華と霊

タボミ

第1話

 都心から離れた郊外にその家はあった。木が鬱蒼とする森の中、ボロボロに朽ち果てた洋館が建っている。この洋館のことはほとんどの人は存在を知らない。たとえ知っていても、知らないふりをする。誰も決して近寄ることはない、それほど不気味な場所だった。


 しかし、その家の門の前に人が立っている。女性だ。


やがて、門に手をかけゆっくりと押した。

ギギギという音を立てながら開いた。

女性は敷地内に足を踏み入れ静かに歩き出した。


門から玄関まではそれほど離れていない。だが、なぜかとても遠くにある気がした。歩いても歩いてもたどり着かない、そんな錯覚までするもちゃんと玄関に着いた。


木製の扉、もうすっかり腐っている。女性はドアノブを引っ張り開けようとした。しかし、扉は動かない。もう一度力まかせに引っ張った。すると何かが折れるような音がなり扉は力なく開いた。


中に入るとカビの臭いが鼻を突く、ずっと掃除されていない。誰も住んでいないから当たり前か…。女性は瞬時にそう思う。


 一部屋一部屋見て回るうちに当時の記憶が蘇った。彼女にとって決して忘れることの無い、それでいて決して思い出したくない、そんな記憶だった。部屋を全て見回り、最後にダイニングへ向かった。部屋の中心に長机が置いてあり、そこで食事をするようになっている。しばらくそれを見つめていた女性は、はっと我に返り自分がここに来た目的を思い出した。


自分はなぜこの家に来たのか…。死ぬためだ。


カバンから包丁を取り出す。窓から入る月の光が反射して包丁は鈍く光っていた。それを見ながら彼女は今までのことを思い出す。何度も何度も死のうとして、刃物を手首や喉元に近づけるも手が震えだし結局降ろしてしまう。それの繰り返しだった。だが今度は違う、この場所なら確実に死ねる、そんな気がしたのだ。こんなところ、もう絶対に来ないと決めていたのに…。


女性は顔を上げ窓を見た。月が煌々と輝いている。自分は何をやっているんだ…。全てを失ったこの場所で自殺をしようとしている。こんなところまで来ないと死ねないのか…。包丁を持つ手に力が入る。


もう嫌だ、こんな弱い人間。自分自身に腹が立ち、やがて殺意へと変わった。こんな人間死ねばいいんだ、殺せばいいんだ。女性は自分の手首に包丁を近づけた。やっと死ねる…。


目を閉じ手首を切ろうとする、しかし腕の動きが止まった。誰かに腕を掴まれている。驚き、振り返ると若い男性が、彼女と歳があまりかわらないような男性が立っていた。


「やめろ」


男性は無表情のまま言った。だれ?そう言おうとしたが彼女の口から出てきた言葉は全く違うものだった。


「殺す…」


絶句する。なんで!?なんでそんなことを…。しかし男性は動じる気配すら見せない。


「ここはお前の居場所じゃない」


「うるさい…!」


そう言うと男性に向かって刃物を振り回し始めた。どうなってるの!?体が勝手に動いてる!?必死に止めようとするも体はいうことをきかない。


当たらないで…。そう願うしかなかった。男性の方はというと、逃げることはせず刃物を避け続けている。早く逃げて…!そう言いたくても言葉が出てこない。


しばらく暴れていると女性は床に落ちているなにかにつまずいた。バランスを崩し、よろめくとすかさず男性が後ろに回り込み思い切り彼女の背中を手のひらで叩いた。


すると全身の力が抜け床に座り込む。動くことも声を上げることもできない、何が起きているのかわからなかった。


混乱する彼女をよそに男性は何も無い場所をじっと見つめている。何を見ているの…?彼女も同じ場所に目を向けるも、やはり何も無い。 男性の方に視線を戻すと何かを手に持っていた。


よく見ると巻物のようだ。男性は巻物を広げると、そこに書かれている文字を読み上げ始めた。彼女には意味がわからない言葉だが、すぐにそんなことはどうでもよくなる。文字が宙に浮いているのだ。


赤い文字が、恐らく男性が読み上げているものと同じ漢字が次々と現れ、一列に並んでいく。整列した漢字は先程まで男性が見つめていた場所へと飛んで行き、螺旋状になった。まるで何かを縛っているようだ。


何か、何かが見える。螺旋の中心に何かがいる。女性が目を凝らすと、次第にはっきりと見えてきた。

老婆だった。長い白髪の老婆が恐ろしい形相でこちらを睨みつけていた。思わず男性の方を見ると、老婆には目もくれず巻物を読み続けていた。


「やめろ…!」


老婆は低い声で唸る様に言った。しかし男性は、無視して読み続ける。そしてその声がだんだん大きくなっているのに気づいた。文字もそれに合わせて色が濃くなっている。


「やめろ!」


老婆が苦しそうに言う。そんな二人を彼女は目を大きく見開き、交互に見ることしかできなかった。

わたしの目の前で何が起きているの…。そう思った瞬間、突然男性が大声を上げた。


「はあー!」


屋敷中に響くような声だった。女性は驚いて目をつぶるが、すぐに開いた。すると今までいたはずの老婆が消えている。部屋を見回してもどこにもいない。男性の方に目を向けると、男性は読み上げていた巻物を巻いていた。かなりの長さだ。


どのくらいあるんだろう?見入っていると男性が視線を彼女に向けた。慌てて目をそらす。今まで見向きもしなかったので油断していたのだ。ずっと無視してたくせに…。少しだけ不機嫌になった。巻物を巻く音だけが聞こえる。隣の男性が気になるも、彼女には顔を上げる勇気は無かった。


しばらくして、男性の動きが止まった。


「さっき見た事は誰にも言うなよ」


そう言うと男性は部屋を出ていった。一人残された女性は目の前で起きた事を思い出す。


男性が巻物を読むと、赤い文字が現れて、それが老婆を縛り、男性が大声を出すと老婆も赤い文字も消た…。様々な事が次々と思い浮かぶ。あの男性と老婆は誰だったのか。現実なのか幻覚なのか。そもそもどうして自分はここにいるのか。


そうだ自分は何をしに来たんだ。…自殺するためだ。女性は周りを見て包丁が落ちているのを見つける。それをしばらく見つめた、見つめるだけで拾う気力はもう残されていなかった。

 

最初にはあったはずの自分に対する怒りや殺意も無くなっていた。女性は力なく床に横たわった。


また死ねなかった…。静かに目を閉じると、一気に眠気が押し寄せてきた。





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