第4話

次の日、時計のアラームを止め、ため息をつく小野がいた。渋々布団から起き上がり物思いにふける。昨日、帰り際外田に言ったことは本当に良かったのかな…。やっぱり言わない方が良かったのかな…。そうこうしている内に時間が過ぎていく、もう用意しないと…。


ぶつぶつと呪文の様に文句を言いながら準備をする。


「あの課長、本当にむかつく…」


外では文句を言えないので心の中でつぶやく。そうしているうちに会社に着いてしまった。はぁ、嫌だ…。


 自分の席に座り、パソコンの電源を点け、キーボードに両手を乗せたところで動きが止まった。働きたくない…。なんでこんな会社のために働かないといけないの…。こんな、社員を道具としか思ってない会社…。壊れたら新しいのと交換すればいいと思ってる会社…。両手が膝の上に戻る。


こんな会社のために働いて何になるんだ、自分がボロボロになっただけじゃないか…。小野は席を立ち上がった。…帰ろう。


「小野さん、ちょっと来てもらえる?」


課長から声がかかる。帰ろうとして立ち上がったのに結局、課長のところに行くことになった。


「…なんでしょう」


「この書類、今日中に終わらせてくれる?」



昨日より分厚い書類が渡される。


「今日中ですか…」


「うん。小野さんならこのくらい軽いでしょ」


いつもの嫌な笑みを浮かべながら言われる。


「わかりました…」


また、だめだった…。席に戻り力なくキーボードを見つめる。今までも勤務時間中に帰ろうとしたり、会社を辞めようとしたりと抵抗しなかったわけではない。しかし、ことごとく邪魔されるのだ。そしてしばらくすると冷静な自分が出てくる。会社を辞めたところで次の職場がすぐに見つかるかわからない。もし見つかってもそこもブラックだったら…。そう考えると怖くて何もできなくなるのだ。


抵抗といっても所詮は一時の感情なのか…。小野は手をキーボードに乗せ仕事を始めた。


 それからしばらくして、昼を告げるチャイムが鳴る。手を止めて時計を見た、もうお昼か…。さっき始めたと思ったのに。この会社に来てから時間の感覚が狂った気がするが、今の彼女にはそんなことを考えている暇は無い。この書類を今日中に終わらせなければならないのだ。昼休みだって一分たりとも無駄にしたくない。カバンを取りガサゴソと中を探る。


「…あれ?」


もう一度よく探すも、おにぎりは無かった。


「また忘れた…」


二日続けて、昨日はまだしも今日は終わらせないといけない書類があるのに…。小さくため息をつく、仕方ない今日は食べないで続けるか…。手をキーボードに乗せ作業を再開する、しかし五分も経たずに手が止まった。集中できない…。たとえ一口二口でも食べないよりはましなのだ。


食堂にいこうか…とも思うが、それだと書類が終わらない可能性もある。一瞬迷った後に席を立った。このまま続けても進まないのならば食べた方がいい、そう思ったからだ。それにあの部屋から離れることで少しは気が楽になるかもしれない。


食堂に入ると、相変わらず人はほとんどいなかった、いるとしても管理職の人間だろう。平社員には食堂を使う余裕などないのだから。


 奥の席に座り食事をしていると、声をかけられた。


「あの…小野さん…」


顔を上げる。


「外田さん…」


「ご一緒してもよろしいでしょうか…?」


「あ、どうぞ…」


外田は小野の隣に座った。…って、どうぞなんて言ったけど本当は断るべきだったのでは…。が、時すでに遅く外田は定食を食べ始めていた。課長が来なければいいんだけど。そう思いながら小野も食事を再開する。それからしばらくは二人とも無言で食べ続けたが、やがて外田が沈黙を破った。


