第40話

 寺を出て坂を下り始めると、涼華の様子に変化が表れる。彼女はそわそわしていた。言うなら今しか無い。周りに誰もいないし、旅館に戻ったら明日まで会うことも無い。今度こそちゃんと言わないと。


彼の後ろ姿に声をかける。


「あの」


青井は立ち止まり振り返った。


「何?」


「あの、昨日の事なんだけど」


「昨日?」


「うん。昨日わたしがお寺で泣いて時、背中をさすってくれたでしょ?それで、お礼を言わないとと思って…ありがとう」


やっと言えた。ほっと胸を撫で下ろす、しかし次の瞬間、青井は予想もしていない一言を言った。


「あれは俺じゃない」


「…え?」


何を言われたのかわからない。


「小野さんの背中をさすったのは俺じゃない」


何を言っているの?


あの時部屋には、わたしとあなたしかいなかったのに…。


「じゃあ誰が…」


「わからない。ただ、幽霊であることは確かだ」


「幽霊…。どんな人だったの?」


「後ろ姿しか見てないから詳しくは言えないけど、髪の長い女性だ」


「……」


「心当たりはあるか?」


「…わからない」


それだけの情報では誰なのか見当もつかない。


「そうか…。でも俺じゃないのは事実だから、礼を言う必要は無い」


「…わかった」


彼がやったんじゃ無かった。その後涼華は青井に一度も話しかけること無く旅館へと戻った。


 彼にもらったおにぎりを食べ、ペッドボトルのお茶を一口飲んで一息つく。コンビニのおにぎりも美味しい、美味しいけど…。


純粋に喜ぶことができない。毎日寄っている、そこからどうしても会社を連想してしまうのだ。サンドイッチなら、そんなに落ち込まなくて済んだのかもしれない。


せっかく買ってもらったのに、不満が浮かんでしまう。慌てて頭を振り、良くない想いを追い出した。


 夕食までの時間、何もやることが無いので畳に寝転んだりテレビを点けたり、目的も無いのにスマホをいじったりして過ごす。何もやることが無いのって退屈だけど、気楽でいいな。


「…あ!」


とんでもないことに気づいた。


「連絡してない…!」


全身が熱くなる。今日は月曜日、平日だ。土曜日も出勤のの日、だけど無断欠勤。そして今日も無断欠勤…。さすがに、まずい…。


今から連絡するしか…。嫌だと思いつつ会社に電話をかける。


「はい」


若い女性がでた。


「あの、私そちらの会社に勤務しております小野と申しますがー」


そこまで言うと、突然相手が続きを遮る。


「え、あ!小野さん!?」


どうしてそんなに驚いているの?


「はい」


不思議に思いながら返事をした。しかしその疑問も次の相手の一言で解ける。


「あの、わたし外田です」


「あー…」


嬉しい偶然だ。


「どうなさったんですか!?土曜日も欠勤の連絡が無くて心配しました!どこかお体の具合が悪いのでしょうか?」


心配そうな声をしている、ちょっと嬉しい。


「風邪をひいちゃって、土曜日は寝込んでて電話ができなかったの」


全くの嘘だが、しかたがない。


「そうだったんですか…。あの、もう大丈夫なんですか?」


「少しは良くなったけど、まだしんどいから大事をとって明日も休むね」


「わかりました。課長にお伝えしておきます。無理をなさらず、お大事になさって下さい」


「うん、ありがとう。それじゃあもう切るね」


「はい、失礼します」


 会話を終え、大きく息を吐く。外田さんで良かった。他の人だったらあんなに話せただろうか?


まして課長がでたら長々と電話をすることになっただろう。涼華はペッドボトルを手に取り、中身を一気に飲み干した。会社に電話をするのって緊張する、そういえば欠勤の連絡をしたのって初めてかも。


今まで一度も休んだことは無かったはず。先週の土曜日を、考えなければ。明日も休み、でもそれが終わればまた地獄が始まる…。


再び横になった。何だか疲れた、少し眠ってリフレッシュしよう…。

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