第21話

 いったい自分たちに何が起きているのか、それすらをも理解できないでいる。これは現実なの…?柚華がそう思った時、足音以外の音がした。


「そこで何してるんだい?」


姉妹はものすごい勢いで声のした方を向く。空には太陽が昇り、すっかり明るくなっていた。そのため誰がいるのかもすぐにわかる。老婆だった。


「どうしたんだい、こんな時間から。散歩でもしてるのかい?」


老婆は不思議そうに二人を見つめる。


「あ、あの…」


柚華は説明しようとしたが、それ以上声が出ない。緊張の糸が切れて地面に座り込み大声で泣き出した。それにつられて涼華も泣き出す。


「どうしたの?!」


老婆は慌てて二人に歩み寄った。


「どうして泣いてるの?」


同じ事を訊かれるも、涙を流すことしかできない。


「怪我してるじゃないか!」


驚いた声で言われ、足首を触られた。その瞬間激痛がはしる。柚華が自分の足を見ると、足の裏が真っ赤になっているのに気づいた。屋敷の台所で皿を踏んだ時に切ってしまったのだ。涼華の方も姉程ではないが、血を流していた。


二人とも余りのショックで痛みすら感じず、怪我に気づかなかったのだ。


「何があったんだい?」


何を訊かれても答えることができない。何がなんだかわからなくなっていた。老婆は泣くばかりの女の子二人に困った様子だったが、やがてこう言った。


「とにかく、怪我を手当てしないといけないから、わたしの家においで」


ポケットからハンカチを取り出すと、それを二枚に破り柚華の両足に巻き付けた。 


「立てるかい?」


そう言われて、しゃくりあげながら痛む足をゆっくりと動かし立ち上がった。それを見ると老婆は涼華の方に背を向けた。


「おんぶするから乗って」


涼華は恐る恐る老婆の背中にしがみつく。


「ついておいで」


柚華は老婆の後を静かに歩き出した。


 ついて行くうちに姉妹は少しずつ落ち着きを取り戻し、涙も収まってきた。しばらくして前方に小さな一軒家が見えてくる。あの家がおばあさんの家なのかな…。姉妹がそう思っていると、やがてその小さな家の前まできた。


「入っておくれ」


老婆は家の中を指し示してそう言った。しかし二人とも動こうとしない。


「入らないのかい?」


姉妹は返事をすることができなかった。


「入らなかったら手当てできないよ、それでもいいのかい?」


しばらくの沈黙が続いた後、ようやく柚華が動き出す。妹の手を取りこわごわと家に入った。


 すぐに老婆は救急箱と水の入ったバケツを持ってきた。


「痛いけど我慢するんだよ」 

 

ビニールの手袋をはめた手で柚華の足を洗い始める。


「痛い…!」


傷口に水が触れしみる、歯を食いしばり痛みに耐えた。その間涼華は怯えた様子で姉のことを見つめていた。


「もう大丈夫かな」

 

老婆は柚華の足をバケツから出すとタオルで拭き、いつの間にか敷いてあった布の上に優しく置いた。手慣れた様子で消毒液を脱脂綿につけ、傷口を消毒していく。ここでもまた痛みに耐えることになった。消毒が終わり、老婆は最後にガーゼを取り出し、足の裏に貼る。


