3章 紅林邸の怪談 ~雨谷かざりの繰り返される日々~
5度目の雨谷さんと僕
毎朝僕と初めて出会い、夜をまたぐとすっかり記憶をなくし、また新しい朝に僕と初めて出会う。
これはくり返す春の日を終わらせるお話。
5月の早朝。
すき通った日差しが雲の端から差し込み、少し乾いているけどまだ春めいた風が吹き抜ける。その風はそのまま、僕の前にいた雨谷かざりの帽子を吹き飛ばした。
手を伸ばしてつかまえる。
「落としたよ」
ふり返った雨谷かざりに帽子を差し出すと、とても魅力的な笑顔でにこりと微笑み、上品なレースの手袋をした手で僕から帽子を受け取った。
「ありがとう! 今日は風が強いから油断しちゃった」
雨谷かざりはここ5日間、毎日この
紅林公園は小さいけれどもきれいに整備された公園だ。低木は丸く切りそろえられ、芝生も青々としている。
この公園はもともと明治時代にここに住んでいた有名な建築家の邸宅の庭で、現在は観光地として一般公開されている。ベンチからのぞむ池はキラキラと光を反射しながら、その奥にある
紅林公園は僕が通う新谷坂高校から遊歩道を歩いて10分ほどのところにある。4日前に紅林邸の裏側にある垣根のすき間からここに忍び込み、彼女と知り合うようになった。
早朝の今は本来まだ営業時間外。門は開いてない。だから雨谷かざりは怪訝そうに首をかしげ、僕に問いかける。
「あなたはどこから入ってきたの? ええと……」
「僕は
僕は足元の黒猫のニヤを指差す。
5度目の問答。でも嘘が1つ。最初の1回をのぞいて僕は自分の意思で侵入している。彼女に会うために。
「そうなんだ、私は雨谷かざりだよ」
にこりと笑ってから、雨谷さんはニヤを見る。
雨谷さんは、僕と同じくらいの年頃の女の子だ。
身長は150センチくらいでふわふわした髪を左耳の上で結って肩まで垂らしている。その上に僕が渡した少し大きめの白いキャスケットをちょこんとかぶり直した。その首元からはハイネックの白いブラウスが続き、膝丈まである薄緑色のゆったりしたカーディガンの裾からは、刺繍の施された青いスカートがのぞいていた。
ニヤは関心なさそうに、池のほとりを眺める。
「かわいい猫ちゃんだね、お名前はなんていうのかな」
「ニヤっていう、ニャーニャーなくから」
ニヤは心底嫌そうに顔をそむけた。芝生の上はとても暖かそうだ。
雨谷さんが描いていた絵をのぞき込む。
イーゼルに60x80センチメートル度のキャンパスが立てかけられ、池からのぞむ紅林邸が描かれていた。
紅林邸は2階建ての白い
雨谷さんの絵は精密画というのか、白と紺の建物がそのままキャンバスに写し取られたようで、とても美しい。早朝の日差しに照らされた紅林邸は、絵の外でも絵の中でもきらきら輝いて見えた。
「雨谷さんは絵が上手だね」
「ありがとうっ。2週間くらい前からこっそり朝に描いてるんだ。でもそろそろ行かなくっちゃ。人が来ちゃうもの」
筆を片付けながら雨谷さんは言う。
『2週間前から』というのは4日前と全く同じセリフだ。やはり今日も雨谷さんの時間は進んでいない。
僕は時間を進めたい。だから、少しドキドキしながら、慣れないセリフを口に出す。
「せっくだから放課後また会わない?」
雨谷さんは少し驚いたように両眉を上げたあとにっこり微笑む。
「アハハ、ナンパなの? でも、東矢君とは初めてあった気がしないなぁ。うーんいいよ、5時くらいに公園の入り口でどうかな」
「わかった。じゃあまた後で」
僕とにとって5回目の同じ会話。でも、最初よりは照れずに言えた気がする。
気恥ずかしさを隠しながら雨谷さんに別れを告げて、垣根のすき間を潜って公園の外にでた。
遊歩道には新谷坂高校に通う学生の波ができていた。それに乗って学校に向かう。
僕は
今年の春から新谷坂高校に通っている高校1年。
詳しい話は他の機会にゆずるけど、この春に僕はちょっとしたきっかけからこの新谷坂に施された封印をといてしまった。それから僕はこの黒猫のニヤと新谷坂周辺に拡散した怪異を追いかけている。
僕からすると4日前、ニヤと一緒に怪異の残滓を追いかけて紅林公園に忍び込み、雨谷さんに出会った。
それ以降、雨谷さんだけが時間の流れに取り残され、同じ時間を繰り返している。
この繰り返しがニヤが見つけた異常だと思うのだけど、解決の道筋は未だついていない。
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