第31話
彼に引きずられように歩き、また最初にいた部屋に戻される。ようやく青井は涼華の腕を離した。すると彼女は一気に畳にうずくまり、頭を抱えて大声で泣き始める。
こんな風に泣いたのは二十年前、怪我した足を冷水で洗われた時以来だった。それからは、泣かないと決め、どうしても泣きたい時は声を押し殺して泣いたのだ。
しかし、今はもうそんな事できない。ずっと心の奥に追いやっていたものが、ひしひしと迫ってくるのだ。両手で自分の髪の毛を強く握り締める。大声だけでは収まらない感情を自分にぶつけるしかなかった。もちろん痛い、だけどそれ以上に悲しくて苦しいのだ。
その時、何かが背中に触れる。その何かは彼女の背中を上下に静かに動いていた。手だ。誰かが背中をさすっているのだ。もしかして青井さんがやっているの…?先程腕を掴んでいたとは思えないくらい優しく、繊細だった。そして暖かいものが心を包んでいる、そんな感覚までした。
少しずつ涙が収まり、感情も落ち着いてくる。すると背中にあった手は離れていってしまった。行かないで…。とっさにそう思うも、手が戻ってくることはない。
ゆっくりと体を起こすと、ちょっとだけクラクラして思わず目をつむってしまう。
「大丈夫か?」
すぐ隣で青井の声がした。ちいさく頷く。
「そう…。これ使って」
彼の方を向くと、箱ティッシュを差し出していた。
「ごめん、ありがとう…」
そう言って箱を受け取る。鼻をかみ、涙を拭くとだいぶスッキリした。本当に、この人には助けてもらってばっかりだ…。
「落ち着いたか?」
「うん…」
「そうか、それじゃあ行こう」
「え?」
「霊媒師が待ってる」
「……」
気が進まない…。でも、自分から頼んだのだから途中で逃げ出すわけにはいかない。立ち上がり部屋を出る。今度は感情に流されないようにしないと。そう思いながら廊下を歩く。
霊媒師のいる部屋の近くまで来ると、部屋から住職が出てきた。
「ご気分の方はいかがですか?」
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「そうですか。それは良かった。では、こちらへどうぞ」
部屋を手で示される。涼華は意を決して入った。
先程と同じ様に霊媒師は中央で正座していた。身構えてしまうも、すかさず住職に声をかけられる。
「ご安心下さい。もう霊は憑依しておりません」
ちょっとだけほっとする。
「どうぞお掛けください」
座ると霊媒師が口を開いた。
「ご気分の方はいかがですか?」
先程と同じことを訊かれる。
「大丈夫です。あの…」
「何でしょう?」
ちゃんと謝らないと。
「あの、先程は大変失礼な事をしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
深く頭を下げる、カッとなってしまったとはいえ、あんなこと絶対にしてはいけないのだ。
「顔を上げてください」
涼華は恐る恐る体をお越し、霊媒師を直視した。
「どうかお気になさらないでください。霊が憑依している間は、私は私ではないのです」
「……」
どういうこと…?
「あなたが掴み掛かったのは悪霊であり、私ではありません。したがって私はあなたを咎めることはいたしません」
「でもー」
「霊媒師とはそういう者なのです。誰かが怪我をしたわけでもございません。あなたは人間として当然の事をしたのです」
霊媒師の目をじっと見つめた。青井の目と似ている気がする。家族だから似ているのは不思議ではないけれど、そうじゃなくて形とかじゃなくて何かが、何かはわからないけど何かがー。
「わかりました…。でも、本当にすみません…」
「いいえ、私の方こそお詫びしなければなりません」
「え?」
「申し訳ありませんが、残りの霊の方は明日にしていただきたいのです」
一瞬沈黙になる。
「どうしてですか…?」
「実は、先程憑依させました霊の邪気が強かったもので、予想よりも体力を使ってしまいました。ですので今日はお休みをいただきたいのです」
そういえば青井が言っていた。一日に何人も霊を憑依させることはできない、と。その理由がやっとわかった。
「そうだったんですか…。すみません、わたしのせいで…」
「いいえ、これが仕事であり、定めなのです。どうかお気になさらず」
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