第3話

 ほとんどの社員が席に着きパソコンに向かっていた。毎日毎日同じ光景なのだ。どんなに早く来ても決して一番になることは無い、必ず誰かいる。自分よりも早く来たのか、それとも残業して一晩中会社にいたのかはわからない。だけど、全員に共通しているのは仕事をしているということだった。


朝早くに来てゆっくりすることもなければ、残業明けで寝ている人もいない。みんな減ることの無い仕事を終わらせようとしている。わたしもやらないと…。


自分の席に着きパソコンを点け、土曜日に終わらせることが出来なかった書類の入力を再開した。もう少しで終わるが、たとえこれが終わってもすぐに次の仕事が山のようにくるのだ。…もういいや、ゆっくりやろう。どうせ終わっても休む暇なんて無いんだし。そう思い作業をしていると、声をかけられた。


「小野さん、ちょっと来てもらえる?」


…課長だ。重い腰を上げ言われた通りにする。行くと課長は不敵な笑みを、浮かべていた。


「…何でしょう」


「昨日休んでたけど大丈夫?体調はどう?」


「今は大丈夫です」


一見すれば部下を心配する親切な上司、しかしそれも表の顔。会話のところどころに嫌味や皮肉、セクハラ発言が入ってくるのだ。


「そう?ならいいんだけどさー。こっちも小野さんがいないとテンション低くて仕事やる気にならないんだよね」


「そうですか…」


仕事なんて、いつも部下にやらせて自分は何もしてないくせに…。


「でも今日は元気そうだから良かったよ。それで仕事のことなんだけどさー」


「はい…」


嫌な予感がする。


「病み上がりで悪いんだけど、これやってもらえる?」


束になった書類を差し出される。


「あの…まだ前の書類が終わってないのですが…」


無駄だとわかっているが言ってみる。


「そうなの?でも、もうすぐ終わるんでしょ?だったら先に渡しておくから」


そう言って束の書類を押し付けられた。課長の手が体に触れる。嫌な人だ…。


それから昼までずっとパソコンに向かっていた。どこの会社でも同じだけど、この会社はブラックなので異常な量の仕事を任される。だから昼になっても昼食を食べようと席を立つ人はほとんどいない。


家から持ってきたおにぎりなどを一口食べて、また仕事を再開する人が多い。そして、彼女もその一人。いつものようにコンビニで買ったおにぎりを食べようとカバンを開く。


「…あれ?」


おにぎりが無い。ガサゴソと音を立てて探すも見つからない。もしかして、買い忘れた…?家を出てから会社に着くまでのことを思い出す。考え事に夢中でほとんど覚えていない。ということは、買い忘れたということで間違い無いだろう。小さくため息をついた。仕方ない食堂に行こう…。


他の社員なら時間がもったいないと思い昼食を食べずに仕事を続けるだろうが、今の彼女にはその気力は無い。席を立ち食堂に向かった。


食堂を使うのは久しぶりだった。入社して間もない頃はよく利用していたが、大量の仕事をやらされるようになってからは来なくなったのだ。やはり、ほとんど人がいない。理由はわかる、他の部署も上司からのパワハラで食堂にくる余裕などないのだ。


4月から6月ぐらいなら新入社員がたくさんいるのだが、それは新入だからできることなのだ。入ったばかりの社員には仕事も自分たち程任されない。いきなり大量の書類を渡してもこなしきれないのは目に見えたことだし、最初からブラック企業であることを宣言するような真似は避けたい、そういう思惑が上層部にはあるのだ。


入口から少し離れた場所に座る、入口付近だと嫌な上司が来たときにすぐに見つかってしまうかもしれない。まあ、これだけ人がいなければどこに座っても変わらない気もするけど。


 注文した定食を食べながら物思いに耽る、味なんてほとんどわからない。食欲もない、部署に戻りたくもない。でも、戻らないわけにもいかない。


「…さん、小野さん」


突然声をかけられ体がビクッとした。一瞬課長かと思ったが、女性の声だと気づき顔を上げる。


「…外田さん」


後輩の外田だった。


「あの、ご一緒してもいいですか…?」


遠慮がちに訊いてくる。


「あ、どうぞ…」


そう返事をすると外田は小野の隣に座った。しばらくお互い無言で食べ続ける。外田さんは大丈夫なのかな?新人ではないから、仕事の量も多いはず。当然疲れていると思うのだが…。そもそもどうして、わたしの隣に座ったの?