「これでよし」


そう言ってバケツを持つと奥に行ってしまった。涼華はどうするの…?そんな疑問が柚華の頭に浮かぶも、老婆はすぐに戻ってきた。バケツの中の水は新しくなっていた。


「次はお嬢ちゃんの番だよ」


老婆が手を伸ばすと、涼華は素早く足を引っ込めた。


「やだ…」


か細い声で言った。


「何言ってるの、手当てしなかったら治らないよ。今よりひどくなったらどうするんだい」


再び手を伸ばし涼華の足を掴んだ。


「やだ!」


涼華は暴れ出し掴まれていない方の足で老婆の手を蹴ろうとする。


「お姉ちゃん、終わるまでこの子を抑えててくれるかい?」


老婆は柚華に向かって言った。柚華は頷くと妹の体と足を動かない様に押さえる。


「やだ!はなして!」


それでも逃れようとする涼華だが、五歳児の力では十二歳の姉に勝てるわけもなく大声を出すことしかできない。


「いたい!」


バケツの中に足が入った瞬間、泣き始めた。


「大丈夫だからね…」


柚華が声をかけるも、耳に入らない。数分後両足を洗い終え老婆が手を離す。すかさず涼華は足を引っ込めようとする、だが柚華はそれを許さず足をしっかりと押さえつけた。


「まだ終わってないからね」


妹に言い聞かせる姉。すると涼華は柚華にしがみついた。消毒をしている間もずっと泣き続けている妹を柚華は優しく頭を撫でる。疲れてしまったのか涼華はもう暴れようとしない。


「終わったよ、お嬢ちゃん」


その言葉を聞くと、すぐに足を引っ込めた。


「ちょっと待ってておくれ」


老婆は立ち上げり救急箱とバケツを片付けに行った。二人だけになり柚華は妹に話しかける。


「大丈夫?涼華ちゃん」 


涼華は姉にしがみついたまま首を横に振った。


「痛い?」


今度は頷く。柚華の方もまだ少し痛かった。そのことを言おうとした時、老婆が戻ってきた。両手でお盆を持ち、何かを載せている。


「こんな物しかないけど、よかったら食べな」


お盆を差し出される二人。大福が二つ乗っていた。柚華は老婆のことをじっと見つめる。


「大福は嫌いかい?」


訊かれて首を振る柚華。


「そうかい、それじゃあお食べ」


「涼華ちゃん、おばあさんがお菓子をくれるんだって」


涼華はゆっくりと老婆の方を向いた。柚華と同じくじっと見つめた後、大福を手に取りこう言った。


「…ありがとうございます…」


すると老婆は笑みを浮かべる。


「ちゃんとお礼が言えるんだね、偉い子だ」


姉もお礼を言い、大福を取る。柚華が食べ始めると涼華も続いた。二人が食べている間、老婆はまた奥に行ってしまい食べ終わる頃に戻ってきた。


「まだ熱いから冷ましてから飲みな」


今度はコップに入ったお茶を渡される。姉妹は言われた通り、冷ましながら飲んだ。


 しばらくしてコップのお茶が残りわずかとなった時、玄関が開いた。


「ただいまー」


男の人の声がして姉妹は動きが止まる。


「大丈夫だよ、わたしの夫が帰ってきただけだから」


老婆が二人の気持ちを察したように言った。足音が自分たちのいる部屋に向かってくるのが聞こえ、二人はちょっとだけ怖くなった。


「今帰ったよ、ばあさん」


首にタオルを掛けた作業着姿の老人が入ってくる。老人はすぐに見知らぬ子供二人に目をとめた。


「この子たちは誰だい?」


「わからないんだよ。いつもみたいに散歩してたら、この子たちを見つけてね、声をかけたら泣き出したもんだからびっくりして近づいたんだ。そしたら足を怪我してるのに気づいて、手当てするから連れて来たんだ」


「そうだったんだ…」


老人は二人の近くに来ると、しゃがんで顔の高さを同じにした。


「どこの家の子だい?」


優しく訊かれるも何も答えることができない。


「名前は何ていうんだい?」


「小野…柚華です…」


小さな声で答える姉。


「小野?もしかして、あの屋敷に住んでる小野さんのとこの子かい?」


老人は驚いた顔で言った。柚華は静かに頷く。


「小野さんは一人暮らしじゃなかったかい?」


老婆が訊いた。


「ほら、小野さんが言ってたじゃないか、夏休みとかになると孫が遊びに来るって。この子たちは小野さんのお孫さんだよ!」



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