる感触がした。その細い感触から、花子さんのもやもやした思念が漂ってきた。
でもその思念はくすんでとぎれとぎれでちぎれかけているように感じる。その思念にやはり悪意みたいなものはなさそうだ。嫌な感じはしない。だから僕はゆっくり話をすることにした。
「あなたは花子さん?」
「な」「ちが「そう」花子「だ」」
複数の思念がダブって聞こえる。僕の意識もぐわりと揺れる。
「あなたは、ずっとこの学校にいたの?」
「い「いな「いる」い、いる「いた」るまえ」
「藤友君、今日の夕方に話していた人に、会いにきたの?」
「あう、つ「あいた「きあう」こっち「にいく」あちら」じとも」
花子さんの中には少なくとも4人分くらい存在しそうな気がする。
そのせいか思考もぐちゃぐちゃに混じり合っててうまく働かないみたいだ。
「あなたたちは、もともとまざってるの?」
「ちが「最近むり」う「やり」まざ「いや」もとに」
断片的に判明した事実をまとめれば、彼らはついこの前まで別々の存在だった。けれども集められ、急に混ぜられた。それから昨日、藤友君に会った時のことを感謝していて、親しくお付き合いしたいようだ。
仲良く? 怪異と人間というのは根本的なところで違う。花子さんは藤友君をどうしたいのか、それが重要に思える。安全なら、それほど心配はいらないのかもしれない。坂崎さんの言うことは別として。いずれにしてもこの『花子さん』と人間的な恋愛が成立するとは思えない。
「あなたたちの、仲良くする、って、どういうことか教えてほしい」
「ふじと「いっし「おか」おい」いていた「すき」たべ」も」
その思念はぐわりぐわりと反響し、やっぱりよくわからない。
「お願いがあるんだ。あなたたちが藤友君と仲良くしたいなら、藤友君を傷つけないよう、ええと、壊れないように気をつけてほしいんだ」
「こ「こわ」れわ」
「藤友君はぶつけたり引っ張ったり、乱暴にすると、すぐ壊れて動かなくなるの。中身もなくなっちゃう。それは嫌でしょう? だからなるべく触らないようにしてほしいな」
「い「わかっ」い、さわな、た」
先程からこちらの言葉は通じているようだ。
「それから人間っていうのはね、たいていの場合、仲良くなるのに時間がかかるんだ。だからしばらくは、そうだなここからあの木くらい、だいたい3メートルっていう距離なんだけど、藤友君がいいっていうまでは、いつもこのくらい離れてる方が、はやく仲良くなれるよ」
「わか「さめーと」はな「わ」いぶ」
細い糸からは、なんとなく同意が伝わってきた。花子さんはぐちゃぐちゃだけど、悪い人ではない気はする。これでしばらくは藤友くんの安全は確保される、ような気はする。その間に根本的になんとかしたい。
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