「あの…小野さん」


外田が口を開いた。


「…なに?」


「あの、今日はなぜ食堂にいらしたのでしょうか…?」


「え?ああ…実は今日、コンビニに寄るの忘れちゃって…」


「そうなんですか…」


そう言うと外田は顔を正面に戻した。しかし手は動かさず定食をじっと見つめ何かを考えているようだった。


「どうしたの?」


気になって声をかけると外田は再び彼女の方を向き遠慮がちに話しだした。


「あの…、余計なことかもしれませんがいいですか?」


「いいよ、なに?」


「あの…小野さん、大丈夫ですか?」


「え?」


何を訊かれたのかわからない。


「…何が?」


「その…とても疲れた顔をしているので…」


「疲れてるのはいつものことだから大丈夫、気にしないで」


「いえ…いつもより疲れた顔をいています」


「それは…」


返す言葉がない。理由はわかるがそれを外田に言うわけにはいかない。


「昨日は体調不良とお聞きしました。もう大丈夫なんですか…?」


「…うん」


「本当ですか…?」


外田は小野の目を見つめる。まるで彼女の心を見透かそうとしているようだった。


「大丈夫だから、ありがとう気にしないで」


自分の定食に向き直り、そう答える。


「…わかりました…」


納得しない様子で外田も自分の定食に向き直る。どうして外田さんはそんなに自分を気にかけてくれるんだろう…。他はみんな避けるのに…。小野は会社で親しくなった人がいなかった。嫌われているわけではない、みんな怖いのだ。彼女と関わることによって自分に対するパワハラがエスカレートするのが。


「お、珍しいね」


突然の声に二人とも箸が止まる。一番会いたくない人の声だ。恐る恐る顔をあげると、…やはり課長だった。課長は二人の向かいに座ると喋りなが食べ始めた。


「珍しいね、二人して食堂にいるなんて」


二人は返事をせずに定食を食べ続ける。


「外田さんはいつもいるけど、小野さんはどうしたの?」


「……」


「やっぱり病み上がりだから、たくさん食べようと思った?」


「……」


「いや、昨日休みだったから心配でさー。さっきも言ったけど俺、小野さんの顔見ないとやる気が起きないんだよね。だから仕事も全然はかどらなくて」


「……」


「さっきから箸が進んでないみたいだけど、大丈夫?食欲無いの?」


「……」


「ちゃんと食べないと体がもたないよ、小野さんが休んだら俺の仕事も進まないからね、休まないようにしてもらわないと」


…うるさい…


「そういえば最近あの店に行くんだけど、えっと何て言ったかなーああいう店のこと…あ、そうだファーストフード店って言うの?そういう店によく行くんだけど」


「……」


「ああいう店って定員さんが笑顔で注文取ってくれたりするんだけど、なんか…どの子もいまいちなんだよねー、表情が硬いっていうか自然じゃないっていうか、作った感があるんだよね」


だからなんだ…


「やっぱり一番は小野さんだよ」


笑顔なんて見せたことない…


「俺の中では小野さんが一番綺麗だと思うんだよ、うん」


「……」


「小野さん?」


「……」


「聞いてる?小野さん」


「……」


「小野さん」


「…なんでしょう」


返事をするしかなかった。


「俺の話聞いてた?」


「…いいえ、聞こえませんでした…」


明らかに嘘だとわかる嘘をつく、しかし課長は気にする様子も無く話し続ける。


「聞こえてなかったの?なんだそうだったのか、ずっと返事が無いから嫌われてるのかと思ったよ」


…嫌いだ、大嫌いだ…


課長は腕時計をみるとわざとらしく言った。


「おっと、こんな時間だ。二人も早く食べないと昼休み終わっちゃうからね、仕事に遅れないようにして」


空になった皿を戻し食堂を出て行った。


「…やっと行った…」


思わず声が出る、すると隣の外田も続いて喋りだした。


「本当に嫌な人!」


食堂の出入口を睨みつけている。こんな顔をした彼女を見たことは無かった。


「課長は本当に人として最低です!部下にはたくさん仕事を押しつけるのに、自分は何もしません!」


それはあの課長だけでなく他の部署にも言えるのだが…。


「それに女性社員に会えば、変なこと言うし!」


そう言うと外田は勢いよく小野の方を向いた。


「課長は小野さんにばかりそういう事を言っている気がするのですが…」


目をそらしてしまう、気づいていたのか…。彼女の言うとおり課長は自分にばかりセクハラをするのだ。そしてそれこそが、他の社員から避けられる理由…。


小野がこの会社に入った時、同期に女性が少なかった。それに運悪く、彼女の容姿が課長の好みと一致していたため、彼女は悪い意味で気に入られてしまったのだ。最初のうちは他の社員と普通に話していたのだが、それが課長に見つかると相手の社員にだけ倍の仕事が任される。一度や二度ではない、毎回なのだ。誰であろうと、どこであろうと、会社の中ならば決して逃れることはできない。自分は監視されている…そんな気もするのだ。


