路地の奥

 10時半ちょうど。

 神津駅南口改札に到着すると、ナナオさんとキーロさんが待っていた。

 神津駅は神津市内で1番大きな駅だ。北口は公共施設や学校、研究施設が多いけど、南口には駅前から商店街が続いて繁華街に繋がっている。いつも人で一杯で、繁華街の目抜き通りを抜けて目的地に向かう。

「トッチー、昨日『よっち』さんから連絡があったんだ」

 『よっち』さんはキモオフに参加していて今も生き残っている3人のうちの1人のはず。キーロさんが『よっち』さんと会ったのは2回目で、穏やかで信用できそうな人らしい。なんとか協力体制がとれればいいんだけど。

「LIME?」

「そじゃなくてショートメール」


よっち:サニーさんから連絡があってさ。怖いから一緒にいてほしいって。困ってる。

キーロ:えっ今?

よっち:そう、でも2人きりで会うのはやだからさ。キーロさん代わりに合ってくれない? そうか、断ってもいいよね?


「『よっち』さんって凄く軽い感じだね」

「『よっち』さんはオフメンバーが狙われてるって信じてないんです」

 企画の終わったLIMEグループを未読にしたり非表示にするのはおかしいことじゃない。だから他の4人が未読スルーでも気にならない。

 キーロさんは腕が『くまにゃん』さんのだとわかったから危機感を持った。けれどもそもそも腕だけが落ちているっていう非現実的な事件だ。キーロさんみたいにその腕がオフ参加者のものだと確信が持てなければ、自分が連続殺人鬼に狙われてるだなんて信じられなくてもおかしくない、のかもしれない。

 僕もキーロさんから怪異の気配を感じなければ信じなかったかも。

 キーロさんは少し画面を遡る。


よっち:気のせいだよ、連続殺人なんて

キーロ:でも私、くまにゃんさんのブレスレット見たもの。間違いないよ。それに神津ペッカーさんも助けてって

よっち:ペッカーさんは出会い系の人なんでしょ? きっとああいうナンパなんだよ。現在地表示もあるし行ってみたらドッキリ、なんじゃないの。キモオフの時にもでりあさんをナンパしてたみたいだし。彼氏同伴なのにナンパとかよくやるよね


 『よっち』さんは『でりあ』さんの企画には何度も参加していて仲が良かったそうで、『でりあ』さんから『神津ペッカー』さんにナンパされたとグチが入っていたそうだ。

「多分『サニー』さんは私が断わったから『よっち』さんに連絡したんだと思う。でも今更OKするのもなんだか。そんな深刻な感じじゃなかったから」

 キーロさんは一昨日『サニー』さんから連絡をもらって、けれども既にナナオさんの家に泊まる約束をしてたから断ったそうだ。『わかった』って返事があってそれでお終い。

 それで今回『よっち』さんが連絡してきたのは、1回しか会ったことのない女の子を家に泊めるのはどう考えても無理だから。万一襲われたとか言われると困る。でも断ってしまうのも気が引ける。同性のキーロさんならもしよければ相談に乗ってもらえるんじゃないかと思って。


 それで今朝『よっち』さんからメッセがあって、夕方に会って話だけ聞くことにしたそうだ。キーロさんは念の為に待ち合わせ場所を教えてもらった。

「何かの濡れ衣を着せられたら困るって言って教えてもらったんだけど、『サニー』さんってそんな変な人っぽくはなかったし」

「キーちゃん何言ってんだよ、初めて合った人なんだろ?」

「まぁ、そうだけど」

 そんなことを話しながら僕らは『くまにゃん』さんの腕が発見された路地にたどり着く。

 そこは繁華街の終点近く。それぞれ1階部分に喫茶店と整骨院が入った灰色の5階建のビルのすき間に横たわる幅2メートルほどの細長い路地。ビルの非常口が一つずつあるくらいで、配管や室外機くらいしか置かれていない。

 路地の外には人の流れがあるけれど、この路地には誰も見向きもしなかった。まるでここだけぽつんと空間が切り取られて生臭くて生温い、そんな空気が堆積しているように見える。


 僕は路地に入る前から強い怪異の気配を感じていた。

 キーロさんのストラップから感じた気配と同じもの。

 ここは危険だ。空気が震えるほどの害意と悪意に満ちている。気持ちが悪い。

 やっぱりこの『腕だけ連続殺人事件』は僕が開放した怪異の仕業だ。思わず握った手のひらには、酷く汗をかいていた。

「ここ、やばい。キーロさんは入らないほうがいいかも」

 僕の声にキーロさんはびくりと体を強張らせた。

「でもここにキーちゃん一人で置いとけないよ。悪いけどトッチー、見てきてくんないかな」

「わかった、ちょっと待ってて」

 心臓がバクバクと大きな音を立てる。ふぅと深呼吸をして覚悟を決める。

 足を一歩踏み出す。路地は狭く昼なお薄暗い。路面のアスファルトはひび割れて、そのひびに沿って汚れた水が溜まっていた。目を上げれば屋上まで真っすぐ灰色の壁が続き、細長い牢獄のように僕を閉じ込めようとしているようだ。路上の室外機からは生暖かい風が漏れ、足を一歩踏み入れるとはき出された空気が地面を滑ってぬるりと足首に絡みついてくる。


 視線を奥に向けた。

 路地は10メートルほど続き、違う通りに抜けている。けれども、僕は路地の真ん中あたりで視線を止める。そこにあるのは、まるでナメクジが這いずりまわったような沸々としたよどみ。その死をイメージさせる濃厚なよどみからは新谷坂の封印の気配を色濃く感じる。

 腰をかがめ、一帯に皿のように視線を這わせる。

 しばらく観察して、よどみに動きがないのを確認して、ようやくほっと一息つけた。

「ナナオさん、今はもういないから大丈夫だと思う」

 路地の入口に声をかければ、2人が恐る恐る入ってきた。

「なんかここ、気持ちわりぃ」

 ナナオさんの直感は正しい。ここで『くまにゃん』さんが死んだ。だからここは最近呪われた場所だ。けれどもそのよどみ自体はそのうち風に散らされて、もとの状態には戻ると思う。

「あっ。ここに『くまにゃん』さんの腕があった」

 キーロさんは小さく叫び、震える手である一点を指し示す。

 壁にロゴのような落書きがある以外は何もない場所だったけど、よどみのちょうど真ん中あたりで、路面に灰色の染みができていた。

 はっきりしたことは事件の原因が怪異だってこと。そしてそれは新谷坂に封印されていたものだってこと。

 藤友君は何ていってたっけ、確か怪異から逃れるために、共通点を探す。僕はこの路地を目に焼き付ける。路地の全景、特に『くまにゃん』さんの腕があった場所。こういう場所に立ち入らなければ安全なのかな。


 次の場所に移動しなきゃ。

 『神津ペッカー』さんの位置情報が示す場所だ。

 同じ神津駅南口でも南東区のこちらは夜の街方面だった。さすがにまだ午前中だったからひっそりと静まり返っている。夜になると明るく騒がしい電飾も、陽の光の下ではうらぶれさびれて見えた。さっきと同じで人通りはない。

 キーロさんのLIMEに示された位置情報の場所は、『くまにゃん』さんの腕があったのと同じような幅2メートルくらいの路地。薄暗くじめじめしていて雰囲気もよく似ていた。違いといえば置かれたポリバケツから生ごみの臭いが少しするところくらい。 

 そして『くまにゃん』さんの時よりさらに濃い怪異の臭いがして、よどみはさらに深かった。

 位置情報しかなかったから腕がどこにあったのかはわからないけれど、その中心には、誰かがそなえたのか赤い小さな花が飾られていた。『神津ペッカー』さんが好きな花だったのかな。

 そしてそこはやはり路地の中ほどの壁よりのところにあった。


 このあとは逆城のコンビニに向かう。

 ちょうど正午になった。キーロさんおすすめの喫茶店でLIMEの履歴を見せてもらった。お昼ご飯はあんまり味がしなかった。

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