「あの…小野さん…」


「…なに?」


顔を向けずに返事だけをする。冷たくすれば離れてくれると思ったからだ。


「昨日のことなんですが…」


「…関わらないでって言ったでしょ」


「でも…」


「わたしだって、自分のせいで誰かが苦しむの嫌だし…」


「小野さんは悪くありません!」


「え…?」


思わず外田の方を向いてしまう。


「どうしてそう思うの…?」


「どうしてって…小野さんこそ、なぜ自分が悪いと思うんですか?」


「だって…わたしと会話したら仕事を押し付けられる―」


「そんなの普通のことじゃないですか!」


言葉を遮られた。


「会社で他の社員と喋ることの何が悪いんですか!そんなことで怒る課長がわるいんです!」


強い口調だった。普段はおとなしいのに…、どうしてそんなに怒るんだろう…。


「ごめん…」


申し訳なくなり謝る、すると外田は慌てながらこう言った。


「小野さんは悪くないのですから謝らないでください」


「外田さん…どうして…」


「お、珍しいね」


その声に二人とも氷ついた。恐る恐る、声のする方に顔を向けると…。


「課長…」


課長は二人の了承も得ずに向かいに座った。


「二日続けて一緒に食事?」


課長は外田には目もくれず小野に話しかける。


「…はい…」


「ふーん…仲いいの?」


「それは…」


外田を見るとうつむいている、やはり本人を前にすると何も言えないようだ。彼女に限らずみんなそうなのだ。


「…そういうわけではわりません…」


「ふーん…」


課長は外田に目を向けるもすぐ小野に戻した。


「体調はもう大丈夫なの?」


「…はい…」


「そう?俺には顔色悪くみえるけど…」


「…大丈夫です…」


「無理しないでね、小野さんが休むと俺もやる気無くなるから」


無理させてるのは課長の方だ…。


「…どうしたの?」


「…何がですか」


「しかめっ面してるけど…」


「…なんでもありません」


「そう?ならいいけど」


それからしばらく課長のくだらない話を聞き流すことになった。


「おっと、こんな時間だ。二人も早く食べないと仕事に遅れちゃうよ」


そう言って課長は食堂を出ていった。


「はぁー…」


二人で同時にため息をつく。うんざりだ…、同じようなことをなんども訊いてきて。


「あの…」


「え?」


不意を突くように話しかけられる。


「先程言おうとしたことは何だったのでしょうか…?」


「さっき?」


記憶を少し遡る。


「あー…そんな大したことじゃないんだけど…」


「なんでしょう?」


「どうしてそんなに気にかけてくれるのかなぁって…」


「それは…」


外田はうつむいた。答えに困っているように見える。


「小野さんは何も悪くないからです」


「そう…かなぁ…」


答えになっていない気がするが…。


「はい。ですからもう自分を責ないでください」


外田は小野の目をじっと見つめた。その時、脳裏に何かが浮かぶ。


「あれ…」


一瞬だったため何なのかわからない、もう一度思い出そうとしても無理だった。


「どうかされましたか…?」


外田が戸惑ったように訊いてくる。


「いや…なんでもない。ちょっとめまいがしただけ」


とっさに嘘をつく。


「え!大丈夫ですか!?」


「大丈夫、昨日あんまり眠れなくて」


「そうだったんですか…あの、早退しなくても大丈夫ですか?」


「そこまでじゃないから平気、それに今日中に終わらせないといけない書類もあるし」


「そうですか…。無理なさらないでくださいね…」


外田は本当に心配そうな顔をしていた。


「わかった、ありがとう」


そして二人は休みが終わるギリギリに部屋に戻った。


「外田さん、ちょっと来てもらえる?」


席に着くなり課長の声が聞こえる。外田は静かに立ち上がり、言われた通りにする。


「この書類もやっといてくれる」


そう言うと昨日よりも分厚い書類を差し出した。


「わかりました…」


外田は書類を受け取り席に戻る、途中で小野の方を向き小さく首を振った。恐らく小野さんは悪くない、という意味だろう。小野も小さく頷き返事をした。彼女の言う通り自分は何も悪くないかもしれない、自分は普通のことをしてるだけなんだから。少し前向きになって仕事を始めた。


今は余計なことを考えずにこの書類を終わらせないと。何だかいつもよりも速く手が動く気がする。前向きになれたからかな?ひたすら手を動かし続け何とか退社時間前に終わらせることができた。


「課長」


帰り支度を始めていた課長に声をかける。


「なに?」


「今朝渡された書類、終わりました」


「え?」


課長は驚いた顔をする。しかしそれも一瞬で、すぐにいつもの嫌な笑みを浮かべた。


「そう。じゃあ次はこれね」


机の引き出しから今朝と変わらない量の書類を取り出し差し出される。


「え…」


「今週中でいいからね、よろしく」


「…わかりました…」


力の抜けた手で受け取り、落としそうになるのをなんとか堪える。


「じゃあ、お疲れ」


そう言うと課長は小野の肩を二回軽く叩き部屋を出ていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る