周りの社員たちも次第にそのことに気づき、今では誰も話しかけなくなった。しかし外田さんだけは、こうして話しかけてくれる。自分と関わると課長からのパワハラが強まるのに…。


「外田さん…」


「はい」


「…やっぱりなんでもない…」


いうべきかどうか迷ってしまい口ごもる。


「え?」


「いや…よくそんなに食べられるなあと思って…」


結局全然違うこと言ってごまかしてしまった。


「え?」


外田はきょとんとした顔になった。テーブルに並んだ二つの定食を見比べる。


「量は同じくらいだと思うのですが…」


「そうかもしれないけど…食欲の問題っていうか…」


「このくらい食べないとやってられません!食べないと課長というストレスに負けそうになるんです」


はっきりとした口調に少しだけ驚く。なるほど…食べてストレス発散しているのか。


「そう…」


自分の定食に目を向ける、残りわずかだが箸を動かす気力が出ない。


「あの…悪いんだけどこれ食べてもらってもいい?本当に食欲がなくて…」


「いいですよ、このくらいなら大丈夫です」


本当に申し訳ないと思いながら皿を渡す。それから数分もしないうちに外田は定食を食べ終えた。


「それでは行きましょう」


「あ、うん…」


渋々立ち上がり、二人で食堂を出た。誰かとこうやって一緒に歩くのなんて久しぶりだ。いつもなら、一日中椅子に座ってパソコンを操作しているだけなのだ。今日は買い忘れて良かったかも…。


自分の部署の部屋へ入り、席に座る。その瞬間部屋に課長の声が響いた。


「外田さん、ちょっと来てもらえる?」


外田は体をビクッと震わせる。


「は、はい…」


「この書類もやっといてくれない?」



課長は分厚い書類の束を外田に渡した。


「わかりました…」


沈んだ声が聞こえる。ごめん…心の中で謝った。わたしと食事したから…。罪悪感に襲われる、悪いのは課長なのだが今の彼女はそう考えることが出来なくなっていた。やっぱり言うべきだったかな…。さっき言いかけたこと、それは自分とは関わらない方がいい、そう言いたかったのだでも外田は自分に話しかけてくれるたった一人の友人。…。友人、自分で勝手にそう思っているだけだった。外田からすればただの先輩なのかもしれない、だが彼女がいなければ完全に孤立してしまう。そうなるのが怖くてさっきは言えなかったのだ。言った方がよかった…。落ち込んだ外田の顔を見ていると罪悪感の方が強くなってくる。


 その日は外田の仕事が終わるまで帰らなかった。10時を過ぎたところでようやく外田が帰り支度を始め、ほっとする。眠くなってきていたのだ。彼女が先に行くのを待ち、部屋を出る。会社を出たところで呼び止めた。


「外田さん」


「あ、小野さん…」


とても疲れているようだ。


「ちょっと話したいことがあるんだけど…」


「…なんでしょうか…」


さっきまで言おうと思っていてもその場になるとなかなか言い出せない。だからと言ってこのまま帰るわけにもいかない、自分のせいで外田に迷惑がかかってしまう。


「その…もうわたしに関わらないで」


「え…」


外田は目を見開いた。


「なぜですか…?」


当然の質問をされる。


「それは…」


周りを見て誰もいないことを確認した。


「外田さんに迷惑をかけるから…。あの課長、わたしのことがお気に入りで自分以外の人と一緒にいるのが許せないみたいで…。今日だって昼休みが終わった後、課長から仕事たくさん押し付けられたでしょ?あれはわたしと食事したからだと思うの…」


「小野さんも課長に仕事を押し付けられたんですか?」


小野は首を横に振った。


「わたしには押し付けない」


「そうですか…」


外田は目を落とし、少し考えた後にこう言った。


「考え過ぎなのでは…」


「考え過ぎなんかじゃない!」


声が大きくなる。


「今までもそうだった、わたしが誰かと話せば相手にだけ仕事たくさん押し付けて、そのせいで誰も話しかけなくなって…」


そこまで言って我に返る。外田は驚いた顔をしていた。


「ごめん…」


そう言ってうつむいた。彼女のことを見る勇気はもう無い。


「あの…」


「と、とにかく!もうわたしには関わらないで…」


外田が呼び止めるのを無視して早足で立ち去った。










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