第2話

 どのくらい寝たのか、女性が目を覚ますと外が明るくなっていた。ゆっくり体を起こし床に座り込む。帰らないと…。そう思ってもなかなか立ち上がることが出来ない。まるで長距離を走った後の様に疲れていた。


だからといって、このままこうしているわけにもいかない。足に力を入れ少しずつ動かす、そしてようやく立ち上がることができた。


よろめきながら床に落ちているカバンと包丁を拾う。手にした包丁を見ても、やはり自殺する気力は起きなかった。女性は包丁をカバンにしまい屋敷を後にした。


アパートの階段を上がり、自分の部屋の前まで来てようやく意識がはっきりする。帰って来たのか…。家に…。玄関を開けて中に入ると真っ暗だった。電気が点いていない、カーテンも閉めきっている。屋敷とはまた違った暗さだ。


リビングに置いてある椅子に座り考えを巡らした。誰だったんだろう。男性も老婆も会ったことは無い。そうなると、さらにわからなくなる。見知らぬ他人がなぜあの家にいたのか…?


あの家は…祖父の物なのに…。女性は目を閉じた。…もういい。もう考えたくない…。固く閉じた手が震える。違うことを考えないと…。


時計を見ると7時40分。7時40分!?遅刻だ!!慌てて立ち上がるも動きが止まった。会社、その二文字が浮かんだ瞬間、全ての気力が無くなった。


再び椅子に座る、今度は先程よりも疲れているような気がする。行きたくない…。しばらく悩んで休むことを決めた。会社に電話してそのことを伝える、きっと明日行ったら色々言われるんだ…。そう思いながら寝室に行き布団を被った。


次の日の朝、目覚し時計の音よりも彼女は早く目を覚ます。布団の中で昨日と同じことを考えていた。しかしどんなに考えても答えは見つからないのだ。そして、考えれば考えるほど嫌になる。考えたくないが、どうしても気になる、そんな悪循環にはまっていた。


女性は布団の中で深いため息をついた。みんな夢ならいいのに…。その時はっと気づく。そもそも夢なのではないのか?土曜日に仕事から帰ってきて、疲れていたので食事もせず、すぐに眠ってしまい、先程目が覚めた。本当はそういうことなのでは…?


きっとそうだ、そうに違いない。ということは、今日が日曜日になる。女性はゆっくりと起き上がった。夢だと思ってもやはり自信が無い。何かで確認しないと…。


テレビのリモコンを手に取り電源ボタンを押した。今日が日曜日ならその日の番組がやっているはず。どうか日曜日でありますように…。そう祈ったが画面に映ったのは平日の番組だった。他のチャンネルを回すも、どれも平日にやっている番組だ。しかも画面の端の方には今日の日付と曜日が…。


火曜日。女性は再び深いため息をついた。夢じゃなかったのか…。つまり日曜日の夕方頃にあの屋敷に着き、月曜日の早朝までいて、7時くらいに帰宅、8時前後に欠勤の電話をし、さっきまで寝ていた…と。


結局、昨日は1日中眠っていたのか…。頭を抱えてうずくまった。せっかく休んだのに、ずっと寝ていたなんて…。しかも、これから会社に行かなければならない。休みたい。そう強く思うも、休む理由が無い。


昨日丸一日寝たせいか、すっかり疲れは取れていた。渋々立ち上がり洗面所へ向う、鏡の前に立ちじっくりと自分の顔を見た。疲れは取れているのにとても疲れた表情をしている。


なぜか…。ふん、そんなのこれから地獄に行くからに決まっているからじゃないか。一分ほど鏡に映った自分を睨みつける。そして、ため息をつき顔を洗い始めた。


毎日毎日同じ事の繰り返し、しかも地獄に行くための準備をしているのだ。会社という地獄に。女性が勤めているのは一流企業ではないが比較的大きな会社だった。社名を言えばみんな感心した表情になる。


自分もこの会社に就職が決まった時は嬉しかったし、親も喜んでくれた。自分の稼いだお金で恩返しができる、そう思ったのに…。現実は違った。入社して初めてわかること、外見だけではわからないことがあったのだ。


女性は会社に向かって歩きながら腹立たしい記憶を思い出していた。悔しいのは他も同じ、みんな疲れている、それでも誰一人として逃げようとしない。目の前の仕事を終わらせることだけを考えている。


会社の前で立ち止まり建物を見上げた。大きくて立派、都心にふさわしい会社である。しかしそれは表の顔、実際は社員をこき使う、セクハラ・パワハラが蔓延したブラック企業なのだ。ため息をつき、建物に入った。


階段を上がる度に足が重くなっていく、まるで鉛を足に繋がれているようだった。あぁ…嫌だ…。一歩踏み出す度にだんだん疲れていくような気がする。扉の前で立ち止まり、ドアノブを見つめる。これが地獄への入口、ドアを開けたら次はいつ出てこれるかわからない。


女性は扉を開け、中に入った。


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