第15話

 二十年前、わたしはまだ五歳だった。


 「ねーねー、まだつかないのー?」


車の中で、飽きた様子の涼華が母に訊いた。


「もうすぐだから、ちょっと待ってね」


「はーい…」


不満げに返事をすると、自分が座っているチャイルドシートのベルトをいじりだした。


「だめだよ、りょうかちゃん。ベルトが外れちゃうでしょ?」


次女の華那子が言った。


「だって、いたいんだもん!」


膨れっ面になった。


「もうちょっと我慢してね、そうすればおじいちゃんの家で美味しいお菓子がたべられるから」


長女の柚華の言葉に妹二人の顔はほころぶ。


「今度はどんなのがあるかなー?」


「りょうかはクッキーがいい!」


「二人とも本当にお菓子が好きだなー」


車の運転をする父がほほえみながら言った。


「うん!」


声を揃えて返事をする。


「ゆかおねえちゃんはー?」


涼華の質問に姉はちょっと考えてから答えた。


「うーん…。お菓子はどれも美味しいから好きだし、楽しみだけど、それよりお庭のお花が見たいと思ってるんだ」


「おはなー?」


「うん、大きなお庭にたくさんのお花が咲いてるのを見たいの」


「たべられないよー?」


「食べられなくても、香りがあるでしょ?わたしはおじいちゃんの庭に咲いてる花の香りが好き」


「ふーん…」


いまいち理解できていない妹に柚華はこう言った。


「涼華ちゃんにもそのうちわかるよ」


 それから十分後、車は一軒の屋敷の前で停まった。涼華たちは車から降り、大きな門を開け敷地に入る。色とりどりの鮮やかな花が咲く庭の中をレンガの道が玄関まで続いていた。


「いい香り…」


歩きながら長女が呟いたのを聞いたが、当時の涼華にはまだわからなかった。玄関に着き父がチャイムを押す。


「お父さん、遊びに来ましたー」


すると、すぐに扉が開き白髪の老人が現れた。


「おじいちゃん!」


真っ先に涼華が声をあげる。


「よく来たね。ゆっくりしていってくれ」 


五人は屋敷の中に入った。


 ここは何もかもが西洋風の場所。入口の門、庭、屋敷、全てが日本ではあまり見ない造りになっている。西洋文化が好きな祖父の趣味に合わせて建築したのだ。


 リビングに入り、皆椅子に座る。


「みんなしばらく見ないうちに大きくなったね」


仲良くおしゃべりをする姉妹三人を見て祖父は言った。長女の柚華は十二歳、次女の華那子は九歳、そして末っ子の涼華は五歳だ。三人の名前に華がついているのは、母の名前が華子だからだ。女の子が産まれたら母から一文字、男の子が産まれたら父から一文字つけるつもりだったが、三人とも女の子だったため全員華がついているのだ。


「おじいちゃん、おかしはー?」


思い出したように涼華が言う。


「だめよ涼華、おばあちゃんに挨拶してからじゃないと」


「…はーい…」


おばあちゃんと言われて悲しい顔になる。二人の姉も同じ表情になる。三姉妹の祖母は昨年に亡くなったのだ。祖母のことが大好きだった三人は亡くなったのを聞いた時、一日中泣いていた。


中でも手芸を教わっていた華那子は一週間程落ち込み、趣味の手芸もやろうとしなかった。みんなで仏壇のある部屋に行く。父と母が順番に線香をあげ、手を合わせた。三姉妹も両親に倣い、手を合わせ目をつぶる。しばらくの沈黙が続いた後、母が口を開いた。


「…はい、みんなちゃんと挨拶した?」


子供たちは揃って頷く。すると両親もほほえみながら頷いた。


「それじゃあ、リビングに戻りましょう」


皆が立ち上がろうとすると華那子が声を上げた。


「あっちょっと待って」


仏壇の前に進み出て、持っていたバッグの中から少し短めのマフラーを取り出した。


「おばあちゃん、わたしが作ったの。見てね」


そう言うとマフラーを仏壇に置いた。


「なつにマフラーするのー?」 


リビングに戻ると不思議そうに涼華が訊く。


「おばあちゃんから最後に教えてもらったのがマフラーだったの。完成したら見てもらう約束してたんだけど、その前に死んじゃったから…。本当は春休みに見せたかったんだよ?でも、上手くできなくて…」


沈んだ様子の娘に今度は母が声をかけた。


「大丈夫よ、とっても上手にできてたじゃない。それにおばあちゃんは、みんなが会いに来てくれただけでも嬉しいのよ」


「…うん」


母の言葉に華那子は元気を取り戻した。


「みんながお待ちかねのお菓子だよ」 


祖父が大皿にお菓子をたくさん乗せて来る。


「わーい!おかしだー!」


「ちゃんとお礼を言いなさい、涼華」


大皿がテーブルに置かれるや否やお菓子を手に取った涼華を母は注意する。


「おじいちゃん、ありがとうございます」


「はい、どういたしまして。お姉ちゃんたちも好きなだけ食べていいからね」


二人の姉もお礼を言い、食べ始める。


「いつもありがとう、お父さん」


「いいんだよ、わしの方こそ、お礼を言いたいくらいだ」  


「え?」


「孫たちの姿を見ていると元気をもらえるんだ。老人にはありがたい話だよ」


祖父は愛おしそうに孫三人を見つめた。


「柚華たちもおじいちゃんに会えて喜んでるわ」


それを聞くと祖父は照れた様に笑った。

 

「達郎君も運転ご苦労様、一週間ゆっくりしていってくれ」


「ありがとうございますお父さん。困ったことがあったら何でも言って下さい、お手伝いします」


「大丈夫だよ、この屋敷に一人で住んでるくらいだからね」




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