廃墟ホテルで吹いた風

 翌朝10時、新谷坂駅でナナオさんとキーロさんと待ち合わせ。逆城駅は方角的には新谷坂の真東にある。電車1本で行けるけど、辻切中央つじきちゅうおう駅で急行に乗り換えたほうが早くて、それだとだいたい新谷坂駅から3,40分くらいかな。

 昨日喫茶店で別れてからまだ半日くらいしかたっていないのに、すでにナナオさんは情報をたくさん集めていた。

 ナナオさんのお兄さんの友達が雑誌記者をしてて、昨晩キーロさんの情報と交換に報道されていない情報を聴き込んだそうだ。


 ナナオさんが仕入れてきた未公開情報。

 発見された腕はそれぞれDNAが違ってやっぱり5人分。キーロさんの話ではキモオフ参加者8人のうち連絡がとれるのが3人。嫌なことに人数が一致している。

 それからそれぞれの腕は生体反応があって、つまり切断された時に生きていた。どの腕にも共通した人間以外のDNA情報が付着していた。警察は大型の野生動物を想定しているけれど、何の動物のDNAかはわからない。

 あと、腕は全て布に包まれていたことと警察はキモオフメンバーにはたどり着いていないこと。

 嫌な予感がする。

 春の終わりに僕が出会った『口だけ女』。彼女ならこの状況が作り出せる。彼女はおそらく、人を丸のみにできる。犯人が怪異であれば、実行可能だと思う。

 だからひょっとしたら、廃ホテルに関係する怪異がキモオフ参加者を襲っている、のかも、しれない。

 気分がだんだん重くなり、なんだかそうとしか思えなくなって来た。キーロさんが逃げるには、もっと言えばこの怪異を封印するにはどうすればいい?

 記者さんからは出頭して警察に保護を求めたほうが良いと行ったそうだ。普通ならきっとそう。でもキーロさんは警察が守ってくれるかはわからないから嫌だって断った。原因が怪異の場合、警察でなんとかなるかはわからない。それにそもそも、現状で何から守ればいいのかわからない。

 今のところ全部は憶測で、結局自分で身を守るしか無い、のかも。


 そういう話を聞いている間に電車はいつのまにか逆城駅のホームに滑り込む。

 なんだかすごく長い30分。肝心の廃ホテルにたどり着く前に結構消耗した気分。その間、キーロさんはナナオさんにピッタリくっついてうつむいていた。

「二東山まではバスに乗ってくんだ」

「結構遠いの?」

「遠いってほどじゃないかな。でもバス降りてからちょっと歩く」

 逆城の駅はちょっとした観光地で、それに加えて南側は海水浴場につながっている。逆城の駅舎は結構おしゃれだ。

 南口のロータリーに出ると柔らかな日差しが降り注ぐ。夏休みには結構にぎわうようだけど、今日はまだオフシーズンでバスに並ぶ人も1人しかいなかった。


 問題の『逆城観光ホテル』は、逆城駅から二東山展望台行きのバスに乗って❘狐坂きつねざか停留所を途中下車して、そこから少し歩いて戻ったところにある。がたんがたんと山を登るバスに乗っていると、ふいに木々の切れ目から青い海が見えた。まだ泳ぐには早いだろうけれど、サーフィンをしている人たちが豆粒のように小さく動いている。バスの窓から吹く春の終わりの風は少しの塩の香りをはらんで僕のそばを通り過ぎていく。

 今向かっている廃墟のことを考えなければ、とてもよい遠足日和だ。そう思って振り向けば、キーロさんの顔色は相変わらず悪く、僕は少し罪悪感を感じた。ナナオさんはキーロさんを慰めるようにその肩を抱いていた。


 そのうちバスは狐坂のアナウンスとともにキキと小さな音を立てて山道を斜めに止まる。しばらく左手に海を眺めながら山道を下ればすぐにざわざわと深緑の藪が茂った道に続く分かれ道が現れた。

「ここまっすぐ行ったらホテルだよ」

「知らない入り口とわかんないな」

 藪はしばらく先で林に変わり、さらさらと光の差し込む林の合間を進んでいくと『私有地立ち入り禁止』と書かれたひび割れたカラーコーンが忘れられたようにひっそりと佇み、その先に潮風でもろく傷んだブロックの塀と赤茶に錆びた鉄の門が見え、さらに足を進めると灰色に汚れた白い建物が見えた。


 廃墟。


 昼に廃墟に来るのは初めてだ。夜に新谷坂の廃墟にナナオさんと行ったことはあるけど、夜とは全然雰囲気が違う。

 白い『逆城観光ホテル』は闇に紛れることなく僕らの前に堂々と姿を現し、しかも周りの風景と溶け込むことを強く拒んでいる。

 何もかもが少しずつ均等に欠けていてその不確かさがどこか気高く、まるで忘れ去られた誰かの大切な思い出のようだ。妙に幻じみていで触れるとすぐに壊れてしまいそうで、断りなく立ち入るのはためらわれる。そんな存在の危うさ。

