新谷坂山のヤッバイ封印

「ほら、学校裏の新谷坂にやさか山。ここになんかヤッバイのが封印されてるんだって。ってこの話ってもうしたっけ?」

 昇降口に一瞬流れた奇妙な雰囲気を気にしなかったのは、きっとナナオさんの表情に全く危機感がなかったからだ。

 ナナオさんは地元出身。だから僕の知らない地元の七不思議や怪談をたくさん知っている。そしてこの封印の話は、このあたりでは有名な話らしい。

 その指は、校庭とは反対方向を指し示す。僕らの今いる新谷坂高校は新谷坂山の中腹に建っている。ここは昇降口で校庭と校舎のちょうど中間。時刻はちょうど夕方で、校庭のある南側は辛うじて明るい陽が煌めいているけど、新谷坂山を向いた北側は既にうっすら暗くなっているはずだ。

「その話はまだ聞いてない。どんな話?」

「んとな、何十年か前に新谷坂山に住宅地を作ろうとして、鉄道会社が山を削ろうとしたんだわ。そんで『なんかよくわかんないけど』悪いことがいっぱいあったらしいんだ」

「なんか?」

「うんうん。そんでね、それよりもずっと前の戦前にも新谷坂山にトンネルを掘る話があって。そん時も『なんかよくわかんないけど』悪いことがあったから中止になったんだって」

「へえ」

「けど、新谷坂山はもともといい山だって近所の婆ちゃんが言ってたんだよ。昔のえらい人が超悪いものをたくさん封印して、その後も悪いことが起こんないように見守る山だったんだって。そんで、今でも山頂の新谷坂神社のあたりはパワースポットになってんの。だから山を削ろうとすると『なんかよくわかんない』けど悪いことが起こるんだってさ」


 何がなんだかよくわからないけど、噛み砕いてみるとこんな話だ。

 神津の中心地である神津こうづ区や辻切つじき区の市街は戦前から栄えていたけれど、新谷坂近辺は昭和の始め、戦後から開発が始まった地域らしい。

 もともとの戦前の新谷坂はど田舎で、田んぼと温泉とお金持ちの別荘地が多少あるくらいだけだったけど、そこに資本をつぎ込んでベッドタウンとして作られたのが新谷坂町。

 現在の新谷坂町は完全に平地部分にあるけれど、もともとは山まで開発しようという計画があった。けれども、山裾の工事に着手すると悪いことが起こった。

 そして新谷坂山は古くから霊験あらたかな山といわれていた。大昔に何か悪いものが封印されて、その後も鎮守の役割を担っていた。けれども開発工事で封印が解けるのを止めるために、神様か何かがやめさせようとして悪いことを起こしてた……ってことかな。

 ナナオさんは『なんかよくわかんない』について、新聞や図書館の郷土史なんかで色々調べたそうだ。けれども結局よくわかんなかったらしい。ナナオさんの将来の夢は雑誌とかのライターらしくて、面白いネタを沢山探してる。

 僕が思うに、探しても出てこないってことはきっと工事関係者が秘匿して外に出ないようにしている、気がする。人柱とかそういう都合の悪いものは今は隠すんだっていう話を聞いたことがある。

 新谷坂山は昔から霊山とかそういうものなのかな。

 でも山自体の標高は低くてハイキングルートになっている。僕らも春の遠足で1回上ったけど、景色がいい緑の多い山でピクニックに最適な感じ。封印とか、そんな怖そうな話がある雰囲気じゃなかった。

「そんでね、今度真夜中に新谷坂神社にいってみない? 一泊になるけど肝試しかねて」

 思わず僕は運動靴を取り落としそうになる。深夜のお泊りデートのお誘いですと。そんなハプニングは僕史上初めてだ。

 けれどもよくよく聞いてみると、ナナオさんのメイン関心は封印じゃなくてパワースポットのほう。新谷坂神社の絵馬に深夜に好きな人の名前と『仲良くなりたい』と書いて奉納すると願いが叶うらしい。そんな噂を友達づてに聞いたとか。ナナオさんには今好きな人がいる。つまり全然デートじゃない。

 ナナオさんはえへへとちょっと申し訳なさげに笑って、でも一緒にいくだろ? と続く。きっと一緒に遊ぶ友達は多いけど『真夜中に一緒に神社に行ってくれそうな友達』はいないんだろう。『恋の絵馬』じゃ僕が一緒にいかないと思ったからセットで『ヤッバイ封印』の話をした、のかも。

 つまり僕は怖い話ならついていく、ぴったりはまった余剰人員。サプライズハッピーなんてそうそう起こったりしないのだ。


 結局、ゴールデンウィーク初日に夜のピクニックを約束した。

 ナナオさんは、やたっ、と小さくつぶやいて嬉しそうにキュッと手を握りしめた。

 そして、あそうだ、と言って、思い出したように怪談を一つ付け加える。

「もひとつ、これは怪談じゃなくて事件かな。その工事しようとして以降なんだけど不審死がいっぱい出てるんだって。野犬か何かに喰われたみたいな死体が何年かに一件くらい出てるんだ。襲われるのはいつも一人でいる人で、複数人いるときには被害者は出てないようだから大丈夫だろうけど、気をつけような」

「えぇ?」

 ちょっと、そっちの方がよっぽど重要なんじゃないの?

