繰り返さない、君との別れ
「雨谷さんは本当にここを燃やしたいの? 今ここを燃やしたって治一郎さんが喜ぶとは思えない。治一郎さんが亡くなってから幽霊が出たって話はない。きっと治一郎さんはもう成仏しちゃってて、きっともう天国でひよりさんと暮らしてる」
「お父さまが、成仏?」
お父さまが成仏された。それは一瞬だけ考えた。
その言葉に、私の心はふいに軽くなった。羽が生えたように。
けれどもわからない、そんなことはわからないよ。成仏したかなんて。
また、私の中でなにかが萎みかける。
「もし雨谷さんがお墓がほしいなら、僕が紅林邸に会いに来るよ、毎日とは言えないけど年に何回かは雨谷さんに会いに来る。燃やして何もなくなっちゃうより、そちらの方がいいでしょう?」
「私に……?」
「残り時間が少ないんでしょう? だからこそ、雨谷さんがしたいことをしてもいいと思うんだ。時間がないならせめて、僕と一緒にしたいことを探さない?」
東矢君はまっすぐに私を見た。
そしてその瞳の中には確かに私が映っていた。
その時、私心の中に風が吹いた。
私のしたいことを探す?
お父さまやひよりさんではなく、私のしたいこと……そんなことがあるのかな?
ひよりさんなら健康になってお父さまと暮らしたいと思うのかもしれない。
お父さまならひよりさんと生きていたいと思うのかもしれない。
けれども、その願いの中に私はいない。
確かに、私がこのまま消えてしまったら、私の魂はなんの痕跡も残さないまま泡のように消えてしまうんだろう。
私。
私は。
とまどいながら、改めて東矢くんを見る。
東矢くんは私に手を伸ばす。
「かざりさんの、本当にしたいことは、何?」
東矢くんが私をじっと見ていたことに気づく。お父さまと違ってひよりさんじゃなくて私を。
そういえば、東矢くんはいつもひよりさんではなく私をみてくれていた。
私はひよりさんの飾りではなくて、私が私として存在してもいいんだろうか?
そんなことを、初めて思った。
私は確かに、今、ここに存在する。
私は、飾りではない私として、ここにいてもいいのかな。
東矢くんの目に今映っている、私自身として。
東矢くんの手を取ったのは多分無意識だ。
その手はとても暖かかった。そういえば、お父さまは私に触れることなんて全然なかった。
私の中の何かが決壊して、目から、乾いたこの体にあるはずのない液体がこぼれ落ちた。
私は……お父さま……ごめんなさい。
私は、私でいたい。初めて私を見つけてくれる人を見つけてしまったから。
「私は……私のことを知っていてほしい。私がここにいたことを」
それから、私は1週間ほど、東矢くんと過ごした。
不思議で大切な毎日だった。初めての私としての暮らし。ひよりさんじゃなく私の。
朝に少し会って何をするか少し話して、放課後にまた会う。
日曜日にはショッピングモールにも行った。初めて乗る電車がカタコトと線路を動くのに驚き、駅ビルの大きさに驚き、人の多さに驚いた。
そして、あふれかえる物の量にも。ここには本当になんでもあって、私とお父さまが過ごしていた時代とは全く違うってことが実感としてわかった。断ったのに東矢くんは薄いショールを買ってくれた。
「安物だけど」
「……ありがとう」
ひよりではなく私のためだけに買ってくれた、私だけの宝物だ。
私が学校や友達のことを羨ましいって言うと、次の日友達を連れてきてくれた。末井ナナオさんっていう女の子で、髪が金色でびっくりした。少しだけ男の子みたいな、とても楽しい人。一緒にお洒落な喫茶店でケーキを食べていろんなことをお話しした。だいたいは聞いてたけれど。
他の日は、庭で絵を描いたりおしゃべりしたりした。
「東矢くんの絵を描きたい」
「え、僕なんか描いても」
「簡単なのしかかけないけど、わたしのやりたいこと」
そう言うと、しぶしぶ了解してくれた。無理にまじめな表情を作ろうとして面白かったな。
それから、1週間前。私は東矢くんに、本当のお別れをした。
私がもう動けないことはわかってくれていたと思う。その頃の私の体はもうぼろぼろだったから。
怖がらないでいてくれたことが不思議。
「じゃあ、本当にさようなら。僕はちょくちょく尋ねに来るよ。来世ではもっといいことがありますように」
最後にそっと握手をして、立ち去っていく東矢くんの姿を見守った。
それから1週間、私は秘密の部屋にこもりきり。ゆっくり最後を待っている。
東矢くんが返してくれたお父さまとこの家の絵と、東矢くんの絵を並べて眺めながらぼんやり過ごした。
絵の中のお父さまも優しく微笑んでいる。きっとこれで、よかったんだと思う。
東矢くんとの思い出を思い浮かべて、とても幸せな気分に浸りながら。
それで僕が雨谷さんとお別れして10日ほどたった頃だ。
その日の日差しは特に眩しく風はすがすがしくて、夏のわずかな訪れと春の終わりを運んできた。授業中、珍しくニヤが教室のベランダを伝って窓際にある僕の席までやってきた。
「アマガイが消滅した」
それだけ言ってニヤはトコトコと去っていった。
雨谷さんは、少しでも幸せに眠れただろうか。
紅林邸の秘密の部屋で眠る、雨谷さんと絵が思い浮かんだ。
最後に会ったとき、雨谷さんはとても満足した表情をしていたと思う。
これでよかったのかどうかはわからないけど、僕が解放した怪異の1つが消滅した。
今週末にでも紅林邸にお墓参りに行こうかなと思う。ナナオさんも誘って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます