井戸の底の住人

 懐中電灯を片手に、井戸の底にある高さ1メートル半ほどの横穴を中腰で慎重に進んでいく。

 少しのカビ臭さと湿った土の匂いがする。井戸の部分までは石で組まれていたけれど、この横穴は天然の洞窟のようだ。鍾乳洞のようにつるつるした滑らかな岩穴になっている。

 井戸の上と違ってとても静かで、僕が歩くヒタヒタという足音と水が跳ねる音しかしない。足音も岩に反響するのかふわりと跳ね返って不思議な音色を奏でている。

 地下水なのか、足元には薄く水が張られている。歩くたびに浮かぶ波紋は懐中電灯で照らす前方に向かって、僕を導くように一歩毎にゆっくりと広がっていく。明かりと言えばヒカリゴケなのか、ライトをあてると壁がところどころエメラルドグリーンに反射し淡い光を形作っている。

 なんだか幻想的。日中は太陽の光が井戸を経由してここまで届くのかな。不思議な場所。

 しばらく、おそらく10メートルくらい歩いただろうか、ごつごつとした天井が少しづつ高くなっていき、そのまま少し広い空洞に出た。

「ここで、行き止まり、かな?」

 ざっとライトを回してみると直径5メートルほどの円形の空間になっていたけれど、とりたてて何もないようだ。何もなかったことにかえって安堵する。お化けが溢れていたらどうしようもないし。


 その時、僕の背後から、にゃぁ、という小さな声が聞こえ、思わずライトを取り落としそうになる。振り返って照らせば、闇から染み出るように黒い猫が現れた。

 あれ?

 鳥居の下で会った黒猫にそっくりだ。同じ猫なのかな。

「君どこから入ったの?」

 しゃがみこんで思わず猫に問いかける。

 僕が来た井戸は猫が上り下りできるところじゃないと思うんだけど。そうすると他の道から来たってことかな。

 真っ直ぐな通路に思えたけれど、ひょっとしめどこかに横道があるのかな。そうしたらちょっとまずい、帰りに迷うかもしれない。不安に心臓がどくんと音を立てる。外に出るには入り口を知っているこの猫を追いかけるのがいいのかもしれない。

 僕の気持ちを知ってか知らずか、黒猫はそのまま僕の脇を通り過ぎてまっすぐに歩いて行く。黒猫の後ろ姿をライトで照らすと黒猫はぴょんと1mほど飛び上がり、正面の岩棚の上によじ登る。

 先ほどは気づかなかったけど、その岩棚の上にはいろいろなものが置かれていた。猫の家かな……そう思って見ると、古くてぼろぼろになっているけど、壊れた木の台や器なんかが散らばっていた。そして、ライトをさらに上にあげて思わずペタリと尻もちをついた。


 即身仏……。

 その岩棚の中には、ぼろぼろの、おそらく袈裟けさをまとったミイラが静かに座っていた。最初は驚きに思わず体がこわばったけど、足元をさらさらと流れる水の音と服に染みていく冷たさが僕を少し冷静にする。

 改めて見ると、その即身仏はどこか不思議と優しく神聖な雰囲気をかもし出していた。この神社に入った時に感じた雰囲気。黒猫が即身仏の隣に座って金色の目を細めてとても親しそうにしていたからかもしれない。

 なんとなくこのまま見続けるのは失礼に感じて、ライトの光を外に向けた。


『もともと新谷坂にやさか山はいい山で、昔えらい人が超悪いのをたくさん封印して、その後も悪いことが起こんないように見守る山だったんだって』


 ナナオさんの言葉が思い浮かぶ。

 この人が、新谷坂山の災厄を封印した人なのかな。ということはここはその災厄が封印された場所。僕の足元にたくさんのお化けがいるのかと思うと少し足がすくむ。

 本当に?

 でも確かにそれを感じさせる不思議な場所で、だんだんと僕がここにいるのはとても不釣り合いな気がしてきた。なんだか神聖な場所を汚しているようで、とても気まずい気持ちになってきた。

「にゃぁお」

 黒猫は僕に話しかけるように鳴いた。

「ごめん、君の大切な場所をあらすつもりはなかったんだ。外で困っている子がいて、僕の友達が助けたいっていう話になって」

 なんだか少し言い訳くさい。

「えっと、僕たちも何かできないかなって思ってここまできちゃった。その、ここは封印なんだよね。あなたたちの邪魔をしようとかは全然考えてない」

 闇の中から、にゃぁ、と鳴く声が聞こえる。それなら何をしに来たんだ、というように聞こえる。

 なんで意思疎通ができてるように思うんだろう。

 けれども大切な場所に僕が勝手に入り込んだんだから、きちんとその理由を説明しないといけない気になっていた。僕の足元を照らす細いライトと反射する水たまり、そしてハウリングするような自分と僕を見つめる金色の瞳の黒猫の声。そんな不思議な空間が、そういう風に思わせているのかもしれない。

「ええと、僕はその人がした封印を解こうと思っているわけじゃないんだ。外の子が、封印の中にいるお母さんに会いたいっていっていたから。……手紙の交換とか、そのお母さんの様子を伝えるだけでもできたらいいなと思って」

 しばらくして岩棚の下のほうを照らしていたライトの真ん中に、トン、と黒猫が現れた。とことこと僕の足元にやってくる。

 黒猫は僕を心配そうに見上げた。本当にいいのか、と問いかけている、気がする。

「だめかな……?」

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