これだけくわしく話を聞いていても、やっぱり私にとってのパパは、お話のなかの人だった。私がそう思ってるってことを、ママは知ってる。まえに正直に話したことがあったから。


 ママはそれでもいいって言う。それでもいいからパパを覚えていてって。会ったことがなくても、声を聞いたことがなくても、パパが生きていたって事実は、忘れないでいてって。


 たまに仕事で失敗したりして、落ちこんでるときなんて、ママのことは忘れてもいいからパパのことは覚えていてって、そんなことまで言う。いやいや、ママのことは忘れませんけどもって私は思う。そんな悲しいことあるかいって。

 だけど、ママにとってみればそれくらいに、私にしてほしいことなんだよね、パパのことを覚えているってことが。


 いつだったか、ママにすごくおこられたことがあった。

 私をおこるときには、たまに手のひらにデコピンをするくらいで、たたいたりはしないママなんだけど、このときだけは、けっこうな力で頭にゲンコツされた。


 テレビで聞いたのか誰かから聞いたのかは忘れたけど、私はあるとき、『くなる』って言葉を覚えた。

 あたらしい言葉を覚えると、使ってみたくなるのはあるあるだよね。だから私はママに、まえから気になっていたことを、こういうふうに聞いた。「パパってさ、くなってなかったら、いま何歳なんさいなの?」って。


 それまでの私は、パパのことを、『死んじゃってる』って言ってたんだけど、覚えたての言葉を使いたいっていうのがあったし、それに、『くなってる』って言葉のほうが、丁寧ていねいでやさしい言葉だっていうのも聞いていたから、私は『くなって』って言い方をした。

 私には悪気わるぎなんて少しもなかったんだけど、ママはそれを聞くと、おにのような顔をして私をにらんで、腕を振りあげて、私の頭にゲンコツをした。


 それで私は大泣きした。

 だって、なんでたたかれたのかぜんぜんわかんなかったから。それにたたいたママが怖かったし、なによりも、ママがおかしくなったって思って、ママがママじゃなくなったみたいで、すごく怖かった。


 よかったことに、ママはすぐにもとのママに戻った。それでママまで泣きだして、それから私をきしめて、私の頭をさすって、ごめんねって、なんどもなんども言った。

 しばらくそうして、ふたりして落ち着いたころに、ママは言った。「野々花ののかはなにも悪くない。ママが悪い。ママが悪い」って。

 それを聞いて私は、心のなかでこう思った。『いや、ママはめちゃくちゃ悪い人だ』って。

 ママは続けてこう言った。「だけどね……くなるなんて言い方はしないで。パパが消えちゃうみたいでイヤなの。それに、くなるなんて……他人みたいで悲しいのよ。お願いだから、いままでみたいに、死んじゃったって言って」って。

 それを聞いて私は、心のなかで、『私もちょっと悪かったかも』って思った。


 まあそんなわけで私は、自分なりにパパのことを思いつづけてきたんだけど、いまのところあんまり手ごたえはない。

 私は人並みに、パパがいたらよかったのにとか、パパのいる家はうらやましいなんて思ったりすることもあるけど、そういう気持ちと、じっさいのパパへの思いとは、なんだかわない感じだった。


 思っていてと言われて思っても、自分で思ってみても、それはどこにもとどいていないみたいで。パパとの距離は遠いまま。まるであれみたい。逃げる水たまり。

 追いかけても追いつけないのに、忘れちゃいそうってときには、姿をあらわして私をさそうから。


 いつまでっても『パパ』って存在は私のあこがれで、いつまでも自分のものにならなくて、はるか遠くの、キレイな景色みたいなものだった。


 だから私は、パパと息子に使うものってことを知って、もっともっと、『ジュニア』って言葉のことを、いいな、ステキだなって思った。

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