 ナナオさんは最後にとんでもない爆弾を落とし、じゃぁと言いつつ軽やかに昇降口を駆け抜ける。僕はまたポツンと取り残されている。

 ひょっとして僕の役目は友達以前の野犬除けなのかな……。

 慌てて追いかけて校庭に出て、何となく後ろを振り返るとすぐに新谷坂山が目に入る。ザワリと強い風が吹き、山は黒く染まっている。たまたまなのか、ちょうど横切った雲の影になっていて、その斜面は少しだけ不気味に見えた。

 気づけば校舎にはもう人影なんて何もなかった。


 実は、僕とナナオさんは、4月の間も深夜に2度ほどでかけている。

 首狩りライダーの出るという噂の新谷坂山の峠道と、人体模型が動くはずの学校の深夜の理科室。深夜の理科室までくるとさすがに半分冗談で、本当に人体模型が動いていたら怖いより面白い。

 どちらも懐中電灯を持ってしばらくうろついたあと、なんもなかったね、と言って笑って家路についた。肝は試された気もするけど、何もない。そんな平和な夜の散歩。冒険は、なんだか楽しい。

 でも今回の冒険はちょっと大がかりだ。

 新谷坂神社は、新谷坂山の山頂を少し下ったところにある。学校裏手のハイキングコースから別れた参道を登って多分片道2時間くらい、真っ暗だろうからもっと時間がかかるかも。

 大人だったら側道を車で登ってすぐ山頂に着くんだろうけど僕らは高校生で、車なんて持ってない。遠足でも上ったハイキングコースから参道に入るしかない。だから多分、一泊コースだ。美人の同級生と一泊。でもそのことについてはすでに全然ドキドキしなかった。ナナオさんだし恋の絵馬掛けの付き添いだもんな。

 けれども僕は、冒険自体にはそれなりにドキドキしながら、事前に懐中電灯とか、お菓子とか、念のための折りたたみ傘とか、遠足の時と父さんと昔一泊キャンプに行った時のことを思い出しながら次々と荷物をリュックにつめていく。スポーツブランドのロゴの入った、カッコいいけどたくさん入る四角いやつ。防水のすぐれもの。それからネットで調べて、念のため野犬除けに防犯スプレーも持った。万一に備えて。

 寮に外泊届も出さないといけない。今回は父さんに会いに行く、ということにしようかな。小さな嘘を付く少しだけの後ろめたさに、ほんのちょっとドキドキする。ナナオさんは地元民だから夜中に家から抜け出すんだろうけど、大丈夫なのかな。

 そんなことを思いながら、とうとうゴールデンウィーク最初の夜が訪れた。


 時刻は19時。

 指定されたハイキングコースの入り口でナナオさんを待っている。

 昼と夜の山の顔は想像以上に違っていた。昼は明るく太陽に照らされ人で賑わうコース入り口の看板も、小さな外灯の灯りに照らされその凹凸やひび割れがもの寂しく浮かび上がり、なんだか少しおどろおどろしく思える。

 少しのあと、ナナオさんはスマホのライトを光らせながら、驚くほどの軽装でやってきた。

「だって大きな荷物とかもってくと親にばれるしー?」

 スキニージーンズに膝丈までのグレーのロンT、薄手だけど膝下くらいまである白くて長いニットカーディガンにそれなりのヒールのあるショートブーツ。それから薄黄色のキャップ。メモ帳と財布と携帯がギリギリ入る小さなチェーンのバッグを肩からかけている。

 街に遊びに行くならともかく、正直、あんまりハイキングに向かない服じゃないのかな。

「カーディガンとか木の枝に引っ掛かりそう」

「だってすぐに願いがかなってさ、降りてくるときバッタリ会えたら困るじゃんか」

 ナナオさんはニカッと笑う。まあその服装はかわいいとは思うけどここで言い合っていてもらちがあかない。

「それじゃあ行きますか」

「おう!」

 僕は真っ暗な新谷坂山を見上げ、ふうっと一息ついて登り始めることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る