その中の居心地

 たまご色のぽよぽよした壁のようなものにすっぽり包まれている。

 例えるなら、ここはまるで暖かく狭い袋の中のようだ。胃袋の中に放り込まれたようだ。気温は20度くらいだろうか? 鼓動のような淡い振動が揺らぐほか、何の変化も感じられない。

 正直言って、ぬるめの温泉に浸かっているようで快適だった。スマホの時刻は既に昼を過ぎているのに、腹が減る様子もない。生理現象も作用しない空間なのか? 刺激も何もない。このままここにいると、人としてだめになりそうな気がする。

 手を伸ばせば、その分壁がそろそろとよけていく。だから暖色に覆い尽くされた視覚以外に窮屈さはない。なんとなく丁寧に扱われている気は、する。


 外のことはさっぱりわからないが、GPS上、さきほど東矢は俺のすぐ隣にいて花子さんに聞いてみると言っていた。

 それならばここは花子さんの腹の中か。食われたのかな、いつのまに。朝登校して、気がついたらここにいた。

 動きようがない。当初の予定通り情報収集が得策か。他にやることもない。

 試しに声をかけてみよう。

「君は昨日俺を呼び出した人?」

『そうです』

 たまご色の壁がふよふよ動いて襞となってより集まり、壁に文字が浮かび上がる。几帳面そうなゴシック体。返答があるのは幸先がいい。

「俺はこれからどうなるのかな?」

『ここにいます』

「外に出してもらいたいんだけど」

『つかまえるのがいいと、ききました』


 花子さん、アンリより断然話が通じるな。すげー不毛な気分だ。

 話し合いというものは相手との間で合意を成立させるより前に、意思を疎通させる必要があるのだ。

「さっき君と話してたやつはさ、東矢って言うんだ。東矢は近づかないように言ってなかった?」

『とうや、は3メートルくらい、はなれるのがいいといいました。あと、はるくんは、すぐこわれるから、さわらない。あさのひとにそういいましたが、はるくんは、すぐけがするから、つかまえておくほうがいいといいました』


 やはりアンリの仕業か……。

 心底ろくなことしないな。

 東矢は想像以上に働きかけてくれたようで、なんだか申し訳ない気分になる。ありがたい。

「君はどうして俺とつきあいたいの?」

『はるくんは、たすけてくれた』

「助ける? 呼び出したとかじゃなくて?」

『よるに、あさのひとにとじこめられた。はるくん、だしてくれた』

「朝の人?」

 いろいろ聞き出した結果、アンリが元凶であることが確定した。

 ことの始まりがアンリなのだ。俺も失敗していた。花子さんはむしろ、アンリに巻き込まれた犠牲者なのだろう。


 アンリが願えばその幸運でたいていことは叶う。人も怪異の類も全てがアンリに従う。多少の運命は押し通す。

 アンリは4つの怪談を持ってきた。

 それらの怪談を見たいと願って『トイレの花子さん』を探したのだ。

 今の花子さんは4体の霊、というか4体の『学校の怪談』の集合体だ。

 桜の下で首を吊った女子。

 体育倉庫で惨殺された女子。

 屋上から飛び降りて死んだ男子。

 プールで溺れて死んだ男子。

 並べると、どれも昨日の夕方アンリが持ってきた怪談た。ところが俺はこの全部を却下してトイレの花子さんで押し切った。俺の失敗はこれらの怪談を軽く流しただけで、アンリに諦めさせなかったことだ。アンリは諦めず、4体に会うために追加で『トイレの花子さん』を探したんだ。その結果、4つの怪談は混ざり合い、『トイレの花子さん』となった。

 わけがわからなさすぎる。頭がおかしい。

 普通、そこを混同したりしないだろ。


 東矢の話した学校の怪談の法則に則れば、この4体の『学校の怪談』は、それぞれの噂に従い、この新谷坂高校に既にポップ出現していた。

 ところがアンリはこの4体を『トイレの花子さん』と定義し、どういう法則が発動したのか4体を3階の奥から3番目のトイレという『トイレの花子さん』の領域に押し込んだ。4体は『トイレの花子さん』ではないから、トイレのフィールドを活用できない。トイレから出ることもできずに困っていたところを、俺が『トイレの花子さん』の法則に則り扉を開けて解放したから感謝された。

 4体は既に自らでは離れがたいほどくっついてしまい、元の姿に戻れない。そして未分類の『学校の怪談』として校内を彷徨い歩いている。そういった1つの新たな姿の『学校の怪談』と化し、アンリに従い、俺を捕らえた。


 とはいえ俺もこのままなのは困る。

 俺が話した感触では花子さんは外に出してくれそうにない。この4体は初めからアンリに呪われている。ようするにアンリが作った『学校の怪談』にも等しい。生みの親であるアンリの言うことに背くことはできないのだろう。

 アンリを説得する方向性を検討する。

 誘導じゃなく説得。クラリと気が遠くなる。


 1つ目の方法。

 アンリの希望を実現する、つまり花子さんと付き合う。今はお試しで捕まっているわけだからまじめにお付き合いしたいからとか適当に返事をすれば、すぐに出られるかもしれない。

 けれども花子さん自体に悪い感じはしないが常識が合致するとは思えない。

 『つきあう』とは何を意味する。それぞれの『学校の怪談』の着地点を検討する。

 『桜の下で首を吊った女子』。

 下を通るたびに恨みがましく見つめられる奴。

 多分、昨日の放課後に俺が見たのはこの子の姿のようだ。特に困らなさそうだ。

 『体育倉庫で惨殺された女子』。

 これはダメだ。追いかけてきて殺しに来る奴だ。

 『屋上から飛び降りて死んだ男子』。

 仲間を求めて足を引っぱると聞いた。

 『プールで溺れて死んだ男子』。

 藻に絡みつかれて溺れる。一番苦しそうだな。

 総合的に『つきあう』は悪手に思える。


 2つ目の方法。

 アンリにとって俺が外に出たほうがより面白い展開を用意する。


 3つ目の方法。アンリに全く別のものに目を向けさせる……はよくないな。このまま完全に放置されて忘れ去られそうだ。

 だんだん投げやりな気分になってきた。思わずため息が漏れる。

『だいじょうぶ?』

「出してもらえると大丈夫になるんだけど」

『つかまえといたほうがいい、って、いわれたの』

 花子さんは善良そうだ。けれどもアンリという呪いに雁字搦めになっている。

 アンリにとって面白い展開、か。胃が痛む。

 他には何かないだろうか。

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