「トッチーさんも廃墟好きな人?」

「ぼんやりしてないでとっとと入るぞ」

 両耳に聞こえた正反対の言葉で我にかえる。そうだ、僕はここを調べに来たんだ。でも、キーロさんのいう『廃虚』も僕はひょっとしたら好きかもしれない。なんだか不思議な特別な気分でホテルに足を踏み入れた。


 キーロさんから聞いていた通り、ホテル入口のガラスは完全に割れて床に散らばっていた。持ってきた軍手をはめてフレームだけのドアを押す。ロビーの床は割れガラスの他にも木の破片やゴミが散らばっている。

 これはスニーカーとかじゃないと無理だよ。

「『神津ペッカー』さんはかっこいいサンダルで来たんだよ?」

 ふふ、と笑いながらキーロさんは言う。

 それはいかにも無謀な感じ。やっぱり『神津ペッカー』さんは廃墟は初めてかもしれない。

「トッチー、変なところあるか?」

 緊張した声が走る。ナナオさんが言う『変なところ』っていうのは怪異の残滓だ。そう言われて改めて見回してみたけど新谷坂の怪異の気配は見当たらなかった。

「とりあえず、変な感じはしないと思う」

 キーロさんはほっと息をつく。

 ナナオさんは僕が新谷坂の封印を解いた時に一緒にいた。だから僕と封印の関係と、僕が新谷坂の怪異を見つけられることを断片的に知っている。


 キモオフの日の足取りに従って調査を開始する。ロビーを出て1つずつ順番に部屋を巡る。キーロさんは元気とはいえないものの少し調子を取り戻し、ナナオさんは心なしかワクワクしていた。

 注意深く壊されたところがないか見て回る。破損や落書きは散見されたけど、どれも自然に壊れたか、壊されたとしても昔のもののように思えた。ナナオさんがいろんな場所を突っつこうとするのを止めたりもした。

 散らかった人のいない荒れた客室や厨房。そこは時間に無理やり侵食されて抵抗もできずに壊れ崩れる将来の姿を思い起こさせ、どこか背徳的な感じがした。


 最後に屋上に上がると白い雲のたなびく空と海が晴れ渡り、その風景は先ほどバスで見たより鮮やかで海から吹く強い風が僕らの髪を吹き飛ばす。振り返ってキーロさんと向かい合う。

「このホテルにおかしなものは何もない、と思う」

 キーロさんはようやく小さく微笑んだ。キーロさんの明るい髪は、この空と風によく似合っている。


 でもそうすると、この廃墟には結局手掛かりはなかったことになる。スタートに戻ってしまった。

 キモオフメンバーが全く関係ない可能性。それはもとから結構高い。けれども狙われているのだとしたら一体何の仕業だろう。何が原因なんだろう。

 明るい初夏の日差しを浴びながら、僕らは途方に暮れた。

 カタカタと揺れる帰りのバスで確認する。

「キーロさん。ホテルが関係ないとしたら、他に何か共通するところは思い浮かびますか?」

「わからない……。LIMEでグループは作ったけど『でりあさんの彼氏』さんは入ってない。どこかで肝試しスポットが被ったのかもとか思ったけど、やっぱり『神津ペッカー』さんは他に肝試しするタイプじゃなさそうだし。全然思いつかない」

「廃墟の雰囲気は夜と昼とで変わらない?」

「うーん、夜は暗くて少し怖かったかもしれないけど、そのくらいで他は特には……」


 キーロさんは眉をよせる。

 途方にくれながら、とりあえず今夜一晩考えなおそうということになった。今日は昨日と反対でキーロさんの家にナナオさんが泊まることになったようだ。

 明日は日曜日。だからまだ動ける。今日の夜か明日の朝に方針を決めることにした。



 薄暗い路地で目の前にぽとりと腕が落ちてくるのを見ていた。

 これは復讐だ。

 こいつはせいぜい恐怖してから死んで行っただろうか? せいぜい苦しんだだろうか?


 これで3人目だ。

 死んでしまえばもう興味はない。腕自体にはなんの感慨も湧きはしないが、残せば少しは役に立つだろう。そうだ。恐怖するがいい。


 目の前には1本の腕がある。まだ十分に暖かく、ぎざぎざの断面からは赤い血が滴り落ちている。

 復讐の記念に腕に布を巻きつける。

 慎重に、外れないように。

 今日はブレスレットを残しておこう。他の奴らにもメッセージは伝わるだろうか? そして恐怖するだろうか。

 誰も逃すつもりはない。


 まだ残りは多い。

 背後ではぞりぞりと這いずる音と、咀嚼音が続いている。

 次の計画をたてよう。

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