第24話

 コーヒーに自分の顔を映し出す。悲しい表情をしていた。当たり前だ、今までずっと思い出さないようにしていたことを鮮明に思い出したんだから…。


モヤがかかったように不透明で不鮮明だった、青井と会って二十年前の五日間がはっきりと蘇ってしまった。


 甘い香りが鼻を抜ける。そういえば、柚華お姉ちゃんは香りを楽しむんだよって言ってた。今は花じゃなくてコーヒーだけどその意味がよくわかる。お姉ちゃん…。


亡くなった華那子と、生き別れた柚華のことが頭に浮かび涙が溢れてくる。それをごまかすためにコーヒーを一気に半分ほど飲んだ。


「あの…今さらこんなこと訊くのもどうかと思うんだが」


青井が突然喋りかけてきたので、むせってしまう。


「大丈夫か!?」


驚いた声を上げる相手に対し、咳込みながらなんとか頷く涼華。


「な、なに…?」


なんとか持ち直し訊き返した。


「いや、そんな大したことではないんだが…」


申し訳無さそうな顔をしている。


「コーヒーは嫌いじゃないよな?勝手に頼んでしまったが…」


「嫌いじゃないけど」


むしろ、このコーヒーなら何杯も飲めそうなくらいだ。


「そうか、良かった。嫌いだったら悪いことをしたと思ってな」


そんなこと気にしなくていいのに…。それよりも自分の方が訊きたいことが山ほどある。


「…ねえ」


「ん?」


「何をしていたの?」


ずっと気になっていたことがようやく訊けた。しかし青井は何のことだかわからない様子。


「何のことだ?」


「さっき路地裏で何をしていたの?」 


「ああ…特に何もしてないけど」


嘘だ、どうして嘘をつくの?


「誰かと話してたでしょ」


「それは…」


返事に困っているようだ。


「たぶん、言っても信じてもらえないと思う」


「どうして?」


「どうしてって言われても…」


再び黙ってしまう。


「教えて」


じっと相手の目を見ながら言った。


「…そんなに知りたいのか?」


「うん…」


青井の方もじっと涼華の目を見つめる。彼女と違い何かを見抜くような鋭い目だ。思わず目をそらしてしまう。


「わかった、話す。俺はあの時、幽霊と話していたんだ」


「え…」


二人とも無言になった。店に流れている控えめの音量の音楽だけが聴こえてくる。幽霊。たしか彼を追いかけている時にも浮かんだ言葉だ。まさか彼の口から聞くことになるとは思ってもいなかった。


「どういうこと?」


「あの場所に成仏できない霊がいて、俺はその霊にあの世に逝くように説得してたんだ」


成仏できない…。つまりこの世に未練があるってこと?ここで一つの疑問が浮かぶ。未練があるから成仏できないのに、説得してあの世に逝かせることなどできるのか?


「…説得できたの?」


「ああ、相手も納得してくれた」


てきるんだ…。


「どうして成仏できなかったの?」 


「その霊は五十代で最近亡くなったんだが、一人残した娘のことが心配で成仏できなかったんだ」


「奥さんは?」


「奥さんの方も早くに亡くなってる」


それなら心配なのも当たり前だ。


「そう…娘さんはいくつなの?」


次から次へと疑問が浮かびそのまま質問してしまう。


「二十代だ」


二十代、自分と同世代か…。なんだかわたしと似ている気がする。


「どうした?」


青井の言葉に首を振った。またもや涙が溢れそうになったのだ。いけない、別のことを考え無いと…。


「でも何であなたがそんなことしてるの?」


とっさに思いついた質問をする。


「ああ…。好きでやってるわけじゃなくて、やらないと文句言われるっていうか…」


誰に?


「まあ、仕事みたいなものかな、給料はでないけど」


彼は少し笑いながら言った。


「誰に文句を言われるの?」


「死んだ父親に」 


「え…」


亡くなった人から文句を言われるの?


「幽霊が見えるの?」


本当であれば最初にするべき質問をした。


「見えるよ」


すごい…。なぜか感心してしまう。今まで身近な人に幽霊が見えるという人はいなかった。でも今日知り合ったこの男性は見えている。…いや、正しく言えば今日では無く日曜日ー。


その瞬間あることに気づいた。


「もしかして、あの屋敷にいたのも幽霊のことで…」


涼華の問いかけに青井はしばらくしてから答えた。


「…そうだよ」


「どんな幽霊かいたの?」


矢継ぎ早に訊くも彼は答えようとしない。


「ねえ」


「……」


「聞いてるの?」


「…ああ」


「どんな幽霊がいたの?」


「答えたくない」


「どうして?」


「…君を傷つけることになる」


「え…」


路地裏にいた時と同じく時間が止まったような沈黙が流れる。なんで?なんでわたしが傷つくの?怖くなってきたが、どうしても知りたい。


「…大丈夫だから、答えて」


「だめだ、絶対に傷つく」 


そう言って青井は席を立ちレジの方へ行こうとする。涼華は彼の腕を掴んだ。


「待って、教えて!」


少し大きな声になってしまうが、今の彼女には気にすることではなかった。


「離してくれ、俺が言うには重すぎる」


「言うまで離さない!」


掴んでいる手にさらに力が入る。すると青井は再び鋭い眼差しで彼女を見つめた。


「本当に後悔しないんだな?」


「…しない」


「わかった」


手を離すと彼は涼華の前に座り直した。


「あの屋敷にいた幽霊は」


なぜか、声を落として話す。


「あの屋敷にいた幽霊は、君の家族を殺した悪霊だ」


「…!」


絶句し、頭が真っ白になった。


「二十年前、君の父親に取り憑いて、母親と姉妹のうちの一人を殺して最後に父親も殺したんだ」


「なんで知ってるの…」


言葉が勝手に口から出てくる。


「俺も何の情報も無しに行ったわけじゃない。幽霊に色々教えてもらってあの屋敷に行ったんだ」


何と返事をしていいのかわからない。


「君があの屋敷で自殺しようとした時も、悪霊が君に取り憑いていた。その証拠に俺に向かって刃物を振り回しただろ?」


「そんな…」


まさか、殺すとか言ったり、体が勝手に動いて男性を襲ったのも悪霊のせいだっていうの…?頭の中の整理がつかない、普通であればとても信じられない話だった。だが、否定する理由も無い。


「君も見たと思うけど、白髪の老婆が現れただろ?あれが悪霊だ」


「あの人が…」


夢にまで出てきたあの老婆が、わたしの家族を…。涙が目からこぼれ落ち、コーヒーカップの中に消えた。コーヒーが小さく波打っただけだが、彼女の心は荒れ果てていた。二十年間ずっと父が殺したと思ってたのに…。なんでそんなことをしたのか考えていたのに…。それが、悪霊の仕業…。


自分が男性を襲った時のことが頭をよぎる。取り憑かれていても、意識ははっきりしていた。もしかして父もわたしみたいに自分を止めようとしたけど、悪霊のせいで止めることができなかったの…?


涙がさらに激しく流れる。そんなの酷すぎる。たった一人の悪霊のせいで愛していた妻と娘を殺してしまったというの…?



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